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バラとAD

まもなくバラの季節だ。
先日、桜を見ると様々なことを想うという記事を書いたが、バラはまた違った意味で強烈な思い出がある。

いまから20年近く前のこと。
大学を卒業して7年間勤めた地方のテレビ局を辞めて、私は東京のテレビ番組制作会社に転職した。地方テレビ局ではずっと記者をやっていて、中堅というのか、「あいつに任せれば、まあそこそこできるだろう」という存在になっていたと思う。けれども私は焦っていた。7年間やっていると、余程のことがないと誰からも怒られない。実力以上に「ごまかし方」が身についたから、というのが大きかった。実力をつけるには、自分自身でどうにかしないとならない。このまま定年まで自分にダメ出ししながらここで働くのか。「どうにかする」にはどうしたらいいのか。


焦りと、東京で働いてみたいという憧れの、2つが私の背中を押した。
番組制作会社のAD(アシスタント・ディレクター)になって番組制作の修行をする、というと誰もが反対した。「ADなんて奴隷やろ」当時尊敬していたカメラマンからも言われた。
けれど、29歳独身、飛び出すならいましかないという勢いもあって、私は転職した。

転職して初めて担当したのが、某キー局の「バラとガーデニングショウ」という2時間の特別番組だった。
私の任務は、ディレクターが撮影をスムーズに進められるよう、アシストすること。テレビ番組はずっと作ってきたので、そこそこできるだろう、という当初の予想は、まったくもって甘かったことをすぐに思い知った。やったことのない仕事ばかりだった。

私がまず担当したのが、ロケの手配だ。
前の職場では、カメラマンと記者(私)が機材庫にある機材をピックアップして社用車に乗って取材先に出掛ける、ただそれだけで手配もなにもなかった。しかし東京のテレビ局は働いている人数が違う。何もかも事前予約、手配が必要で、なおかつ手続きにはいちいちテレビ局のプロデューサーの許可証や、パスコードのようなものがいる。新人ADが一人でこれらをそつなくこなすのは、不可能だった。

最初のロケ日。この日までに取材先のアポを取って、撮影技術スタッフ(カメラマン、音声さん、照明さん)を外部プロダクションに手配し、車と運転手を予約し、数日前にディレクターとカメラマンと打ち合わせをして、台本や日程表を人数分コピーして、朝食を用意して……。また、撮影用のテープもいちいちテレビ局のプロデューサーの許可証を借りて、局内にある専門の部署でもらってこないとならない。(前の職場では、テープはそこらへんにいくらでもあったので、それすら許可がいる、ということにめまいがした。)
当日は早朝6時ごろ集合し、まずはテレビ局に向かった。技術スタッフが機材をピックアップするためだ。ディレクターと車で待機していたら、音声さんが焦った様子で走ってきた。「機材が予約されてないんですけど。どうすんですか?」。
血の気が引くとはまさにこのこと。機材に予約がいるだなんて、私は知らなかった。
きょうのロケができないとなると、取材相手に別の日での撮影を打診して、車両も撮影部隊も、すべてもう1回予約することになる。料金はもちろん2回分必要だろう。そしてスケジュール的に、別日で撮影して間に合うのだろうか?
倒れそうになりながら考えた。
いまから機材を予約できないか?
そばにいたディレクターもフリーランスなので、テレビ局の機材の予約についてはまったくわからないらしい。直属の上司の携帯電話を鳴らすが出ない。早朝だからか。局のプロデューサーの電話番号は知らなかった。しかしアシスタント・プロデューサー(AP)の女性が、そういえば「〇〇市の〇〇町に住んでる」と雑談の中で言っていたことを思い出した。運よく近くにあった電話ボックスにかけこみ、電話帳をめくる。なんと、その町にその苗字の人は3人しかいなかった。機材をなんとかしてもらうには、APの女性に電話するしかない。まず1人目の番号にかけた。これがビンゴ!事情を話すと、怒られた。どうして事前に確認しなかったのよ…なんでこんな朝早く電話してくるのよ…自宅の電話番号どうして知ってるのよ…等々。
こりゃ解決しそうもないなと絶望しかけたとき、電話ボックスに音声さんがまた走ってきて、「機材ありました」。電話を切って音声さんにきくと、どうも「バラとガーデニングショウ」という名前とは違う、「なんとかスペシャル」のような番組名で機材が予約されていたとのこと。首の皮一枚でつながったとはこのことだろうか。
とにかく機材をピックアップし、ロケ地に向かい、撮影は無事終了した。

あとから確認すると、そもそもAPの女性が事前に予約してくれていたらしい。というか、我々制作会社側が予約するものでもなく、局側が予約するものらしい。それすらも知らなかった。
ロケの翌日、私は上司に呼び出された。
「APの〇〇さんめちゃめちゃ怒ってて、あのADは何なんですかって言われた。前日遅くまで仕事で朝方やっと寝たところだったのにって。まあ、Norikoさんが必死なのはわかるけど…。」
このようにスタートした「バラとガーデニングショウ」だった。

