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ロリエ炎上から考える “個性”の定義

花王の生理用品ブランド「ロリエ」が炎上している。

事の発端は8月18日、Twitterで新プロジェクト「kosei-ful」を告知したことにあるようだ。このツイートは8月23日現在、8,000回近くリツイートされており、リプライは700件を超えている。

今回のnoteでは、炎上の経緯・理由、問題となっている“個性”というワーディング、そして、過去に炎上したキリン「午後の紅茶」のプロモーションを引き合いに、今回の炎上の本当の問題点について考察してみたい。

ロリエ「kosei-ful」の概要

新プロジェクト「kosei-ful」は、女性同士がお互いの生理の違いを理解し合うことで、心身ともに生きやすい社会をサポートすることを狙いとしたプロジェクトだ。

発案者はロリエの女性社員。雑誌「SPUR」2020年10月号では、ブランドマネジャーのインタビューが掲載されており、プロジェクト初期での気づきが以下のように語られている。

「男性に訴えかける前に女性同士の相互理解が必要だし、社会に訴えかける前に自分たちの足もとである社内でお互いの生理の個性の違いをわかり合うプロセスが必要なのだと気づきました。私たちが変わらずに、社会は変えられない。特に、私のような生理の悩みと無縁なタイプがいちばん危ないんですよね」

このような思いから、キャッチコピーは「生理を“個性”ととらえれば 私たちはもっと 生きやすくなる。」に。キーワードとなる“個性”という言葉は、同じ女性間でも異なる症状を抱えていることを象徴しているのだろう。

プロジェクトのアクションとしては、「kosei-ful Finder」というコンテンツがある。これは、生理に関する8つの質問に答え、天然石のように美しいレーダーチャートを作成するというもの。以下は私の結果だ。

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同コンテンツを活用し、SNSではインフルエンサーによるプロモーションを展開。

そのほか、Twitterの告知に先駆け、8月16日には女優・清野菜名さんが出演するプロモーション動画を公開している。

ちなみに、同プロジェクトの公式Webサイトには、前述の雑誌「SPUR」の文言が使われていることから、雑誌掲載も広告の一貫だと考えられる。

ロリエが炎上した理由

プロジェクト始動後、SNSでは批判が殺到。いいねの数が多いものを中心に確認してみると、問題は“個性”というワーディングにあることがわかる。

私も、上記の方々と同じく“個性”という言葉に引っかかった。

生理1〜2日目は腹痛で何もできず、1回の生理期間につき鎮痛剤を1シート(12錠)使い、PMSの時期には吐き気・抑うつ状態・不眠症状のトリプルアタック。ここ1年ほどは排卵痛も起きるようになった。5年前から婦人科に通い、さまざまな方法を試したが、今なお苦行は続く。

これは何も、上記の方々や私だけの話ではない。

生理日管理アプリ「ルナルナ」の生理痛に関する調査によると、「鎮痛剤を飲めばおさまる」あるいは「鎮痛剤が効かない」と答えた女性は計63.3%にのぼった。程度に差はあれど、過半数の女性にとって生理は苦痛を伴うものなのだ。

そのような経験をもつ女性に、ロリエは“個性”という言葉をあてがった。それによって嫌悪感が生じ、SNSで瞬く間に拡散されてしまったと考えられる。

個性とは何なのか?

私も他の人々と同じように嫌悪感を覚えた。しかしその一方で「個性とは何なのだろう?」という疑問も抱いた。

その定義を確認するべく、まずは“個性”を辞書で調べてみる。その結果、以下のような説明があった。

【デジタル大辞泉】
個人または個体・個物に備わった、そのもの特有の性質。個人性。パーソナリティー。
【大辞林 第三版】
ある個人を特徴づけている性質・性格。その人固有の特性。パーソナリティー。 
【精選版 日本国語大辞典】
個々の人または個々の事物に備わっていて、他から区別させている固有の性質。パーソナリティー。個人性。

つまりは、その人特有の何かということらしい。

だとすれば、生理の症状も個性と呼べるのではないか。ある人は生理痛が酷く、ある人は眠気が強く、ある人は経血量が多いというように、生理の症状は十人十色だからだ。

しかし、今回の炎上では多くの人が同じような違和感を覚えている。ということは、もう少し“個性”を深堀る必要がありそうだ。

今度は、図書の王様こと「ブリタニカ百科事典」を使い、“Personality(パーソナリティー)”というワードで調べてみよう。執筆者はハーバード大学名誉心理学教授のフィリップ・S・ホルツマン氏だ。

パーソナリティーは、他人との相互作用のなかで最も明確に現れる、特性ある思考、感情、行動のこと。この行動特性は環境や社会集団のなかで見られ、ある人物を他者と区別させる。(中略)パーソナリティーの研究では、その人物は特性ある個人の行動パターンによって区別されるという基本的な考え方に、起源があるといえる。

つまり、個性とは他者との比較で明確化する、思考・感情・行動の独自パターンということだろう。

ここでポイントとなるのは他者の存在である。

前掲のツイートで言及されている“障害”に例えるとわかりやすいかもしれない。例えば、右腕がないという状態は、他者の存在に左右されないものだ。職場にいるときは右腕が消え、家にいるときは復活するということはない。

同じように生理で考えてみよう。例えば生理痛は、時が来たらプロスタグランジンが分泌され、それによって子宮内膜と血液がぎゅーっと押し出されて腹や腰が痛む。オフィスであれ自宅であれ、その状況は変わらない。

