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話半分癖

家族と話しているときに起こりがちなのだが、よく話半分、上の空、生返事、が多い。(自分が)

家族なんだからそんなものでしょ、とも思うし、多くの時間を一緒に過ごすからこそ身についた、ある意味の鈍感さ・スルー力かもしれない。

しかしさすがに自分はそれが頻繁だな、と自覚する。たとえ家族間だとしても。
話を全く聞いていない訳ではないが、ふいにハッとする。今自分なんて言った?と。

言われた意味の解釈もろくにしないまま、なんとなくの雰囲気に合わせて、無意識に「それっぽい返事」をする技術が妙に身についている。
しかし実際はボーっとしていたり別のことを考えていたりするので、問い詰められると聞いていなかったことがバレるのだが。


職場の同僚や友人と話すときには必要以上に肩ひじ張ってしまうのに、相手が家族になったとたんに、上の空生返事の雑な感じ。ギャップがすごい。
自分だって、家族を大切に思っているし、「あ、この人話聞いてないな」と感じたら寂しく思う。

なんでこんな感じなんだろう?と思っていたが、ふいに分かった。
緊張したくないからだ。

職場の同僚や友人との会話で緊張して、自分の考えをうまく言えなくて落ち込んでいたから。どうすれば楽になれるかを、多分家族を相手に実験していたのだ。

その結果、話半分、つまり相手に向ける意識を半分にすれば、緊張せずにいられる……対人関係で落ち込まなくて済むのではと思って、上の空で適当な返事をするようになったのだろう。
繊細で傷つきやすいなりに、自分を守る方法をいろいろと模索していたのだ。

しかし、それはあくまで相手への壁を厚めに築いて自分の感覚を鈍くする方法なので、家族間ではまだ許されても、社会の中では逆効果にはたらいて、悩みはなくならなかった訳だが。
いくら緊張への対策だからって、相手の話を聞いていなければ交流がスムーズにいくはずがない。当然だ。

そのため、家族間でだけ、その話半分の癖が残ったのかもしれない。

また会話だけでなく、仕事が多忙すぎたり自分に合っていないときに、あえて夜ふかししたりして、自分を疲れさせていた。
疲労であまり頭が回っていなければ、大変なことでも割と気にせず動くことができたから。

だがそれも、感覚を鈍くすることで乗り切ろうとしていた、諸刃の剣だ。


今はだいぶ健康で、心も以前に比べたらとても安定している。
そうしてたまに、この話半分癖のような、昔に身につけた癖に気付いては、取り払うにはどうしたらいいかなと考えている。

多分もう大丈夫だから、怖がらなくていいのよ、私。
大事な部分を、もう無意識に明け渡さなくていい。
過去の私を、守ってくれてありがとう。

古くなった分厚い壁は、ドッカーン!!と一気に粉砕こそできなくとも、きっとポロポロと、朽ちるように徐々に崩れている。
気長にいこう。




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