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「風をあつめて」の空耳ー競馬ワンダラーの主題歌とセンター試験の過去問「栄花物語」より

「風をあつめて」僕と重なった空耳

時は2000年代初頭。
僕の学生時代、一人暮らしのアパートに
ケーブルテレビのチューナーが
つくことになりました。

キレイな営業のお姉さんが、
ワンルームの壁に貼られた
エルコンドルパサー&99年有馬記念のポスター
(雑誌サラブレの付録)を見て、
競馬お好きなんですね!
 千円追加で、競馬見放題の
 グリーンチャンネルに入れますよ!

と勧めてくれたので、
「いやー、そうですか。ドゥフフフ」
と、鼻の下を伸ばしながら
グリーンチャンネルを契約。

ところが、というか当たり前なんですが、
見放題と言われても、
競馬は週末にしかやっていないので、
グリーンチャンネルの平日は
農業関係の放送ばかりなのです。

そんな平日の農業・畜産特集みたいなのの
合間にやっていた、「競馬」と名前についた番組が
「競馬ワンダラー」

見た目は真面目そうで、
でも話すといかにもザ昭和のギャンブラー
浅野靖典さんと
アシスタントの方が、
競馬にゆかりのある地方を
ワゴン「ワンダラー号」でめぐっていく、
という内容。

廃止になって跡形もなくなった競馬場の
戦前の資料をみながら、
住宅地の普通の道路を
「あー、このあたりが4コーナーだったんだね」と、
しみじみしながらワンダラー号で通っていく
という、シュールというか、ニッチというか、
マニアックすぎる番組。

まあ、典型的なダメ学生生活を送っていた僕は、
朝から大学に行くわけでもなく、
昼に始まる競馬ワンダラーをぼーっと見て、
ようやく動き出す、
というような毎日でした。

当時の僕には
大半はわりかしどうでもいい内容(超失礼)の
この番組で気に入っていたのが
主題歌。

「はっぴいえんど」というバンドの、
「風をあつめて」という曲

後々調べたらそりゃすげえや、
というバンドでしたが、
世代的には僕らより上の方々で、
当時の僕は全く知らず。

曲の雰囲気も素晴らしく、
そして何より歌詞が良かった。沁みました。

街のはずれの
背のびした路次を 散歩してたら
汚点(しみ)だらけの 靄(もや)ごし
起きぬけの露面電車が
海を渡るのが 見えたんです
それで ぼくも
風をあつめて 風をあつめて 風をあつめて
蒼空を翔けたいんです
蒼空を
 風をあつめて/作詞:松本隆 作曲:細野晴臣

きちんとした解釈などは

などのサイトに書かれています。

が、それはいったん置いといて…

というのが、
先ほど「沁みました」と書いたのですが、
僕にはこの歌詞が間違って聞こえていたのです。

3行目の「靄(もや)ごしに」が
「親の死に」というふうに

そんなわけで、
僕には以下のようにこの歌が聞こえていたのです。

背伸びした路地。背伸びした自分。
将来が定まらず不安定な自分を分かっていながら、
無理していきがって生きている。
そんな中、
シミ(歌でしか聞いてないので、歌詞が「汚点」とは露知らず)だらけの
自分とは意見の合わない、
年老いた親の危篤の知らせ
自分の気持ちと相まって、ぱっと見えた路面電車
(これも歌詞が「露面」とは露知らず。露面だけに)が
起き抜けー止まっていたけど、
動かなきゃと慌てている。
そして、電車は海を渡って
故郷の方へ行ってしまう。
取り残された僕も、風をあつめて、
空を飛んで、故郷に帰りたい。
けれど、自堕落な自分は、
親に合わせる顔がなくて帰れない。

風は、僕の思いだけでも、
青空を越えて運んでくれるのだろうかー
タスクマンの聞こえ方

いやー、作詞者(超大物!)には
大変失礼なのですが、
聞き間違えた「親の死に」バージョンの
僕の勝手な歌詞の解釈が、
当時の自分と重なって聞こえた
から、
少し泣けてきてしまったのです。

いや、現実の親は今でも元気なのですが、
自堕落な学生だったその時の僕は
親に合わせる顔がなかったものですから

今親が死んだら故郷に帰れるだろうか…
かと言って親に報いるように
今から大学を頑張れるわけでもなく。
そんな自分を重ねて。

そんな大間違いの結構な思い入れ
もっていたものだから、
正解を知った時には、ちょっとショックでした。
「あ、『靄(もや)ごし』だったんだ。
 ふ、ふーん。。。」

まさに「感涙いたづらになりにけり」。
いや、作詞者にどんだけ失礼なんだか。

風の音に重ねる思い

そんな記憶の彼方に封印していた
ズッコケエピソードを思いだしたのは、
塾の授業で96年センター試験本試古文
「栄花物語」
の過去問をやった時でした。

(リード文)藤原伊周・隆家兄弟は、藤原道長との政争に敗れて、伊周は播磨に、隆家は但馬に配流されている。

 はかなく秋にもなりぬれば、世の中いとどあはれに、荻吹く風の音も、遠きほどの御けはひのそよめきに、おぼしよそへられにけり。播磨よりも但馬よりも、日々に人参り通ふ。北の方(伊周、隆家の母)の御心地いやまさりに重りにければ、ことごとなし。「帥殿(伊周)今一度見奉りて死なむ死なむ」といふことを、寝てもさめてものたまへば、宮の御前(中宮定子、伊周の妹)もいみじう心苦しきことにおぼしめし、この御はらからの主たちも、「いかなるべきことにか」と思ひまはせど、なほ、いと恐ろし。北の方はせちに泣き恋ひ奉り給ふ。見聞き奉る人々もやすからず思ひ聞こえたり。

季節は秋。
世の中はいっそうしみじみとした風情になって、
荻(おぎ・ススキよりも白っぽいやつ)が
秋風にそよそよとそよぐ音が聞こえる。
北の方には、その音も、
遠く離れた息子伊周のいる
寂しい配流先のそよめきに、
自然と重なって聞こえてしまうのであった…。

荻を揺らす風の音を聴きながら、
息子を重ねて思ってしまう危篤の母親


逆に、
都に戻りたくても戻れない
息子の思いが風になって
危篤の母親に届いたのか、
なんてことを想像してしまい(誤読です)
「風をあつめて」の空耳とリンクしちゃって、
ちょっと泣けてきたのでした。

青春の「風の歌」

エルコンドルパサーの代表産駒
菊花賞馬ソングオブウインドの名前は
村上春樹の小説「風の歌を聴け」から
取られているそうです。

風の歌という表現は、
ありきたりかもしれませんが、
それは単なる音ではなく、
思いが乗っているということ。

「風をあつめて」の空耳のせいで、
僕にとって、風の歌とは、
青春時代の、故郷の家族への思い。
そして、風をあつめて届けたいのに、
いつまでも届かないもの。

そして親になった僕は、
娘が遠く離れた時、
風の音を聴いて、娘を思ったりするのかな。

と、しみじみと感傷的になるオッサン。
たまにはいいですよね、
青春って、そういうものでしょう。

まあ何はともあれ
「風をあつめて」は名曲です!
ぜひ一度お聴きください!

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