つまり、生理は個性とは異なるといえるのではないか。

別のポイントとして、思考・感情・行動という点もある。これは、障害や月経困難症などの身体的不全そのものではなく、身体的不全の先にあるものといえるだろう。

例えば、Aさん・Bさん・Cさんがいるとする。彼女たちは生理痛に悩んでいるが、アプローチは以下のような違いがあるとする。

【Aさん】
生理や体質改善の情報をコツコツと収集し、「今月は基礎体温を記録してみよう」「この冷えとりグッズを使ってみよう」などと計画を立てる。几帳面で真面目なタイプ。

【Bさん】
つらいときはうまく同僚に甘え、無理せず休む。その代わり、同僚にはしっかり感謝を伝え、回復後はフォローしてもらった分もバリバリ働く。コミュニケーション力が高く、活動的なタイプ。

【Cさん】
生理痛のたびに激しい自己嫌悪に陥る。頻繁に婦人科を受診しているが、医師を信用できず、将来的に生理痛が改善されるという希望も持てない。心配症で悲観的なタイプ。

ブリタニカの定義に倣えば、このような性格特性の違い(物事をどのように捉え、何を感じ、どう行動するか)こそが本来、個性といえるのではないだろうか。

“個性”以上の大きな問題

今回の炎上では”個性”というワーディングが取り沙汰されているが、個人的には、それを包括したもっと大きな問題があると考えている。

それは当事者意識の欠如だ。

これについて、2018年4月に炎上したキリンビバレッジの飲料「午後の紅茶」のプロモーション・ツイートを例に挙げてみたい。

キリンは4月26日、Twitterにて「午後ティー女子」のイラストを投稿。同飲料を飲んでいそうな女子と、その特徴について

【モデル気取り自尊心高め女子】
ブランドのショッパーを繰り返し使っている、太っていないのに太ったと連発するなど

【ロリもどき自己愛沼女子】
おなかがへったらグミを食べる、「みるくてぃに浮かびたぁい」発言など

【仕切りたがり空回り女子】
なんでもすぐグループトークにしがち、いろいろタイミングが悪いなど

【ともだち依存系女子】
自分の意見はない、ボキャブラリーが貧困、とりあえず「ウケる」を使うなど

といった表現で掲載。それを「いると思ったらRT」「私だと思ったらFav」というハッシュタグとともに投稿した。

これに対し、「顧客をバカにしている」「女性を蔑視している」と批判が相次ぎ、瞬く間に炎上。投稿から5日後、キリンは同ツイートを削除し、「午後の紅茶に親しみを感じていただくためにイラストレーションを活用した」という説明とともに謝罪文をツイートした。

ただ、「午後ティー女子」のイラストのように、女性をおもしろおかしくデフォルメすること自体は目新しいものではないはずだ。例えば、横澤夏子さんの芸風はまさにこれだった。

では、何が違うのか。

それは自虐が成立するかどうかである。この場合、女性が女性をいじることは自虐になりうるが、女性ではない誰か(企業、男性など)が女性をいじるのはただの悪口であり、尊厳を傷つける行為にほかならない。

つまり、他者の尊厳が絡んでくるケースでは、当事者であるか、圧倒的当事者意識を持つ必要があるといえるだろう。

では、ロリエの件はどうだろうか。

「kosei-ful」プロジェクトのステートメントは、以下のような文言で始まる。

誰かが生理で休んだとき、 「お大事に」って口では言ったけれど、
心のどこかでは「生理で休むなんて…」と
思ってしまうことがあったり。

“生理は一人ひとり違う”
頭ではわかっていても、女性同士だからこそ
ついつい自分にあてはめて考えてしまうのが、
リアルだったりする。

これはどちらも、生理で苦しんでいる当事者目線ではないだろう。

ステートメントは次のように続く。

けれど、その違いを 受け入れ合うことができれば。
違いを“個性”ととらえることができれば。

主語が明記されていないのだが、この前段階で当事者目線が含まれていないことから、この2行は、当事者ではない誰かの言葉として読める。

それはつまり、当事者ではない誰か(苦痛を知らない人)が、当事者(苦痛に悩んでいる人)に対し、意にそぐわないレッテル(苦痛=“個性”)を無断貼るような行為に映るのだ。

例え当事者でなくとも、綿密な市場・ユーザー調査などを通じ、真摯に課題と向き合っていることが伝わっていれば、問題はなかっただろう。しかし、既出のコンテンツやインタビューからは、それが一切伝わってこなかった(むしろ、ブランドマネジャーが自身のことを「生理の悩みと無縁なタイプ」と発言したことを受け、「やっぱり」と納得してしまうところさえあった。それは本当に残念なことだ)。

もちろん、キリンのケースとは異なり、顧客を小馬鹿にしたり、女性を蔑視したりする意図がないのは理解している。悪意があったとは、1mmも思っていない。

それでも、誰だって、自分の問題を、自分の言葉で伝える権利があるはずだ。それを奪いとり、装飾し、勝手に美しいストーリーに仕立て上げられることに、NOと言う権利もあると信じている。

インタビューでは「私たちが変わらずに、社会は変えられない」という印象的な言葉が出てきた。願わくば、いつかちゃんと“私たち”になるために、その天然石のようにキラキラと煌く色眼鏡を外して、リアルを見てもらえるといいと思った。