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自分の言葉で書きたいのだ。

 ライターとして働いているから、書くためには準備が必要だと知っている。文章は、いきなり書き出さない。書きたいことを整理し、構成を考え、分量の目安をつけて……。でもここで書く文章は仕事ではないので、いつも、ざっくりと箇条書きで書きたい内容をメモするくらい。時にはメモすらせずに書き出すことも。好き勝手に書いたっていいじゃないか。だって自由な場所なのだから。ということで、今回もとりとめのない文章です。

子どもの頃から書いてきた

 2年前にオンラインの企画講座に参加し、最初に自分を表現する課題に取り組んだ時、私は頭を悩ませた末に「ずっと書いてきた」自分に行き着いた。小学生の頃に授業で書いた冒険物語から、高校生の時に作った学校新聞、大学生の時のレポート、社会人になって友人と作った作品集、駆け出しライターの頃の雑誌記事、フリーペーパーの編集部での特集記事、広告会社で作ったパンフレットと、今につながっている。

 小学生の時には、チラシの裏紙に延々とネコの話を書いていた。ネコなんて飼ったことなかったのに。中学生の時にもせっせと物語を書き、高校では学校新聞を作り、大学生になってからも少しだけ短編小説を書いた。社会人になった年に書いた小説が地域の文学賞に入賞した縁で、会報誌に短いエッセイを書かせてもらったこともある。

 そうした自分の書いてきたものを今もとってある。というか、整理できずに放置していた。それらを引っ張り出してみて、昔自分が書いたものを読んで愕然とした。二十代の頃には随分と硬質な文章を書いている。

黒子になって書いていた

 いつの頃からか「作家になりたい」という夢を抱くようになった私だったが、そうそう簡単になれるものではないということも分かっていて、その夢に近づけるように、できることを探していた。出版関係への就職を目指したがうまくいかず、アルバイトなどを経て、ライターの仕事を始めた。

 書く仕事を始めてから経験不足を痛感し、ライター講座に通い、その後、女性向け情報紙の編集部で働くようになった。フリーペーパーなので広告記事を中心に、編集記事も企画した。その後、縁あって広告会社に転職し、書く仕事を続けている。

 私は、編集やライターの仕事は黒子だと思っている。エッセイや小説の時の自分の文章とはちょっと違う。取材相手やクライアントの伝えたいことを理解し、言葉にしていく作業だ。ある時、インタビュー記事を読んだ方に、「私の言いたかったことが書かれている」と喜んでもらえた時には、とてもうれしかった。

遠くなっていた自分の言葉

 情報紙の編集部で働いていた頃、学生時代の同期が集まった時、出版社で働いている友人から「最近書いている?」と聞かれた。私が小説を書いていることを知っている彼に、小説はあまり書いていないと話すと、「仕事で書いているとなかなか書けないだろうね」と言われた。編集やライティングの仕事にやりがいを感じていたけれど、ふと気づくと、あんなに書きたいと思っていた小説からすっかり遠ざかってしまっていた。

 たまに思い出したように小説に挑戦することはあったが、書きかけのまま終わってしまったものばかり。そのうちネタも思い浮かばず、小説やエッセイを書こうとすることもなくなっていた。

自由に書ける場所ができた

 今までにもブログやホームページを作っては文章を載せてみたことがあったが、そういう活動からもすっかり遠ざかっていた。noteを知って、久しぶりにエッセイのようなものを書いてみた。しかし、その後、何を書いたらいいのか分からなくなって、放置していた。コロナ禍を機に、学生時代の友人のMihokoとNorikoを誘い、三人で始めたのがこのeliaという名をつけたnoteだ。

 ここでは基本的に「である」調で書いている。前職の情報紙では三人称のですます調で統一していたため、すっかりその書き方が身についてしまっていた。新聞の用事用語の表記に準じているため、漢字の使い方、送り仮名の書き方なども染み付いてしまっている。たとえば、「きく」は「聞く」。昔の私なら尋ねる時の「きく」は「訊く」と書き分けていた。書く内容についても編集の仕事をしていた時の感覚で、いろいろ配慮し、当たり障りのない表現になってしまう。もちろん慎重であるべき場面もあるのだけれど。

