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interview Kenny Garrett:about The Ancestors 僕らは全員が一枚の同じ布からできた服を着ているようなものだ

ケニー・ギャレットが現代のジャズにおける巨匠だってことは説明不要だろう。

マイルスやブレイキーと共演した云々の話だけでなく、そもそもジャズのアルトサックス奏者で彼の影響を受けていない奏者を探すのが難しいほど、大きな影響を及ぼしている。そのうえでブライアン・ブレイドやクリス・デイヴ、ジャマイア・ウィリアムス、ロナルド・ブルーナーなどを自身のバンドから輩出している意味ではモダンジャズの系譜を受け継ぐスタンスを貫いているし、その一方でQティップからGURU、ミシェル・ンデゲオチェロまで、ジャンルを超えて様々な場所に起用されてきたように現在のシーンを先取りするような軽やかさも持っていた。

僕はケニー・ギャレットがやってきたことは想像以上に大きなことだった気がしている。

そういえば、石若駿も以下の企画でケニー・ギャレットの『Standard Of Language』を選んでいた。いろんな意味で彼を避けて現代ジャズを語るのは不可能ということだ。

そんなケニーが2021年にリリースした『Sounds from the Ancestors』は非常に興味深いものだった。常に先人へのリスペクトを作品の中で表明してきた彼がそれをタイトルに冠し、様々な形で自身とかかわりの深い先人への想いを形にした。

この作品を導入に、ケニー・ギャレットといろんな話をしてみたのこの記事だ。例えば、実はケニーはファラオ・サンダースと縁が深かったり、ユセフ・ラティーフとも交流があった。ケニーの過去作を聞けばわかるが、ある種の「スピリチュアルジャズ」みたいなものを現代的なやり方で模索していたのもケニーだった。だからこそ、カマシ・ワシントンにも多大な影響を与えたわけだ。

ここではそんなところにも話を広げているし、冒頭では謎の新作『Who Killed AI?』の話も聞いている。とんでもなく充実した記事になっているのでじっくり読んでみてほしい。

取材・執筆・編集:柳樂光隆 | 通訳:丸山京子 | 協力:ブルーノート東京

https://www.bluenote.co.jp/jp/artists/kenny-garrett/

◉『Who Killed AI?』(2024)

ーーまず新作『Who Killed AI?』のコンセプトについて聞かせてください。

これまでで一番楽にできたアルバムの一つかもしれない。コンセプトに関してもよく尋ねられるが、多くの場合、ミュージシャンに会うと「いつか一緒に何かしたいよね」って話をするだろ?とはいえ、なかなか実現には至らないもんだ。でもサヴォイは僕の家から2分のとこに住んでいたから、コンピューターを持ってうちに来てくれて、うちのリビングで作業ができた。マイクをセットして、何かを思いつけばその場でメロディを作る。ソロを吹く。翌日は「たとえばマイルスっぽいこんな曲を書いてくれ」とディレクションし、曲を書いてもらう。最終的にはその曲をチック・コリアやマーカス・ミラーなどを入れて録音する計画だったんだ。

ーーへー、そんなプランが。

でもパンデミック前、誰もが忙しくツアーをしていた時期だったので、つかまえられなくて。だったら、サヴォイとのデュオでリリースするのが適切だと感じたんだ。これが今、僕のやっていることなのだから。それで、ふたりで録音しようと決めたんだ。そのうちの何曲かをサックス奏者の友達に聞かせたら「まるでwho killed AI?って感じのサウンドだね」と言われたから、僕は「タイトルに使わせてくれ」って言ったんだ。それがコンセプトだね。

ーーマイルスっぽい曲を、とサヴォイにディレクションしたということですが、マイルスと『Who Killed AI?』はどういう関係なんでしょう?

