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#3-2 ロードバイク


 拓真は、ロードバイクのチェーンロックを外し、ゆっくりペダルに足を掛けた。

最近、ロードバイクの盗難が増えてきているという話を聞く。盗まれたバイクは分解され、パーツをネットオークションで売られるそうだ。客や従業員が行き来するこの場所では、盗難の被害に遭う可能性は低いと思われるが、普段は小さいアラームロックも併用している。ユースに昇格できずに落ち込む息子を見かねて、両親が購入してくれたバイクだ。盗まれるわけにはいかない。1年点検の時は、少し後輪が振れていたが、普段からのメンテナンスの効果もあってか、それ以外に目立った問題はなかった。新品同様の見た目は気持ちが良いが、同時に盗難が心配になってしまうのだ。ある程度バイト代が溜まったら、GPS付きロックのデバイス代とアプリの年会費を捻出しようと思っている。

 ペダルを漕ぎ始めた。総合体育館までは20分ほどの道のりだ。道中に、1回でのぼりきるにはそれなりの脚力を必要とする長い坂道がある。拓真は、自動運転車専用レーンの横に備えられた、自転車専用レーンをできる限り素早く駆け上がる。車内でシートを倒してスマホを触っている人にちらちら見られることもあるが、こっちは必死だ。大変そうだ、などと思わないでほしい。むしろ、こちらからすれば車間距離が一定な様子が異様に見える。スピードのコントロールができない乗り物の何が楽しいんだろう。そんなことが頭を過ぎる頃には、坂道の頂上が見え始めた。もう少しだ。
 坂道を上りきると、少し開けた大通りに差し掛かる。大通りを真っすぐ進むと、右手に貸店舗の案内が貼られた建物が見えた。小さい頃に母親とよく行った洋食屋だ。5年前の感染症の影響で閉店に追い込まれた。地元の有志が集まり、存続をかけた運動まで起こったが、その結果も虚しく、みんなの思い出の場所が姿を消した。この道を通るたびに無意識に目がいってしまう。飲食店が軒並み潰れたあの時以来、新しく開店する飲食店が減少した。再び同じようなことが起こるリスクを考え、二の足を踏む。電子化やAI化によるサービスには多大な初期投資が伴う。個人経営のお店では、味の質や顧客管理システムを活用したリピーターづくりが欠かせない。高い経験やリテラシーを必要とするのだ。5年が経った今でも、居抜き物件にはなかなか買い手がつかない。
 「それもそうだよな・・・」拓真はぼんやりと思う。バーチャルレストランをはじめ、実店舗を持たずに、フードデリバリーサービスで商品を販売する営業形態の店がここ数年で格段に増えた。感染症の影響で、家庭に居心地の良さを感じた人々は、美味しい料理を食べるために、人が群がる場所に赴く必要はないと考えたのだ。それは、拓真の家庭にとっても同じことが言えた。「外食」という言葉が死語になってしまったのではないかと感じるほど、店舗で食事を共にする機会は減った。世の中の急速な変化を言葉で人に説明することはできないが、拓真自身も実体験から感覚的には理解が進んできている。

 体育館に着いた。ここは何年経っても昔のままだ。受付のおじさんに市民カードを見せ、200円を支払う。受付票と書かれた紙に、開始時間や名前、電話番号までもを丁寧に記していく。使用するたびに書いているのだが、記入された用紙はどうなっているのだろうか。
 かなりくたびれたジムだが、最低限の器具は用意されている。拓真はベンチプレス、スクワット、デッドリフトの通称ビッグ3を平日週3回の頻度で行っている。ちょうどアルバイトが入っている日がそれに当たるわけだ。METUBEの動画で筋トレについて解説をしている有名なMETUBERがいる。彼の映像をスマホで流しながら、見様見真似で始めたものが、半年以上続いている。最近では、家の鏡の前で、発達してきた大胸筋を眺めることが楽しみになってきた。1時間ほどでトレーニングを終え、帰りにコンビニでホエイプロテイン配合のドリンクを胃に流し込んだ。


 玄関のドアを開けると、愛犬のハスが尻尾を振りながらとびかかってきた。蓮の花が好きな母親が名付けた柴犬だ。うちにやってきて3年になる。「ハスただいま、いい子にしてたか?」拓真がハスを撫でていると、奥から母親の声が聞こえた。「おかえり、遅かったね。ご飯できてるよ」時計の針は20時05分を指していた。
 食卓に向かうと、見るからにジューシーなハンバーグがテーブルの真ん中で主張していた。隣ではハスが羨ましそうな眼で拓真を眺めてくる。「ハス、もうご飯食べただろ?向こうで大人しくしといて」残念そうにその場から離れていくハスの姿は人間の仕草そのもののようだった。ハスのあとを追うようにテーブルに近づいてきた母親が対面に座った。
 「まだ食べてなかったの?」拓真が母親の顔を見て訊いた。
 「当たり前でしょ?色々話しながら食べたいもん」
 「いつも話してるじゃない。今日は父さんは?」
 「もうすぐ帰ってくるって連絡あったよ。先に食べといてって言ってたから大丈夫。で、バイトはどうだったの?」
 拓真は母親とよく話をする。この年頃の男の子にしては珍しいと、バイト先でもよく言われる。自分でもなぜだかはわからない。きっと、楽観的で明るい母親は、話をしていて楽しいのだ。でも、結局最後はいつも自分の話に持っていってしまうけれど。
 「特別何もなかったよ。普段と同じ。あ、でも久し振りに中田さんとゆっくり話したよ」
 「中田さんって調理の人だっけ?どんな話をしたの?」
 「将来の話とか?サッカー選手の夢を諦めきれてないでしょ?って言われちゃった。やっぱりそんな雰囲気が出てるのかな?」
 「出てるよ。今日もジムで遅くなったじゃない。でも、お母さんはいつでもたっくんのことを応援してるからね」
 「でたよ、その台詞。何度目だよ」
 「うふふ」
 拓真にとって、こうした何気ない会話に気持ちが救われることは多かった。結論を示されることも、方法を提示されるわけでもない。ニコニコ頷いて、背中を押してくれる。それだけだ。そこにどれだけの安心感が存在するかは、拓真自身が誰よりも実感していた。


# 3-3  IoT学園   https://note.com/eleven_g_2020/n/n0dc252f2df4d

【著者プロフィール】

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映画監督を志す小説家。日本が初出場を果たした1998年のフランスワールドカップをきっかけにサッカー強豪国の仲間入りを果たすためのアイデアを考え続けている。サッカーとテクノロジーが融合した物語、 11G【イレブンジー】は著者の処女作である。

Twiiter: https://twitter.com/eleven_g_11

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