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一周忌での“新作”「無人島のふたり」~山本文緒さんを改めて悼む~

先日、書店で、平積みされていた本に目が釘付けとなった。
山本文緒さんの新刊!?

山本文緒さんは1年前に亡くなった、直木賞受賞作家だ。
同姓同名の作者かと思って、二度見した。
数日前、NHKで、山本さんの過去のインタビューをまとめた番組を放映していて、もう二度と新作が読めないのだなあと改めて残念に思っていたばかりだったので、本当に驚いた。

新刊「無人島のふたり」は、山本さんがすい臓がんで余命宣告されてから亡くなる直前まで、およそ半年間の日記だった。恐らく、一周忌に合わせて出版されたのだろう。


 
私は大学生の頃から、四半世紀以上にわたり山本さんのファンだった。
デビューしてしばらくは、「集英社コバルト文庫」などで「ジュニア小説」として書いていたそうだが実は読んだことがない(当時も、書店でも図書館でも見つけられなかった)。「一般文芸」以降は、エッセイも、小説も、だいたいすべて読んできた、と思う。
 
いちばん最初に読んだのは「ブラック・ティー」という短編集。おもに若い女性が主人公で、「小さな罪」がテーマだ。罪と言っても、忘れ物が多すぎてあちこちで迷惑をかけている、とか、不倫相手に病気をうつす、とか、「犯罪」ではないのだけれど、一般的には良しとされない行為だ(なかには完全に犯罪の範疇に入るものもある)。読みやすい文体なのに、「毒」が散りばめられていて、読後はちょっと背筋が寒くなるような…。この本ですっかりファンになり次々と読んだ。
 
短編集として好きだったのは「ファースト・プライオリティー」
すべて31歳の女性が主人公の、31篇からなる短編集だ。家を引き払い車で生活する人、夫の父親と恋愛関係に陥りそうになる人、必死で働いていたら31歳で更年期障害と診断されてしまった人、そしておそらく山本さん本人をモデルとした小説家。
どれもが、ちくりと胸が痛くなるような、後悔とか不安とか、軽い絶望感とか、人があまり直視したくない感情を重くなく、しかし妙な後味が残るタッチで描いている。
 
短編はどれも素晴らしい。けれど長編も、また良い。
 
吉川英治文学新人賞を受賞した「恋愛中毒」
人を好きになりすぎて、「壊れていく自分」を描く。基本、一人称=壊れていく本人の自分語りで進行する。おかしくなっていく(傍から見て、だけれども)内面を見つめる作品って、書くのはなかなか難しいのではないか。
過去の恋愛・結婚の失敗を教訓にしながらも、やはり新しい恋愛にのめりこんでしまい、最後はある一線を越えてしまうさまが、痛いほど切ない。
 

エッセイもいくつかあるが、素晴らしいのが「再婚生活」
うつ病を患った山本さんは、その闘病生活を日記形式で記している。
体がだるくてどうしても起き上がれない、きょうは調子が良くてこんなことをした、入院してこんな風に過ごした、など、克明な記録だ。気持ちのアップダウンもわかる。将来もしも自分がうつ病になったら、きっと役に立つだろうとさえ思った。しかしその闘病日記も、2年間ほどの空白がある。あまりに重度で日記も書けなかったというのだ。それでも日記を再開するまでに回復してよかったよかったと思っていたが、この本が文庫化された際、この空白期間に何があったのか、加筆されたのだ。
この加筆部分が、過去の日記を引き立てる役目を果たす。
どうして自分が重度のうつ病に罹患してしまったのか、いまだからわかってきた、と冷静に分析しているところなど、読んでいて泣きそうになる。
なので、「再婚生活」をこれから読まれる方は文庫版のほうをぜひ読んでほしい。
 
その闘病のためなのか、2013年に長編「なぎさ」が出版されたあと、しばらく新作がなかった。それが2020年、7年ぶりに長編「自転しながら公転する」が出版された。
待ちに待った新作、しかも長編で、ファンとしてはそれだけで感激なのだけれど、この作品がもう本当に良くて、私の中では山本作品のベスト1だ。山本さんの集大成だ。