僕が何を考えていたかというと「もしマイルスがウッドストックに出てたらどうだったんだろうな」ってこと。そして「もしマイルスが今も生きて演奏を続けていたら、コーチェラに出てたに違いないだろう」と思った。つまり「マイルスがコーチェラに出演してたら、こういう曲をやってただろう」って曲を作りたかったってこと。ウッドストックはもうやってないからね。

ーー「Miles Running Down AI」はどんなプロセスで書いたのですか?

さっきも言った通り、実に楽だったよ。サヴォイに「マイルスっぽい曲を書きたいんだ」と告げ、彼が書いたものに、メロディを加えた。一旦メロディが乗ったらあとは簡単だ。どんどん「マイルスがコーチェラで演奏してたら、絶対こんなヴァイブスだ」って思えるものになっていったんだ。マイルスは何がどうあろうと、常に僕の音楽の中にある。僕はマイルスのバンドに5年半の間、在籍していた。他のどのミュージシャンよりも長い期間だ。だから僕が何をしてようと、マイルスの話をしてないとしても、マイルスのスピリットはいつだってそこにあるんだ。

ーーなぜ「My Funny Valentine」を選んだんですか?

正直、最初はああいう風に演奏するつもりはなかったが、吹いたものを聴いて「このメロディでいい」と思った。普通とは少し違うのはそのせいだね。どんなメロディでも作れたが、あれが僕なりの自然に浮かんできた「My Funny Valentine」だった。何かを意図したわけじゃない。ただ楽しみながら、吹いていただけ。「あいつはメロディを正しく吹いてない」と言われるかもしれないが、いや、違う。ただ自然に溢れ出るメロディに任せただけなんだ。マイルスがハービー達とやった時と同じようにね。だから僕もそうしたんだ。他のメロディに変えてやることだってできたが、流れに任せたんだ。

ーーあなたはQ-TipGuruなど、いろんなプロデューサーと仕事をしてきました。機材の進化、プログラミングでできることも、時代とともに進化してきたと思うですが、今回、サヴォイとやってもそういった進化を感じましたか?

毎回、体験は異なるものだ。僕はいつもその時起きていることに意識を向けるようにはしている。ラジオでかかる曲は常に聴いているしね。僕は音楽が好きなんだ。だから、自分の知るものと違うという理由だけで耳を閉ざしたりはしない。なんでも聴いて、その中からベストと思えるものを取り入れるんだ。

ーーなるほど。

サヴォイとの体験は、彼が僕に絵を描くキャンバスを用意してくれたってこと。自由に好きにクリエイトできるキャンバス。だから、すごく楽な作業だったと言ったんだよ。僕はホーンを取り出して、吹いただけ。リハーサルもしていない。ただ「よし、このメロディを吹いてみよう」ってだけだったね。もしくはその場でメロディを考えて「今のはどうだった?」って感じでね。

今回楽しかったのは、自分の音楽を自分の音で描くように表現できたことだ。他人の音楽を演奏する時は、音楽の翻訳者(interpreter)となって解釈する。そのために練習をしている。でも、自分の音楽でならなんでも表現できる。だから日本の音楽や中国の音楽、ヒップホップ、ロックまで聴いている。音楽が大好きだから、どんなスタイルででも自分を表現したいんだ。今回はこれまでとは違うセッティングで、即興演奏者として演奏する姿をオーディエンスに聞いてもらえた。それは素晴らしいことだ。僕の先生であるビル・ウィギンスからよく言われたのは「C7のコードは世界中どこでも同じC7のコードだ」ってこと。クラシックだろうとジャズだろうとC7はC7。インド音楽でもC7。でもそれをどう演奏するか、その解釈は少し異なるかもしれない。リズムが少し違うかもしれない。でもC7であることには変わりない。つまり音楽は音楽。僕は異なるものとして捉えないよ。ただ、別の体験だというだけだからね。「今回はこれを体験してみよう。すごくいいじゃないか!」って感じだね。

