見出し画像

ワインコラム45:相貌認識能力

タイトルデザイン☆Ryoko Sakata
写真☆Masaru Yamamoto

先日バーで隣り合った女性に、あることで責められた。
彼女の話によると、或るワインバーで私に名刺を渡され、「エル・ボン・ヴィーノ」に行ったが、私が彼女のことを覚えていなかったことがご不満のようだった。どうやら4、5年前のことらしいが、改めて彼女の顔を見ても、何も思い出せない。しかしそうも言えないので、適当に話を合わせその場をやり過ごした。

接客業としては致命的な欠点であるが、私は人の顔を覚えることが苦手なのだ。
学問的に正式な言葉かどうか知らないが、「相貌認識能力」という言葉が、「相棒」というテレビドラマの中に出てきた。まさにその能力が私には欠如しているらしい。

「以前会ったけど誰だったかなァ……」、そんな人が親しそうに店に入ってくると緊張する。
こちらも、さも“知ってますよ“的な顔で話を合わせ、搦め手から探りを入れてゆく。ほとんどの場合、15分も話せば私の記憶も繋がるのだ。

道でそんな人と会ったときは、後で悶々としてしまう。
道端で15分も話が出来ないので、相手を確定するヒントが無い。挨拶は返すが、誰か分からないというのは悩ましい。別れた後必死に考えるが、最後まで分からなかったこともある。申し訳ない。

相貌認識能力が正常な人でも、同窓会では困惑することがあるだろう。
特に、未だ顔かたちが定まっていない時期である小学校の同窓会は、混乱するに違いない。

小学校卒業から40年ほど経った頃の、同窓会に出席したことがある。
案の定20人くらいの出席者の中で、半数近くの人は、相手から名前を言われるまで、誰か分からなかった。

その人とまったく関連のない場所で出会っても、誰か分からなくなることがある。
見知った人ならそんなことは起こらない。実際、ブルゴーニュのボーヌで知り合いに会ったときも、相手を認識できたし、新宿駅前で田舎の友人と会ったときも、すぐに認知することが出来た。

時々しか会わない人、とりわけ特定の場所でしか会わない人(八百屋のおばさんなど)、と違った場所で会ったときは頭が混乱する。
その人といつも居る場所はセットで覚えているので、それ以外の場所では、その人の記憶を引き出すことが難しい。

上野の方に美味しい中華料理店が有り、友人5、6人と行ったことがある。  食事を始めてしばらくして、若いカップルが店に入ってきた。そのカップルの女性が私に挨拶してきたのだ。にこやかに挨拶を返したが、誰か分からない。だいたい上野に知り合いはいないのだが。

悶々として食事を終えた。
店を出ても思い付くことはなく、電車に乗った。電車が新宿を過ぎた頃、やっと思い出した。

彼女は時々行くバーの人だった。
そういえば1週間ほど前、今日会った上野の中華料理店を紹介した覚えがある。

こんなことが1年に数回あると憂鬱になる。
しかしそれを忘れてしまうのも早いのだが。


いいなと思ったら応援しよう!