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「より良い人生を送るためには自分のままではダメ」を手放した〜わたしがHSPを受け入れるまで〜

HSP(エイチ・エス・ピー)という言葉を聞いてすぐにイメージできる方はどのくらいいるでしょうか。
関連本の発売などによりここ数年で言葉の認知は広がったのではないかと想像しています。

「HSP」=Highly Sensitive Person
本によっては「繊細さん」という言葉で表現されているのでそちらで聞きなじみがあるかもしれません。

HSPとは

HSP=ハイリー・センシティブ・パーソンは元々1996年にアメリカの心理学者であるエレイン・N.アーロン博士が提唱した言葉だそうです。視覚や聴覚などの感覚が敏感で、非常に感受性が豊かといった特徴を生得的に持っている人のことを表現したものとのこと。
病気ではなく生まれ持った性質で、HSPの割合は全人口の15%〜20%と言われています。

「HSP」を知ったきっかけ

「HSP」という言葉を初めて知ったのはもう4年以上前になります。
当時わたしは、「もう自己啓発系の本は読まない!自分のダメだと思う部分にフォーカスして悩んでそんな気持ちから本などは読まない!」と決めて実行していた時期でした。

苦手なことを克服しようとしたり、自分てなんでこんなにダメなんだろう、なんとかしなきゃと考え動いたりしたことにかなり疲れていたからです。

そんなある日、大型書店で本を探してウロウロしている途中、Pick Upで飾られていた1冊の本の前を通り過ぎました。通り過ぎる瞬間に横目に入ってきた文字が引っかかり、不覚にも気になってしまいました。気になった理由は、ダメな自分という気持ちに引っかかるような言葉が目に入ったからです。
つまり、わたしがもう読まないぞ!と考えていた類の本だったのです。

気になるけどダメな自分にフォーカスするのはもうやめたいからガマンだ!と言い聞かせながら抵抗していたのですが、最終的には誘惑に負け、ちょっとだけ見てみようとその本を見かけた場所に戻りました。

その本で初めて「HSP」という言葉を知ったのです。
自分がダメだなと思っていたところ(大人数が苦手とか)にこんな理由があったんだと知り、少し気持ちが軽くなりました。でも、読むのはちょっとだけと自分と約束していたので内容は少ししか確認しませんでしたが、HSPという言葉が気になり、その後すぐにインターネットで検索してみました。
そうすると、以前からHSPという性質を把握され生活している方のブログなどがあり、新しい言葉ではないことも知りました。

わたしは少しその性質があるのかもしれないという発見と同時に、ダメだと思っていることをなんとかしなきゃと考えなくていいのかもしれないと思い、そのときは自分のHSP度合いを深掘りする方向にはいきませんでした。

ただ、それ以来、HSPという言葉は頭の中にずっと残り続けました。

HSPについてふたたび考える

わたしがHSPについてあらためて意識することになったきっかけが2年ほど前にやってきました。

ある勉強のため学校に通っていたのですが、しばらくしてから隣の席の方に「HSPでしょ?」と言われました。「……たぶんそうです」と答えました。
その人は責めるとか否定的な意味とかで言ったわけではありませんでした。まさかこんなところでHSPについて知っている人に出会えるなんてという驚きの気持ちが大きかったです。

この一件から以前よりHSPについて気になるようになりました。
悩みが深くなったタイミングでHSPについてネット検索することもありました。

HSPの特徴をきちんと把握すると過去の出来事で腑に落ちるものがありました。

例えば、
・子どもの頃から気づきたくないことに気づいてしまうことはよくありました。
・大学生の頃には通学の電車内で感じた香水などの匂いに(キツイ匂いでなくてもどんな香水でもすべて)いつも気持ち悪くなっていました。
・大人になってからも、スーパーマーケットなどでお母さんが子どもに怒鳴っている声が聞こえた時に毎回胸が苦しくなっていました。自分が怒られているわけではないのにメンタルにきてしんどくなっていたのですが、何でこんな感じになるんだろうと不思議に思っていました。
・就職してからのことを振り返っても、すぐ気づくような状況なのになんで当の本人や他の人は気づかないんだろう、気にならないんだろうという体験がたくさんありました。
・特に2社目では「鈍感力」が欲しい、身に付けたいと感じることがとても多かったです。そうでないとこのままでは精神的にキツすぎると感じていたのでそういう発想になったのだと思います。