ーーなるほど。

ファラオ・サンダースが亡くなる前にFloating Pointsと作ったアルバム『Promises』を聴いたとき、僕もあそこでやりたかったと思えるくらい、共感できたんだ。僕がそこまでいろんな音楽を聴いてるって知らない人が多いので、声は掛からなかかったけどね。実際はあそこに入っても難なくできたと思ってるよ。

だから、僕は僕なりの違うことをやるんだ。異なるキャンバスで、自分の絵を描く。『Who Killed AI?』は自分でもすごく好きなアルバムだし、これを演奏できることに興奮してるんだ。いずれ日本でもやりたいね。アルバムで聴いていたら、ライヴでも聴きたいと思うよね。「僕がこういうことをするようなミュージシャンだって知らなかった人たちのために演奏できる」って考えると、エキサイティングなんだ。今後、ニュージャージー交響楽団とも一緒にやるよ。僕は過去にはGuruJazzmatazzともやった。コモンAugust Greeneともやった。僕は成長し続けたいし、音楽が大好きだから、自分にチャレンジを課し続けたいんだ。

◉『Sounds From The Ancestors』(2021)

――次は『Sounds From The Ancestors』のコンセプトを聞かせてください。今回はこのプロジェクトで来日するんですよね。

子供の頃、サンクスギビングになると大好きなシングル盤…今はもうないが78回転盤や45回転盤…をわざと隠して、クリスマスが来るまで聴かないでおいて、クリスマスは朝から一日中をそればかり聴いていたんだ。そんな思いをアルバムをしたかった。子供の僕を音楽へと引き寄せてくれた、心の高まり…Ancestors(祖先)からの音を反映する音楽…。だからそこにはR&Bもジャズもヒップホップもある。日本で演奏するのも、それが全部込められた音楽だよ。

――基本的にあなたはどんな作品でもThe Ancestorsへのリスペクトを表現していると思うのですが、敢えて、それをタイトルに記したのはなぜですか?

いつだって僕は自分の前にいたミュージシャンやメンターたちに敬意を払っている。今回はそれを音楽で表したかった。自分が聴いて育った音楽を多くの人にも聴いてもらいたいというのがコンセプトだった。だから、ストレートアヘッドもあれば、ヒップホップもR&Bもクラシックもアフリカンキューバンも、すべてがそこにある。

◉The Ancestors:チューチョ・バルデス

――ここからはそれぞれの曲について聞かせてください。「It's Time To Come Home」にはどんなストーリーがありますか?

あれは孫のために書いた曲。僕が子供の頃は、アイスクリームを売りにくるトラックがあって、いつも流れる曲があった。だから僕なりのアイスクリーム・トラック・ソングを書きたかった。孫があれを聴いたら、「家に帰る時間だ(it’s time to come home)」とわかる曲をね。

――そんな曲にバタドラムヨルバのチャントを入れたのは?

それが僕の体験の一部だから。僕の音楽は大抵、自分が経験したことから生まれる。チューチョ・バルデスとは…ちなみに僕とチューチョは誕生日が一緒だが…よく一緒に演奏していた。その経験が表れたんだろう。アルバムの曲の多くは、実はパンデミック前にはレコーディングが済んでいた。でも、ライヴが出来ずに家にいる間、色々な声やリズムが聴こえてきたんだ。その一つがヨルバのチャントだった。だからもしパンデミックが起きなかったら、まるで違うアルバムになっていただろう。僕は大抵、アルバム作りにはあまり時間はかけない。でも、今回は聴き返す時間があったから、プロダクションの面で色々と聴こえてしまった。結果、ここにシンセを、ここに声を、クワイアを…と思うようになり、コロナ禍にそれをやってたんだ。

※チューチョ・バルデス:キューバ音楽の巨匠。ピアニスト

――あなたは過去に「Chucho's Mambo」という曲をやっていたくらいですから、チューチョ・バルデスはあなたにとって特別な存在ですよね?