 
母親の介護のために、東京での好きな仕事を辞めて地元に戻ってきた主人公、都。地元ではアウトレットモールのアパレルショップで契約社員としてOL向けの服を販売し、同じモールの寿司店で働く貫一と出会う。一人娘であり親の介護は避けられない。しかし自分の人生はこのままで良いのだろうか。貫一のことは好きだが、付き合ううちに、彼が中卒であることなどが発覚し、結婚を迷うようになる。32歳という年齢、まだまだ若いし何でもできそうに思えるが、家族、仕事について悩み八方塞がりでもある。
時折、母親視点で描かれる章もある。母親は重い更年期障害で良くなったり悪くなったり。ここには、山本さんが長い闘病生活を送ってきた実感がこめられているように思う。
主人公が私よりずいぶん若いし、ついていけるかな?と最初思ったものの、杞憂だった。蓋をしたくても湧き上がってしまう気持ち、もやもやした気持ちが見事に言語化され、さすが山本さん、とうなる。大人のようでまだ未熟な部分もある主人公の人物像など、なんて描写がうまいのだろうと思う。プロローグとエピローグにも、驚きの仕掛けがある。
 
この翌年は短編集「ばにらさま」が出版されてこれまた面白く、さあまた長編が出るかな?と思っていたら、突然の訃報。
本当にショックだった。

 
気に入った作家の作品をとりあえずコンプリートし、新作が出たらわくわくして買い求めて読む。これが私の生きがいのひとつでもある。しかし、そんな風に追いかけていた作家が亡くなってしまうだなんて。新作が読めなくなるだなんて。
実はこんな風に「追っかけ(?)」をしている作家が亡くなったのは、私にとって初めての出来事だ。そうか、それだけ私も年を重ねてきたのだなあ、この先にもこういうことは当然、起きるのか、と改めて思った。好きな作家の新作、それはぜいたく品なのだ、と。
 

寂しく思っていた矢先の、驚きの今回の新作。
山本さんはうつ病で闘病中のときも、克明な日記を残していたのだから、余命宣告されてからの闘病記もきっとあるに違いない、とは思っていた。書かずにはいられない人だろうと、インスタグラムなどを探してはみたけれど、それらしいものは見つからなかった。
しかし。やはり存在したのだ。

「こんな日記書いても誰の役にも立たないと思う」と前置きしながら、日々の生活が書かれている。
最初のほうは、余命宣告されたとは信じられない、と本人も書いているくらいお元気そう。日記の中で、次回の長編の構想についても明かされる。資料もずいぶん集めていたのだけれどもう書けないから資料を読む必要がなくなった。手放すと。誰かこのテーマで書いてくださっていいですよ、とも。
ああ、その作品読みたかったなあと痛切に思う。けれど本当に残念だったのは山本さん本人だろう。
亡くなる1カ月ほど前に出版された短編集「ばにらさま」の、出版までの経緯も書かれ、そんなにしてまで出してくれたのだと初めて知る。
そして、次第に、弱ってくる様子が書かれるようになる。読んでいて涙がにじむ。でも山本さんらしいユーモアを感じるのが、いつ書けなくなるかわからないので、ここで一度「中締め」します、と、いったん終わっているところだ。数日後に「二次会です」と日記が再開するものの、亡くなる9日前の日記が絶筆となる。
 
次第に朦朧としてくる頭の中のありようまで書かれ、読んでいてつらい。けれども、最後の最後まで書ききってくれて本当にありがとうという気持ちしかない。そしてこの日記の出版を決意してくださったご遺族にも。


 
山本文緒さんを通して、好きな作家の新作が次々と読めることが、いかに貴重な体験で、限りあることなのかを痛感した。

最後にもう一度、山本さん、本当にありがとうございました。大好きでした。
(Text&Photos:Noriko)©️elia


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