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挑戦と成長の軌跡:新たな出会いがもたらした人生の糧 10代

この自分史は、私が挑戦し、成長し続けた物語です。
どんなに困難な状況でも、夢を追い求め、前に進むことを
決して諦めなかった私の姿が、これからも自立を目指すすべての女性たちの
励みになればと願っています。
私たちが歩む道には、必ず光が差し込む瞬間があることを信じています。
そして、その光を見つける力を、私たちはすでに持っています。


母と私の旅路の始まり

私は、山を愛し挑む父と、一人で私を迎え入れた母のもとに生まれました。父が山々に挑む間、母は不安と孤独に向き合いながら、私をこの世に送り出してくれました。
母はよく、「あなたを産んだときは本当に寂しかったし、不安だった」と話してました。
その日から始まった私のこの世での旅路(ジャーニー)は、母の強さと深い愛情に包まれていたのだと思います。

母と姉と:新しいもの好きの父がカメラで撮影

10歳:そろばんとリズムに夢中だった日々

10歳の頃、私はそろばん、合唱団、書道という3つの習い事に取り組んでいました。
母の温かい愛情と教育への熱心さが、毎日の新たな挑戦を支えてくれました。
特に、そろばんを弾く音とリズムに心が躍り、その時間は私にとって特別なものでした。
検定試験の緊張感や、試験後のそろばんゲームの楽しさは、今でも私の心に鮮やかに残っています。

中学1年生:新しい生活と安堵の瞬間

13歳、中学1年生の私は、父の事業がうまくいかなくなり、母と姉と共に新しい生活を始めることになりました。
父は大手車メーカーのトップセールスマンでしたが、独立後の経営は難しかったのでしょう。
毎晩続いていた両親の喧嘩がやっと収まり、私の心に訪れた安堵感は言葉では表せないほどでした。
別居したその夜、初めて心から安心して眠れて、幸せをかみしめたことを、今でも鮮明に覚えています。

高校1年生:離婚と夢への挑戦

16歳、高校1年生の私は、両親の離婚という大きな出来事を経験しました。その時、私は新たな夢である海外留学への憧れを抱くようになりました。
学校の掲示板で見たポスターに「高校生交換留学」という文字がキラキラ輝いて見えました。
しかし、その夢を母に伝えた瞬間、「母子家庭だからできない」という現実の厳しさに打ちのめされました。
それでも、新聞配達をしながら少しずつ資金をためる私の姿を見て、母も次第に理解を示してくれるようになりました。
母がついに承諾してくれたときの喜びは、今でも私の心に深く刻まれています。
毎週通っていた映画館で、スクリーンに映るオードリー・ヘップバーンに夢中になったあの時間は、私にとって大切な癒しと希望のひとときでした。

高校3年生:カナダ留学での新たなスタート

18歳になった高校3年生の私は、ついにカナダへの高校留学を実現しました。
新しい環境に飛び込むことで、家族、友人、学校、そして言語や習慣さえも変わり、私の世界は大きく広がりました。
異文化の中で諦めず、自分を信じる力を育んだこの経験は、今でも私の人生の基盤となっています。

ホストファザー、ホストマザーと
初めてのダンスパーティでおめかし
ロッキー山脈
高校で作ってくれた皮ジャケットが好きだった

再び高校3年生:帰国後の逆カルチャーショック

19歳、カナダから帰国した私は、日本の高校に復学しました。
同級生より一つ年下の生徒たちと一緒に学ぶことになり、クラスメイトとの楽しい時間を過ごす一方で、逆カルチャーショックと学業の困難さに直面しました。古文と漢文は特に!あれは、別の言語を学ぶのと同じですよね。
あの時の経験は、今でも時折夢に出てくるほど、私の心に深く刻まれています。


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