そもそもこの番組は生放送で、バラやガーデニングに詳しいゲストを呼んで話をしてもらう。前述のロケでは、バラ愛好家に自宅の庭で、バラへの情熱を語ってもらっていた。こういったVTRを生放送の間に入れ込んでいくのだ。

この番組のおかげで、バラの奥深い世界を垣間見ることができたのは確かだ。
「マダム薔薇」と呼ばれる女性の自宅を打ち合わせで訪れると、庭が見事なバラ園だった。花の咲く少し前だったが、数百種類のバラが絶妙な配置で植わっていて、満開の時期を想像するだけでわくわくした。
ガーデンデザイナーの先駆けのような女性の自宅にも打ち合わせで訪れた。イギリスでガーデニングを学んだそうで、手前には淡い色、奥には濃い色の植物を植えるなど、庭に奥行きを感じさせる植栽の方法を雑談のなかで教えてくれた。また、庭だけでなく自宅のすみずみまでセンスの良さが行き届いていて、さすがと感心したものだ。
「イングリッシュ・ローズ」と呼ばれる現代バラの専門店の店主や、バラの歴史に詳しい学者と話す機会もあった。あの頃ご一緒した人々は、日本の園芸界の第一人者ばかりだったと、後から知ることになる。バラ漬け、バラ三昧の日々だった。

しかし、バラ三昧なのにまったく優雅ではなかった。針のむしろに座るような日々だった、と言っていいだろう。
ADは、ディレクターの「補佐」かと思ったが、裏方業務全般の責任者だ。予約、手配、確認、調整、毎日がその繰り返し。動画に関わる仕事は、ADには全然なかった。ディレクターとは完全に別の仕事だ。そして、こうした裏方業務は、私には初体験だった。

地方テレビ局の記者時代は、なんだかんだ言ってちやほやされていた。
しかし、東京の制作会社のADは、まさに「奴隷」。まともに口を聞いてくれない人も、結構いた。人って立場によってこんなに扱いが変わるんだなあ…と痛感した。ダメダメADだと、カメラマン、音声さん、照明さんも実に冷たい。実力の世界で生きている人には、許せないのだろう。「年食ってるくせに何やってるんだ」と怒鳴られたことすらある。

確かに私は、弁当ひとつ発注するのも失敗していた。タレントさんは当然のごとく、マネージャーをはじめお抱えのメイクさん、スタイリストさん、さらにはスタイリストさんやメイクさんのアシスタントまで撮影現場に連れてくる。「何人いらっしゃいますか?」ではだめで、「弁当発注しますがいくつ必要ですか?」まで聞かなければ弁当が足りなくなる。アシスタントは「人」としてカウントされないケースが多いからだ(これ本当)。
「バラとガーデニングショウ」は、生放送で朝早い番組なので、数十人分のホテルの手配まで私の仕事だった。旅行代理店の気分だ。ホテルの部屋もぎりぎりしか空きがなく、肝を冷やした。最悪、自分の野宿も覚悟した。

当日はなんと総勢100人以上が番組に携わったのだが、こまごまとした、番組の本質に関わらない問い合わせは、すべて私のところにくる。控室はどこから入ればいいのか、弁当の配達がきたけどどこに置いてもらうか、ゴミ袋はどこか。そして私自身は本番のステージで黒子として小道具の出し入れなどもしなければならない。
完全にキャパオーバーで、わけのわからないうちに本番が終了した。

結果的にこの仕事を私は1年半で辞めるのだが、人生になくてはならない濃厚な1年半だった。

「バラとガーデニングショウ」のあともADとして様々な番組に携わり、たくさんの方から怒鳴られ、叱られ、涙して……。まあとにかく怒られっぱなしで自分のダメさを嫌というほど思い知った。誰かに怒られて成長したい、なんて思っていたのはどこの誰か。

しかし、寝る暇はもちろんトイレに行く暇もないレベルの、大量の業務をこなしたことへの小さな自信、少しずつ働きぶりが認められ、温かい言葉をかけてくれるカメラマンやディレクターが増えていったこと、激務の中で励ましあう素敵な同僚と出会えたことは、かけがえのない宝物だ。つい最近、15年ぶりくらいに、当時のディレクターと同僚ADと飲みに行き、しみじみそう思った。


ちょうど「バラとガーデニングショウ」の準備も佳境に入っていたころ、偶然テレビで見た番組が忘れられない。
作家の故瀬戸内寂聴さんが対談番組で、若いアナウンサーにこんなことを言った。
「若いうちにバラを摘め」。

美しいバラを摘もうとしても、バラには棘がある。でも、若いうちならその棘で傷ついても、すぐ癒えるだろう。だから若者よ、バラのような「何か」を摘み取ろうともがいてみるのだ・・・・・。

私が「何か」を手に入れたかどうかはわからない。
でも、思い切って居心地の良い古巣を飛び出し、新しい環境に身を置いたことは、「バラを摘もう」としたことにほかならないなあ、たくさんの棘で痛い思いもしたけど、と思う。

もうすぐバラの季節。濃厚な日々がよみがえる。

(text Noriko , photo Mihoko) ©elia


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