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気づきメモ×自分

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気づいたことのメモ。書き留めておきたい。すぐ忘れちゃうから。
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11/25 並べられた食器の美しさ

  昨日、#なんやかんやファーム のなんやかんやキッチンで  仕事中の休憩をしていた時に、ふと、洗われた食器たちが  洗い籠に整然と並んでいるのをみた時に『美しい』と感じた。     私にとっての『美しい』とはなんだろう?という問いが湧いた。   この食器たちは、重なっている所がなく、  絶妙にすきまが開けられながら並んでいて、  このまま置いておくと、水気がきれいに飛ぶだろう。  並んでいる見た目も整えられていて、合理的で無駄がない。  そして、食器を並べた人の『これで

未熟者で面倒くさがりで怠惰な人間だからこそ

 自分は未熟者で、面倒くさがりで、怠惰な人間だからこそ、  準備を丁寧に、時間管理の技術を磨き、日々こつこつ怠らず、  やるべきことをやる。  自分は未熟者のくせに、自分の自信のなさを埋めるため、  人とのコミュニケーションから逃げるために、  成果を自分のものにしようとして、ひとりでやろうとする。  成果はだしてあたりまえ。成果は私の卑屈さを埋めるためのものではな  く、もっと大きなものの実現のためにある。  自分がやる仕事と、人に任せられる仕事とを分け、

『飽きる』=『向いてない』のか?!

私は物事に"すぐ飽きる"。 すぐ飽きるってことは、 『私はその作業が嫌いってことなんだ』 『自分に向いていないんだ、だから辞めた方がいいんだ』と、 40年間、反射的に思っていた。 そんな中、今朝パートナーの統治と話している中で ”康子はここ最近、ずっとPCでの作業をしていて飽きてるよね。” と統治が言った。 私は、PCの作業に飽きている。確かに。 (最早、仕事ではなくただの作業になっているほどに。) 飽きているのにやりつづけているから、 気が散って作業効率が下がってい

不安や恐れはどっから来てる?

先日のこと。 『私、4月に、5歳の娘と北海道にホームステイに行く!』 …と、一度決めたものの、 日が経つにつれて、 決めた時に浮かんでいた あれやこれやのキラキラが、シューン↓↓↓↓↓ と、輝きを失ってしぼんでいった。 北海道に行くことを、やめようとすら思った。 (自分が悲しく、辛かったなあ。 でも、やめることを決めようとしているのも また自分、という矛盾。。。) この『ものごとを一旦決めてから尻すぼみになる』 というのは 私が何かを決めて実行しよう、 という段階になっ

落とし穴にはまっている

 昨日のこと。  中々、人の言うことを受け取らない自分は、 「朝から、自分のやり方を変えよう (もっと楽なやり方があるよ)」 という考え方に、朝からいくつも出逢った。  何度も聴いている同じことだけれど、 一枚一枚、皮を脱ぐように、 実感を伴ってきているもの、 意味の捉え違いをしているもの、 があったことが分かった。    そしてその日の午後、作業中に トイレの便槽上のマンホールを 踏みぬいて、下に落ちた。 (まいっちんぐ、みたいにまっすぐしたに落ちた) 気が付いたら、地面

推測はどんな時に始まるか

 私が推測を始める時は、  私が相手の話を聴いて、分からないことがある時。  推測は、すでに不安に由来する思考。  私の場合の不安からの推測は 『自分なんて誰の何の役にも立たない』 『私はどうしようもない馬鹿だ』 『生きている価値なんてない』 『私の話なんてどうせ誰も聞く耳を持たない』 とかいう思考がベースにあり、それらを元に推測しているので、 推測の内容はかなり不穏なものになる。笑 『推測が始まった時=私が分からないことがある時。』 だから、推測が始まったら、すぐに

慢心しやすい人間なんだ

メモ 今日『私は慢心しやすい人間なのだ』と、 やっと腑に落ちた感じがしている。 清々しい。 特に『何かひとつステップアップした』と 思ったとたん、すぐ慢心し、思い上がり、 他のことでも自分のことでも、 2歩も3歩も後退するようなことをしでかす。 自分が出来たことを、 自分で認めるときのイメージが湧いた。 どうも、『やったぜー!パフパフー!』 っていう賑やかなイメージでは、 私はすぐ、あらゆることに思い上がり、 準備を怠る。 たどり着きたい場所に向かって、 慎重に確実

