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コラム:ブランフォード・マルサリスのこと

※ブランフォード・マルサリスの2023年5月17日サントリーホールでの来日公演のためのコメントを書いたんですが、そのコメントの完全版です。

「ケンドリック・ラマーの”For Free”を作ったときは、みんなで ジョン・コルトレーンを聴いたり、『MoBetter Blues』を観たんだ。この曲をいつかウィントン・マルサリスとリンカーン・センター・ジャズ・バンドが演奏してくれたら嬉しいなって思ったよ(笑)。ブランフォード・マルサリス、ウィントン・マルサリス、ロバート・ハースト、ジェフ・テイン・ワッツ、もう亡くなってしまったけどケニー・カークランド。彼らがこの曲を演奏してくれたら理想だね。」

Jazz The New Chapterより

これはケンドリック・ラマーの名盤『To Pimp A Butterly』を手掛けたサックス奏者でプロデューサーのテラス・マーティンの言葉だ。ケンドリックのアルバムの冒頭でジャズ・ミュージシャンの演奏を鮮烈に響かせたあの名曲はブランフォード・マルサリスのサウンドが参照されていた。この曲のレコーディングでテラスはロバート・グラスパーに「ケニー・カークランドみたいに演奏してくれ」と指示を出していた。

1978年のテラスはロバート・グラスパーらと同世代のヒップホップ育ちのジャズ・ミュージシャン。アメリカ西海岸LAを中心にヒップホップのプロデューサーとして活動しながら、ロバート・グラスパーやハービー・ハンコックとも共演している。テラスやグラスパーはア・トライブ・コールド・クエストやNASなどのヒップホップからの影響を頻繁に語っているが、ジャズについて聞くとよく言及しているのがブランフォード・マルサリスやウィントン・マルサリスとその周辺のミュージシャンだ。

そもそも80年代の時点でジャズ・ミュージシャンの立場からヒップホップに最もコミットしていたのはブランフォードだった。スパイク・リーの映画に深く関わり、『Do The Right Thing』ではパブリック・エネミーとの「Fight The Power」に、

『MoBetter Blues』ではギャングスタ―との「Jazz Thing」にサックス奏者として参加し、そのサックスで貢献している。

ヒップホップとジャズ・ミュージシャンの生演奏の融合が試みら始めた黎明期の二つの名曲はブランフォードの存在なくしては生まれなかったものだ。その後もブランフォードはプロデューサーのGURUが立ち上げたジャズとヒップホップのコラボレーションによる歴史的なプロジェクト『Jazzmatazz』にも名を連ね、その実験の場に立ち会っている。

ブランフォードはヒップホップにも足を踏み入れながらも、ジャズのプロジェクトでもジャズの進化を促し続けてきた。1980年代には『Scenes In The City』『Romances For Saxophone』『Royal Garden Blues』『Renaissance』『Random Abstract』といった作品で当時のシーンを刺激し続けた。つまり、ジャズの最先端でシーンをけん引する実力をもちながら、その技術や感性を駆使して、ヒップホップのシーンにも貢献していたブランフォードの活動は後の音楽に多大な影響を与えることになった。『Do The Right Thing』『MoBetter Blues』に宿るアフリカ系アメリカ人たちの誇りや抵抗の物語を支えていたのはブランフォード・マルサリスらの最先端のテクニックや卓越した演奏だった。スパイク・リーによるアフリカンアメリカンの過去と現在を提示し、その現実を告発するような新たな物語にはブランフォードらによる伝統を高い技術とフレッシュなアイデアで更新した新たな音楽が必要だった。

テラス・マーティンやロバート・グラスパーはそんなブランフォード・マルサリスらの姿に憧れたのだ。

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