 このnoteを始めて、体に染み付いた表記ルールや基準から、少しずつ自由になっていく感じがした。縮めていた手足を伸ばすように、今までと違うことも書けるようになってきた。

一人じゃないから書けるもの

 ある時、長年お世話になっている方と話していて、「本当は小説を書きたかったのだけれど」と口にすると、「書きたいなら書けばいいじゃない?」とすぱっと言われた。本当にそうだ。小説を書きたいと思いながら、一字も書いていなかった。

 仕事で悩んでいた頃、カウンセリングや感情についての本をいくつか買った。その中の一冊に、芸術作品を完成させたいと思っているのに完成できないまま長い年月が過ぎていた女性が、カウンセリングを機に夢だった作品を完成させた、という話があった。私も10年も前に書きかけて止まっていた小説に、再び挑戦することができた。noteで企画された創作大賞に挑戦したのだ。第一次選考すら通過しなかったけれど、これを機に、再び小説を書くようになった。

 それから、この時の小説を書き直したり、短編を書いたり、他の文学賞に挑戦してみたりした。昨年末には二つの短編の文学賞に締切ギリギリに応募した。てっきり駄目だったと思っていたのだが、先日、そのうちの一つに入賞したと連絡をもらえた。グランプリや特別賞など、上位入賞ではなかったけれど、創作が評価されたのは久しぶりでうれしかった。

 真っ先に一緒にnoteを作ってきたNorikoとMihokoに知らせて、「おめでとう」の言葉をもらった。Mihokoから「ちゃんと好きなことを続けて、結果を出して、えらい」と言ってもらえたのもうれしい。思い切ってFacebookに載せたら、たくさんのお祝いの言葉やいいねがついた。「小さな賞だけれど、入賞止まりだけれど」と前置きしてしまいたくなるが、素直に喜ぼうと思う。大人になって「おめでとう」と言ってもらえる機会は、そうそうない。

 久しぶりに小説が書けたのは、このeliaという場があったからだし、面白がって読んでくれる人がいたからだ。一人ではないから続いてきたし、一人ではないから書くことができた。このnoteを読んでくださった皆さんにも感謝している。

自分の言葉で書いていく

 2年前に参加した企画講座では、最後に「未来の自分を企画する」という課題に取り組んだ。私は「ことばで人と人とをつなぐ」「小さなしあわせの物語を紡ぐ」そんな言葉を書いた。

 昨年はコピーを学ぶオンラインの講座にも参加した。講座の最初と最後に文章を書く課題があった。自分の経験を広げるために小説や映画などの作品に触れ、表現の幅を広げるために多様な文体に触れるとよいと聞き、今まで読んだことのなかった作家の作品も手に取るようになった。

 今回入賞したのは、文豪の作品の続きを考えるという企画。今までの私にない文体への挑戦でもあった。

 書くことは続けてきたけれど、しばらく遠ざかっていた自分の文章。昔書いたエッセイを読み返してみると、考えていることもあまり変わっていない上に、最近書いた内容に似ているのでちょっと呆れてしまう。それでもこうして書くことに再び向き合えて良かったと思う。AIが小説を書く時代に、これから私に何が書けるだろう。

 二十代だった私がこんなことを書いていた。

 まだ二十歳になったばかりだった私には、時は永遠に続いていくように思われていた。あらゆるものには終わりがある。そう気づかされたとき、胸に湧き起こった焦りは、時が経つにつれ、いつの間にか消えていた。いつか終わりがくる、そのことを思うたび、私は焦り、そしてまた忘れるのだろう。

 いま、私はまた焦っている。時間には限りがある。これからは、もう少し自由に、自分を広げて、自分の言葉で書いてみたい。桜咲く春に、そんなことを思う。

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 そんな訳で、不定期更新で書いているnoteですが、これからもよろしくお願いいたします。

(Text by Shoko, Photos by Mihoko) ©️elia

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