間違いなく、チューチョは僕のメンターだ。彼のやってるたくさんのバンドで僕も演奏した。チューチョはビザの関係で、なかなかキューバから入国できず、僕らは彼の演奏を聴きたいと思っても聞けなかった。ある時、『スウィング・ジャーナル』誌を読んでたら、僕とチューチョ、それどころかユセフ・ラティーフまで、誕生日が一緒だとわかったんだよ!それはともかく、チューチョの音楽にはkindred spirit(※同じ興味や価値観、こころざし)を感じてきた。アフロ・キューバンだったが、自分の音楽だと思えた。だから彼が呼んでくれるたびに応えようとしたし、できるだけ同じバンドスタンドに立とうとした。アフロ・キューバン音楽をどう演奏するか、音楽における(ジャンルや地域間の)共通点をどう考えるか…チューチョから学んだことは大きかったよ。

◉The Ancestors:ロイ・ハーグローヴ

――次は「Hargrove」です。ロイ・ハーグローヴに捧げた曲だと思います。あなたにとってロイはどんな存在でしたか?

ロイとは、たくさんの場で共演した。ロイ・ヘインズのバンドでも…個別にも…マッセイホールの50周年の時は、ハービー・ハンコック、ロイ・ヘインズ、ロイ・ハーグローヴ、デイヴ・ホランドとやった。マックス・ローチも会場にいる中でね。彼と僕の音楽には通じ合う部分が多かった。音楽の聴き方が一緒だったから。

「Hargrove」のコードチェンジのアイデアは少し前からあったんだが、ロイが亡くなった後、気づくとあのメロディを歌ってた自分がいたんだ。「これはロイだ」と思ったよ。年下のミュージシャンからは僕がロイに近い存在だと思われてるが、それは多くの共演をしたから。だから彼という「人間」のことも僕にはわかるんだ。

――あなたのバンドを通過し、今シーンの最前線で活躍する若手のミュージシャンの多くはロイ・ハーグローヴからの影響を公言しています。ロイの新しさについて、あなたはどう見てましたか?

音楽的なコンセプトは僕と同じだった。ロイはR&Bが好きだった。僕もR&Bが好きだ。音楽そのものを愛していた。人生を音楽に捧げていた。そこが共通点だ。僕らは共に人生を音楽に捧げている。ダラスから出てきて、ancestorsの音楽をすべて演奏する彼の姿勢に、僕は共感する。言葉にして話すことはなかったが、kindred spiritを持っていることはわかった。それはファラオ・サンダースが持っていたのとも同じものなんだよ。

◉The Ancestors:アート・ブレイキー & トニー・アレン

――「For Art's Sake」はちょっと変わったリズムですね。この曲にはどんなストーリーがありますか?

アート・ブレイキートニー・アレンに捧げた曲だね。

トニー・アレンアフロビートの父だが、アート・ブレイキーの影響を受けていた。僕も同じようにトニー・アレンに影響を受けたので、スタジオでロナルド・ブルーナーJrと作業している時に「それら3世代を一つに結びつけるビートを作りたい」と話したんだ。僕のリズムを聴き、ロナルドがビートを刻んだ瞬間「これだ!」と思ったんだ。彼には実際、アート・ブレイキーとトニー・アレンのための曲だ、と言葉で伝えた。アフロキューバンとかアフロビートという1つのスタイルではなく、ビバップやスウィングの要素もあるのはそのせいだね。

――アート・ブレイキーとトニー・アレンの関係ってどんなものですか?

トニーはフェラ・クティとやりながらも、アートのようなビバップ・ドラマーになりたかったんだ。アート・ブレイキーに憧れ、その影響を使って生み出した新しいビートが、今僕らがアフロビートとして知るビートなんだよ。

――あなたもアフロビートを演奏します?

