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#8 Virtual Reality(8章全文掲載)

 周囲がざわめきだした。拓真はまさかと思ったが、帽子とサングラスを取るまでは確信できなかった。しかし、男の素顔が露になったとき、誰よりも先に驚嘆の声をあげた。

 「レアンドレ!」

 金丸の登場に心を奪われたが、このスペイン人に関しては特別だ。何しろ、拓真が幼い頃からずっと目標にしてきたプレイヤーなのだ。にわかに信じがたい光景に、少しの間、金丸が話し始めていることに気がつかなかった。

 「人によってはかなり遠方からだな、ここに集まってくれてありがとう。動画で話したので、自己紹介は割愛する。驚いたと思うが、四国でのキャンプの合間を縫って、レアンドレが来てくれた。みんなへの激励と報告があってのことだ」

 金丸はレアンドレの方を向き、囁くようにスペイン語を話し始めた。レアンドレは2回ほど頷き、再び白い歯を見せたあと、「コンニチハ」と言った。

 「コンニチハ。レアンドレです。まず初めに、ここに集まった皆さんの勇気に敬意を表したいと思います。また、こうして皆さんの前でお話させていただけることに、感謝します」短い挨拶を金丸が丁寧に通訳する。レアンドレは両手を動かし、時折こぶしで掌を叩きながら話した。

 「今日は皆さんにお話したいことが2つあります。まずは、このCyber FCに関して、私の親友であるケンジが素晴らしいプロジェクトを立ち上げました。このような取り組みはヨーロッパでも聞いたことがありません。それだけチャレンジングな環境に自分の足で飛び込んでくることは、とても勇気が要ることです。皆さんの成功を祈っています」金丸が訳し終えたのを見て、レアンドレが続けた。

 「もう1つは、ここにいる私の息子アンヘルのことです。彼は私が来日した3年前から日本で暮らしていて、今年で17歳になります。私からのお話したいことは、彼もこのプロジェクトに参加させてもらうことになった、ということです」

 金丸が言い終わるまでもなく、周囲はレアンドレの言いたいことを察知し、どよめいた。金丸は場を静め、アンヘルについて説明した。インターナショナルスクールに通いながらJPリーグの下部組織に所属していたが、レアンドレの移籍に伴い、下部組織を退団した。1年契約のレアンドレの状況を考慮し、今年はどこにも所属せず、Cyber FCに身を置くことになったらしい。レアンドレの欧州復帰に合わせて、彼自身も母国でのプレーを希望しており、移籍までの期間やコンセプトを考慮したうえで、最適なプロジェクトだと判断したそうだ。

 最後にレアンドレは、「私の息子だと言って特別扱いせず、フランクに接してほしい。私も含めて、ここにいるメンバーは家族だと思っている」と言い残し、教室をあとにした。
 アンヘルは、「父を越えられる選手になること。そして、みんなと新しいものを創ることを目標にしている」とを話し、席に着いた。


 教室の熱気が冷めやらぬなか、金丸が再び口を開いた。
 「驚いたと思うが、それだけこのプロジェクトに対し、我々が本気だということがわかってもらえたはずだ。これから世間の注目を受け、色んな人が心にもない言葉をかけてくるかもしれない。しかし、そういったことに屈することなく、自分たちがやるべきことに目を向け続けてほしい。レアンドレのように、応援してくれる人が必ずいる。だから安心して挑戦するんだ。残念ながら前日に1名のキャンセルが出た。しかし、ここに集まった15名には意思を貫ける力があると信じている」


 教室にほどよい緊張感が走った。プロジェクトの規模の大きさは想像していた以上だ。拓真の胸は高鳴った。レアンドレが見ていてくれる。彼の息子とプレーができる。お金を払ってでもできる経験ではない。武者震いが止まらなかった。


 壇上には金丸と入れ替わりに、中岡が立った。中岡は金丸が作りだした緊張感をうまく利用しながら、囁くように話し始めた。

 「挨拶は動画配信の時に行ったので、いいでしょう。私からは手短に。まずは・・・」そういって少し咳ばらいをし、再び皆の顔を見て言った。

 「モスドナルドが売っているものはなんですか?」

 大手ハンバーガーチェーン店の名前を挙げ、中岡が質問した。皆が呆気に取られていることが、拓真にもわかった。自分もそのうちの一人だ。モスドナルドとサッカーの何が関係しているというのか?

