流産したから起業する

端的にいうとこうなのだけれども
文字にするとパワーワードだな。

---

最近、流産というものを経験した。

2人の子がいるため
3なすびちゃんが!?
来た!?となった直後に。

もともと、私は2人の子のお母さんの人生だな!
という思い込みがあった。

自分の実家に酷似した
次男坊が家を継ぐ、という嫁ぎ先を選び

共に、別居が基本困難な状況で

大好きな母と同じく、
家庭内人間関係で苦しくなり
そして自分が姉で弟がいるという状況なので
それに倣うかのように同じ性別の構成年齢で子を産み。

なので、2人のお母さんの人生かなと思っていた。

そうしたところ、3なすび🍆

判明した時、3人のお母さんの人生に変化したの?!と
ビックリした。

自分と向き合って、心が身軽になり
日常でバリバリ仕事をしながら
教習所に行ったり金継ぎしたり
デザインや動画の勉強をしたり
未来に目が向くようになったから

お母さんが好きなので、お母さんの真似をする
小さな子供なようなことやってる人生から変化したのか?!とか。笑
色々考えました。

まず、初めに、今の仕事が確実にできなくなる日が来るから、
ごく近い、私の仕事を理解できる同僚に、
軽く私の仕事を引き継げる人がいるかを確認した。

そうしたところ、
い…いない、かもしれない、と。

私が、、引き継ぎます…と
私より能力の高い、忙しすぎて大変な事になっている同僚から返事が来た。

これは…まずい…

と思い、最速で復職までの予定を考え区役所に電話、
認定外保育園を探し電話し、
結果、どうしても産んだ後2ヶ月と少し
休まなければならなくなると分かった。

でも、これが最速。

通常生活と教習所、
学習、習い事を同時並行し、妊婦生活を送る
というスケジュールを立て、通院したところ

赤ちゃんのお部屋はあるのだけれど
本人が不在です、となった。

流産です。と。


その時、

あら?
すごい緻密に組んだスケジュールじゃなく?
なった?ね?

と気が抜けると同時に

これ、なんで自分が引き起こしたのかな?
と問いかけが始まった。

問いかけっていうのが
自己否定ではまったくなくて

目の前の、人
目の前の、状況
目の前の、環境
全て
その人、その状況、その環境のせいにして
自己逃避するのをやめたので

ここから何を学ぼうとして起こした事なのかな?
という視点で考える習慣が付きつつあって

家族が経験していて
自分がした事がなかった事だったので
家族の気持ちを深く知るキッカケ…か?

とか

考えたけど、しっくり、コレだ!とならない。

起きた事は、一見ネガティブな事なのだけれど、
なんでなんだ!と自分を責めるとか
自己否定に走らなかった。

また、縁のあるところへお行きなさい、
バイバイ、という感じだった。

そういう自分、成長したなぁとも感じて。

そこから、自然な排出を待つ生活をしながら
仕事でツールの移管に忙殺され始め
自分が自分の人生の舵を取る!とやっていたのが

微妙な体調の悪さを抱え
ひたすら待つステイ状態にモヤモヤしつつ
渦潮に呑まれて仕事をする日々。

仕事が私の人生の舵を取ってる、というような感じだった。

それを超えて5月末に、
夜自転車を漕ぎながら
この体験をしたのは、このためだったのか!!!と腑に落ちた。

それが、
『仕事において自己評価をするため』
だった。
はい?と思うと思われるかも知れないけど

私は、自己評価が低いまま社会人をやってきたので
給料交渉、待遇改善、どれもこれも
した事がなかった。

自分から。

出来るはずもなかった。
私がやってる仕事は誰でもできるよ、と思っていたから。

でも、3茄子ちゃん出現での引き継ぎ探し
流産、そし小産※を待ちつつ、ツールの移管をしていて


十月十日での出産を大産と言うなら
流産は小さなお産といわれる小産と言うそうです。

私、、私のやってる事って
価値がある仕事、し、してるよな?!
引き継ぎ先がない上、このツールの移管、責任とって舵取りして設計してフロー構築して
他チームにおろしてオリエンして
改修してとかやってる、自分で計画立てて。

私、価値ある仕事…してた?!ってこと?
してたわ!!!!
と初めて思えた。

こんなにもお膳立てしないと、思えなかった。
誰でもできる仕事をしている、と思っていた。
学んだら。
やり方さえマスターすれば。

でも、
エンジニアに依頼するほどではないけど、
現場で必要な集計フォーマットや
データベースを
応用と応用と応用と応用を駆使して作るのを引き継げる先が無かった。

なので、先日
生まれて初めての給料交渉をした。
雇用契約の形も希望の形を含めて伝えた。
会社の仕事以外の仕事も生んでいくつもりだし、
個人契約できない場合、副業申請する話もした。

怖かったし、緊張したし、ドキドキしたし、
なんなら、すると決めたら風邪をひいて
発熱した状態で話をした。

具合悪ければ先延ばしにするんでしょ?
だって責任取りたくないもんね?
自分の人生の!
と、内なるエゴに言われている気分だった。

コンフォートゾーン、安全圏にとどまろうと
変化するのを阻む自分の中の自分は強力でした。笑

私、得た分の仕事は、ちゃんとしますし、と話したら
いや、知ってますよ!と言われた。笑

泣ける。
私が知らなかった。

4年前、ライスワークから脱却したい、と
叶えたい事の一つに書いた
出来るかなんて分かんないけど自信も皆無だったけど
やってみたい事だった
悩み問題点はもちろん解決したいけど

本当はこうなりたい!ってのがあるじゃん。
こうなってみたーい!
とかいうミーハーでも良いからそういう気持ち。

それを追いかけられるように、なって来たよねぇ…
なったよ。
キッカケをくれたよ。

小産の経験も、なかなか筆舌尽くしがたい。

おそらく、悲しみが大きいためか、調べても自然な排出を待つ体験を書いてくれている人があんまり居なくて。
確かに、小産といわれるものだった。
私は、フラットに近いメンタルで受け止められて良い経験にしたと思う。

本当に、ありがとう、3茄子🍆

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?