抵抗は終わらない

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自分が調べなくてもHSPという言葉をよく目にする、耳にするようになっていきましたが、逆に自分がHSPに当てはまってもHSPだと言うのが憚られるなという気持ちも起こりました。

世間で一種の流行りのような雰囲気が大きくなると真剣に捉えられなくなるのではないかとなんとなく感じたからだと思います。

「自分にはHSPの性質があるんだろうな」という中途半端な認識をあえて続けていました。自分にとって決定的となるようなものは避けていたところがあります。なぜなら「嫌いな自分から逃れられなくなる」と心の奥底で思っていたからだと思います。

わたしにとってHSPの特性に当てはまるものは苦しさの要因で、自分を好きではないほとんどの理由を占めていました。
WebサイトでHSPの気質を「才能である」などポジティブに解釈しているありがたい記述を見かけたこともありますが、わたしは強みなどと思えることはなかったのです。

また、詳しく知って多少気持ちは軽くなっても社会での生きづらさがなくなるわけではない、本質的に理解や共感できる人はあまりいないだろうという気持ちがずっとありました。

そんな気持ちから、HSPに関する本を積極的に読もうとはしませんでした。

他にはこんなこともありました。

タイプ診断テスト的なものを好む友人がいろんな診断テストのURLを友人グループ内でよくシェアしてくれていたのですが、あるときHSP診断テストが送られてきました。
でもわたしはそれをやってみようとは思わなかったのです。

HSPの性質が多少はあると思っていたから以外に、実は言うほどHSP度は高くないのではという「希望」を持っている自分がいました。診断テストを受けてその希望が消えるのを避けていたのだと思います。

(自分で感じていたとしても)社会で生きづらいタイプの人間なんだと確定するのが嫌だったのでしょう。HSPだと決定的になったところで状況や人生が良くなるとも思えない自分がいました。今まで否定的に捉えられることがほとんどだった性質が、HSPというラベルが貼られて何が変わるんだろうという気持ちも大きかったのだろうと思います。

その診断テストを知ってから1年以上経ち、ふとやってみようと思えたタイミングがありました。
診断結果は、
HSP度【強】:非常に強いHSPの可能性があります
と出ました。
(−52〜140のスコアで判断するテストでわたしは113でした。マイナスのスコアの友人もいたようです。人にはいろんなタイプがいるんだなとこの狭い範囲でも実感しました。)

結果を見てあきらめはつきました。抵抗するのはやめようと。ムリするのはやめようと。自分に「ない」ものを追いかけてしまうことから抜け出さないとと。

HSPに対して「なんとなく」から「真剣に」と気持ちが切り替わりました。何かを判断する・選択する際にHSPを踏まえる意識を持とうと考えるようになりました。

HSPへの抵抗をあきらめた後に得たもの

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前述した通り、もともと「自分を変えたい、内向的なところを変えなければ」などと考え、苦手なことや嫌なことをずっとがんばり続けていました。
良い方法ではなかったなと気づいたタイミングはありましたが、いざとなるとついそちらの方向にいきがちでした。

社会(や会社)で求められるタイプ(社交的である・非常に積極性があるなど、HSPとは真逆のタイプ)に近づかないと結局は人生うまくやっていけないという思いが根本に残っていたからだと思います。

HSPへの抵抗をあきらめた後に救いがありました。

3年ほど前に友人になった人がいて、社交的で大人数が苦手にはまったく見えず、楽しく人の中心になるような人でした。
話す機会が増える中で知ったのは実は彼女は大人数で過ごすのは嫌いで、社会で成功するためには必要な行動だからいろんなことを頑張っていたと。とんでもなく驚きました。

また、彼女もHSPだと共通の友人が話していました。

その彼女といろんな話をしていると、一見わかりにくいところから良さを見つけて言葉にしてくれたり、わたしの性質をきちんと理解してくれたり、身近に1人でもそういう人が存在してくれていると感じられた瞬間の感覚は今も忘れられません。

HSPへの向き合い方はやっとスタート地点に立ったところですが、心の底から安心して話せる人がいることは人生においてとても重要だと日々感じながら生活しています。


Text by nakagawa momo(フリーライター)

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