知ってはいるけど、厳密には演奏しない。先ほどから話しているkindred spirit を持つ同志ということでは、トニーもフェラ・クティもそれに当てはまる。いつも彼らの音楽は聴いてきたよ。だから身体がアフロビートは知っている。実際には演奏しないとしても、ね。トニー・アレンとは一度、共演の話があったんだけど、僕のスケジュールが合わず、実現しなかった。パンデミック直前に僕らはフランスのラ・ヴィレットに出ている時、トニーに「あなたのために曲を書いた」と話したら「今、聴かせてくれ」と言うんで、「まだ演奏してないが、あなたが来てくれるならならやる」と言ったんだ。結局、それが実現しないまま、コロナ禍にトニーは亡くなってしまった。曲も聴いてもらえないままだったね…

――タイトル曲の「Sounds From The Ancestors」はどうですか?

最初に話した通り、僕の子供時代を彩った音楽を演奏するというコンセプトだ。子供の頃から僕はあらゆるジャンルの音楽に触れてきた。日本の音楽だろうと、中近東アラブの音楽だろうと、広い心で聴いた。だからこの曲に関しては、二つの影響があるんだ。

一つはチューチョ・バルデス、もう一つはイタリアのオペラだ。僕のサックスの修復をしてくれるのがイタリア人なので、店に行くたびにイタリアのオペラアリアを教えてくれるんだ。つまり、オペラ、アフロキューバ音楽、ジャズ、クラシック音楽、とすべての要素が聞こえる曲ってこと。僕にとってそれがSound of the Ancestorsなんだ。すべての音楽の歴史があそこには捉えられている。

――ドゥワイト・トリブルをヴォーカルに起用した理由は?

ドゥワイトはゴスペルパート担当だ。つまりチャーチの要素。そして、アフロキューバン、ヨルバはペドリート・マルティネスが担当ということ。

――ヨルバのチャントをここでも入れた理由は?

ヨルバのパートに関しては…チューチョとの仕事でペドリート・マルチネスのことは知っていた。だから曲を書いた時には、彼にチャントを唱えてほしいと思っていた。でも「何を」チャンティングしてもらいたいのかが自分の中では定まってなかった。パンデミックの最中のことだよ。曲はすでに録音されていたから、「僕の希望はancestorsに触れること。君のやれることをやってくれ」とトラックを送り、彼に委ねたんだ。ナイジェリアのヨルバの要素、ゴスペルの要素。すべてが必要だった。そういうのってうまく行かないこともあるが、うまく行くこともある。でも必要だったんだよ。そして、ペドリートは僕の求めていたことが何か、完全にわかってくれたんだよ。

――『Sounds From The Ancestors』のコンセプトは聞きましたが、その中にはアフリカン・ディアスポラの音楽をリサーチすること、そういう音楽を演奏することも入っていますか?

アフリカン・ディアスポラの歴史に関しては、自分の音の体験としてだけに留めようとしたよ。もちろん、それはそこにある。でもあえてそのことを高らかに語ってはいない。なぜならあくまでも子供の頃に僕が体験したこと、僕の人生を満たし、一年、また一年と導いてくれた音楽についての話だからね。

◉グアドループの音楽グウォッカ

――とはいえ、あなたは西アフリカの音楽やカリブ海の音楽をリサーチして、自身の作品の中で演奏してきたわけですよね。このアルバムもその一部でもあるかなと思ったんですが。

僕の音楽にはすべての音楽が含まれている。アフリカだけじゃなく、日本、中国、韓国、中東の音楽もある。それが学びのプロセスの一部だと僕は信じている。単に一方からだけの影響じゃないんだ。たとえば、僕はフランス領カリブのグウォッカ(Gwoka)の音楽にも影響を受けている。だから曲を書く時は、グウォッカも含めたすべての要素をテーブルに並べる。どれか一つだけじゃないんだ。そのどれもがancestorsからの音の一部だと思うからね。

※アルバム『Beyond The Wall』ではその名もずばり「Gwoka」という曲をやっている

――そのグウォッカにそこまで取りつかれた理由って何だったんですか?