好き・嫌いの刷新

自分が好きだと思う人 自分が好きな表現の人 のことは、肯定する自分 自分が嫌いだと思う人 自分が嫌いな表現の人 のことは、拒否する自分 がいる。 『嫌い=拒否』という価値観だと、 自分が一旦『嫌い』だと思うと、 相手をその場から排除するか、 自分をその場から排除するか、 そのどちらかになる。 戦争は終わらない。 自分の中だけの好き・嫌いだけを観ていて、 相手のことは何も観ていないし、感じていない。 それで、相手が本当に言いたいことを聴く気もなく、 自分のフィルターを通

苦しみを感じたくない

今日は、ひとのことアカデミー 専修チャクラの第1回目だった。 瞑想を実践する時に どのようにするかの話だった。 実際講座中に、 参加者で瞑想をやってみた。 瞑想中、私は、主に ・足の痛み (身体が硬くなっているのだな。 今朝公園に行って身体を 動かしたな。気持ちよかったな) ・あごのかゆみ (お菓子食べ過ぎた、 老廃物が溜まっているのかな) 等、まず 身体の感覚に意識が向いて 思考がはたらくことが分かった。 が、それ以上は思考のループで 終了した。 この時の私は身

10/14 気付きメモ

・眼の前に起こる出来事は、自分自身が捉えている→『さて、なんのお知らせだろう?』と 自分に問う。 ・今日は、せかすくふれんずの実践読書会BOOQUESTにて第2チャクラのことを重点的にやる。第2チャクラの特徴であり問題となり得るのは『二極化したものの見方』。 好き・嫌い、損・得、など。 二極化から拡がる問いかけ例→『あなた/わたしは何故それを好きと捉えているの?それのどこが好きなの?』『あなた/わたしは、何故それを嫌いと捉えているの?それのどこが好きなの?』 ・好きなこと

10/3 他者について指摘する時

私から見た、人のある部分を欠点とみなし、 それらを指摘せずにはいられない状態の時は、 自分の持つ、全く同じ部分から目を逸らしていることがある。 ということを知った。 指摘が悪いわけではない。 人は鏡。 他者のある部分を指摘した自分がいたら、 常に自分に問おう。 じゃあ私はどうしたいのか。 私はどんな人間でありたいのか。 私は、他者から沢山のことを許されている。 私も、他者をたくさん許そう。 我慢ではなく。 と、出た。 ひとのこと イキハジ開闢での気づきより。

人を馬鹿にする/人から馬鹿にされたと感じる

 「相手が私のことを馬鹿にした!」と思ったとたん、  私は感情に飲まれて、相手に対して激昂しやすい。   感情が高ぶった自分は、面白いほど頭に全血流が集結しているのが  分かる。顔~頭がカーッと熱くなる。   すぐにその場で自分を省みるのが難しいことが多く、  一度、その場を離れて深呼吸をして落ち着いて、振り返ることが必要。   相手の言葉に対して、自分が馬鹿にされたと考え、  そのことに対して激昂する。  まるで『激昂するから、どうか見逃してくれ』と言わんばかりだ。  

意固地な自分

 私とは違う解釈をする人が目の前に来て、 その人がその人の解釈を分かってほしいと伝えている時。  私自身の解釈を、私が話しているようにまず受け取ってほしい、 相手がそうしなければ、私が貶められている。そんなことは受け入れられない!という考えに支配され。 相手が分かったような反応をするまで話そうとする自分がいる。 (分かった、ではなく、分かったような反応、で満足していることが怖い) そういう時の自分は、かなり意固地だ。 自分はまんまと被害者としてふるまう。 相手に対して、

検証しよう

自分に起こっていること、周囲に起こっていること 自分が感じたこと、自分が考えたこと ドラマに入る必要はない。 わたしの合言葉は『検証しよう』!