 会議室の後方に座っていた選手が手を挙げる。
「ハンバーガーとポテトです!」後方から笑い声がこぼれた。
「シェイクとナゲットもやろ!あと、スマイルや!」空翔がすかさずツッコミを入れ、我慢していた連中からも笑みがこぼれた。
 「それも正解です。では、他に考えられるものはありますか?」そう中岡が問いかけた時に、拓真は中央に目を取られた。人差し指を上に向けている人がいる。教室に入った時から気になっていたクールな奴だ。
 「青坂くん、どうぞ」中岡が掌を向けながら言った。青坂っていうのか、拓真は横目で彼の姿を追った。青坂は真っすぐに中岡を見つめたまま、「時間」とこたえた。
 中岡は微笑みながら「そうですね、私もそう思います」と言った。

 「ハンバーガーやポテトなどの商品を売っていることは明白です。ですが、肝心なことは、なるべく早く商品を手にしたい忙しいお客さんに、すぐに提供するということです。これはまさに時間を売っていることに他ならないでしょう。また、同じモスドナルドで、こんな視点もあります。彼らはお店の回転率を上げるために、椅子の硬さ、照明の暗さ、BGMなどで、長居ができないようにしています。我々は無意識にコントロールされているのです」

 中岡の言葉に、拓真は驚いた。確かに、友達とモスドナルドに行った時に、30分以上滞在したような記憶はない。食べたらいつもすぐに店をあとにし、落ち着いたカフェに向かう。

 「人は知らないことは認識できません。見たいものしか見ようとしないという、脳の癖や習慣もあります。大切なことは、無意識を意識化すること。好奇心を持って、様々なことを知ろうとすることです。サッカーでも同じことが言えます。常識を疑って下さい。自分の見える世界を広げて下さい。そうすれば、必ずプレーのパフォーマンスに反映されます。私から言いたいことはそれだけです。では、次の場所へ向かいましょう」


 廊下を歩きながら、拓真は中岡の言葉を反芻していた。「常識を疑え」散々聞いた言葉ではあるが、改めてこの空間で聴くと、特別な意味が込められているように感じる。


 周囲に目をやると、先ほどまでの警戒心が薄れ、数人単位で話を交わす様子が見えた。空翔は積極的に色んな人に声をかけている。自分の後ろを歩いているのは、青坂とアンヘルだ。驚くべきことに、彼らはスペイン語で会話をしている。拓真は少し遠慮がちに、青坂に声をかけた。

 「やあ、青坂くんだっけ?さっきの時間って答え、よくわかったね」
 「ああ、どうも。君は?」青坂がアンヘルとの会話を止め、拓真の方を向いて訊いた。
 「話し中だったよね、ごめん。俺は拓真、今井拓真。よろしく」
 「よろしく」
 そういったきり、青坂はアンヘルの方を向き直った。アンヘルもまた、笑顔で親指を立てて拓真に挨拶をしたあとは、大きなリアクションを取りながら青坂の方を見てスペイン語での会話を続けた。

 「クールな奴やな」
 拓真は肩を抱かれた。すぐにそれが空翔だとわかった。
 「なんや、スペイン語ばっかり話しててもわからへんわ。仲良くする気あらへんやん」
 「いや、同じ言葉で話せる人がいて、嬉しいんだよ、きっと。今さっき、一瞬だけど、正直言ってすごい孤独感だった。でも、外国に行ったらこんな感じなんだろうな、って思った。やっぱりすごい奴が集まってるんだよ」
 「ふーん、前向きな奴やなお前は。まぁ確かに、何人か話したけど、おもしろそうな奴多かったで」
 「そうでしょ?明日までにみんなと話したいね」
 「まぁ、俺に任せとき」
 拓真は空翔の顔を見上げながら、強く2回頷いた。


 教室に入ると、そこには異質な光景が広がっていた。

 正面に見える巨大なスクリーンにはサッカーフィールドが映され、アバターどうしの試合が行われている。床に敷かれた人工芝の上には、数名の学生がVRカメラを装着して、互いに適度なスペースを確保しながら動いている。手には小型のスティックを持っており、ランニング動作をコントロールしている様子だ。

 「なんやこれ、めっちゃすごいやん」空翔が真っ先に声を発した。
 「VRです。バーチャル・リアリティ。仮想現実とも呼ばれていますね。体験されたことある方はいらっしゃいますか?」中岡が皆の方を見て問うと、11人が手を挙げた。

 「思った以上に体験されたことある方がいらっしゃいましたね。ゲームやVR施設で体験されたのでしょうか。ただ、この町田大学の所有するVRシステムは、恐らく皆さんが体験したことのない、高度な技術が用いられたものです。本日は工学部の田島先生とゼミ生に協力していただき、VRを実際に体験していただきましょう。どなたか3名出てきてもらえますか?」中岡の呼びかけに、拓真、空翔、そして、少し小柄な男が手を挙げた。

 「今井くん、前島くん、水町くんの3名ですね。それではVRカメラを装着して、スティックを持って下さい」

 カメラを装着すると、そこには緑の芝が広がり、周囲を観客席で囲まれたフィールドが現れた。拓真は首を動かしてみた。フィールドの奥には海が広がり、周囲は陸上トラック囲まれている。どこかの球技場だろうか。これまでゲームを通じてVRを体験したことはあるが、画像の鮮明さや質感が桁違いだ。木々の動きや相手選手の息遣いまでわかる。