マイルスとグアドループに行ってた頃、グウォッカのことはまるで知らなかった。でも、自分のバンドで行った時、地元のやつから「グウォッカを知ってるか?土曜に街の中心に行けば、グウォッカが聴ける」と言われ、聴きに行った。「なんてパワフルな音楽なんだ」と思った。その時「この音楽でも即興演奏ができるのか?」と尋ねたのを覚えてるよ。その晩、年長者が演奏するグウォッカを聴きにクラブに行き、ラスト近くでステージに招かれ、共演したんだ。その時は彼らの音楽ではなく、自分の音楽をやったに過ぎなかった。だから、僕はこの音楽をもっと学びたいと思った。

その後、クリスチャン・ラヴィソが僕をまた呼んでくれて、彼からグウォッカの7つのリズムを学ぶようになった。Lewos(レウォズ)と呼ばれる集まりにも連れて行ってくれた。かつて奴隷たちが音楽に合わせて歌や踊り、音楽を演奏する集会だったものだ。そうやってクリスチャン・ラヴィソから学ぶと同時に、自分でもグウォッカを勉強するようになり、知るほどにキューバ音楽やアフリカ音楽、中国の音楽を連想させることに気づいたんだ。

昔、台湾で「中国語を学びたいなら中国へ行け」と言われたことがあった。その時はまだ行きたいと思わなかったんだ。でもアイルランドにいる時にある本を手に入れた。ジョン・コルトレーンはバイオリンの教則本でサックスを学んだという話があるだろ?そこで僕も勉強できる中国の弦楽器の本が欲しいと思い、楽器屋に行き、表紙を気に入った本を買ったんだ。アメリカに帰って演奏を始めた。すると音楽はアフリカ音楽にどこか似てたんだ。もちろん違うんだが、どこか連想させるものがあった。その時、中国に行ってみたい、この目で見てみたいと思ったんだ。それから北京オペラにも行った。そういった経験があって、結果的に『Beyond The Wall』というアルバムが生まれた。中国の音楽からはアフリカの影響を感じた。アイルランド音楽からもアフリカの影響が感じられた。共通点はペンタトニック・スケールだ。北京オペラを聴いて「アイリッシュ音楽のようだ」と思ったし、アフリカであり、中国なんだ。すべてがすべての家に帰るようだった。ancestorたちの音はそこにある。すべてが繋がっていて、始まりはその前にある。日本のfolk songを知れば、韓国のものを知りたくなり、そうすれば中国のものも知りたくなる。「なんて面白いんだ!」と思ったよ。すべてが繋がっている。そして僕も一周して元に戻るのさ。

ーーそうやってアジアもアフリカもカリブ海も、繋がっていることに気づく出来事がいくつかあって、最終的にそれがわかったということですか?

以前から、アフリカ音楽に関するいろいろな話は聞いていたし、音楽からもそれは聴いてとれた。でも実際に僕は体験したんだ。一度体験すれば、もう否定しすることはできなかった。聞いていたストーリーが、自分のストーリーになる。だから今は僕自身のストーリーとして、どれもが繋がっているんだとわかる。

ーー『Beyond The Wall』を出した時、あなたのそのコンセプトがリスナーにも伝わった手応えはありましたか?

ああ、気に入ってくれたし、伝わったと思ったよ。いまだに話題にあがるアルバムの一つが『Songbook』。そして『Beyond The Wall』『Sounds from the Ancestors』だ。これらの曲はある意味、どれも繋がっている。あるのはBlack hopeだ。Black hopeが意味することを理解してもらえているし、そこで語られているのがカルチャーだということもわかってくれているよ。僕は自分で演奏する日本や韓国のFolk songを通じ、アジアの精神を理解したんだ。僕にしてみれば、そんな感じで自分が体験していることを世界とシェアしているわけで、世界は僕と同じ体験をする。それがCDになり、彼らに耳に届く…。

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