 「では、プログラムを開始します」中岡が声をかけた。
 「田島ゼミの学生さんたちのキックオフでスタートします。移動はスティックを操作しながら、キックやジャンプの動作は実際にその場で行って下さい」

 オレンジ色のユニフォームを着た相手が攻め込んでくる。拓真はボール方向へ歩を進め、足を動かした。ゲームのおかげでスティック操作には慣れている。横では空翔が大きな声で叫んでいるのが聞こえた。不慣れな人間には確かに操作が難しい。

 拓真はボールを奪い、周囲にいた味方にパスを出した。周囲で感嘆の声が漏れているのがわかった。パスを受けたのは水町だった。水町は少しボールを運ぶ動作を行い、前方でうろうろしている空翔に向けてパスを出す。ボールが向かってきたことすら認知できない空翔は、うまくコントロールをすることができず、そこで一度プログラムは停止された。

 「いかがでしたか?」中岡が3人に向かって訊いた。
 「めっちゃ難しいです。ボールがどこにあるかわからへん」空翔が言うと、周囲は笑顔に包まれた。
 「今井くんはいかがでしたか?」
 「空翔と同じ意見で、難しかったですけど、ゲームの感覚と同じ部分があって。なんとなくスティックの操作もわかったんで、ボールを取ることはできました」
 「なるほど。確かに、経験があるような様子でしたね。水町くんはいかがでしたか?」
 「実際にプレーをしている感覚にはまだ遠いと感じます。ただ、状況を把握したり、相手の動きに対応することに関して、学べるツールだと感じました」

 拓真は驚いた。水町佑介は、まるで中岡や金丸のように、理路整然と話をする。あの短時間のうちに様々なことを感じ、それを見事に言葉にできるのだ。佑介の言葉に、中岡が頷いた。

 「今水町くんが言ってくれたことの通りですね。皆さんにVRを紹介したことの目的はまさにそこにあります」中岡がVRカメラを手に取りながら話し始めた。
 「皆さんもご承知のように、我々は仮想空間によって繋がっているチームです。それぞれが個人の活動としてフットサルや社会人チームでプレーすることは構いませんが、Cyber FCでのサッカーのトレーニングに関しては、原則このVRを通じて行ってもらいます」皆の反応を観ながら、中岡が続けた。


 「皆さんには一人一台のVRセットを送付します。自宅のパソコンに繋いでもらい、プログラミングされた内容に従ってトレーニングを行っていただきます。VRでのTRには3つの狙いがあります。第一に、プレーの学習です。我々の設計したプレーモデルから抽出したプレー原則に基づく要素を、トレーニングしていただきます。少人数のグループの局面をいくつか設定し、動き出しやサポートなどを徹底して学べる内容になっています。2つ目に、認知力の向上です。何を観るかを整理し、実際にその習慣作りを行います。プログラムの中に、認知機能を高めるためのトレーニングを用意しています。簡単なものから複雑なものまで、すべてVR内のアバターと共に、一人で練習できる内容になっています。そして最後に、プレーの刷り込みです。相手チームの戦い方をプログラムしてあり、その対策のためのシミュレーションを映像化しています。自身のポジションの視点で、シミュレーションを繰り返し見てもらうことで、実際の試合になった時に、スムーズにプレーを実行できるようになります。相手チームのデータは、murmurarでスカウトした全国にいる15名のボランティア分析官によって試合を撮影してもらい、私と金丸で分析したものを映像化してもらっています」


 中岡が話を終えると、皆は互いの顔を見合わせた。そんなことで本当にサッカーが上手くなるのであろうか。すると、話を聞いていた金丸が口を開いた。

 「ここまで聞いて、疑いを持った人は辞退してもらっても構わない。トレーニングに関しては、VRとフィジカル中心のメニューでパフォーマンスは必ずあがる。実際にサッカーをしなくても構わない。そして、4か月後の四国予選前に合わせて、個々が実力を身につける。俺が求めているのはそれだけだ」

 拓真は、再び身震いした。周囲を見ると、青坂とアンヘルだけは、笑顔で頷いていた。


# 9  social Networking Service(9章全文掲載)    https://note.com/eleven_g_2020/n/n8a3dcb9d0709


【著者プロフィール】

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映画監督を志す小説家。日本が初出場を果たした1998年のフランスワールドカップをきっかけにサッカー強豪国の仲間入りを果たすためのアイデアを考え続けている。サッカーとテクノロジーが融合した物語、 11G【イレブンジー】は著者の処女作である。

Twiiter: https://twitter.com/eleven_g_11

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