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無知の知 -名刺交換と障害-

先日、ろう者と一緒に、学生に手話を教える機会がありました。
疑問文の作り方というテーマだったので、学生からろう者に質問をしてもらいました。
その時に、学生から「好きな歌手は誰ですか?」という質問がありました。
ろう者は「耳が聞こえないから、歌は分からない」と答えたので、学生は「ああ、そうか」という反応。
このやり取りを見て、過去の出来事を思い出したので、それについて書きます。



とあるイベントで、視覚障害をお持ちのAさん(仮名)と名刺交換をする機会がありました。

Aさんは、にいまーるの活動に理解を示してくださっており、以前からメールを通じたやり取りがありました。
今までお会いできていなかったので、この機会にということで、ご挨拶させていただきました。

Aさんは耳が聞こえるので、音声日本語で会話することができます。会話だけであれば、意思疎通はスムーズです。

実際にその時も、ファーストコンタクトから名刺交換までは、何事もなく順調に進んでいました。
名刺交換までは。

Aさんが胸ポケットから名刺を取り出したのを見て、僕も名刺に手を伸ばし、名刺交換に備えました。
名刺を突き合わせて、Aさんの名刺を受け取り、自分の名刺を渡す、、、と思いきや、僕の名刺は僕の手に残ったまま。
Aさんには、僕が名刺を構えている様子が見えていないので、当たり前です。
今考えると分かることですが、当時の僕は軽いパニックです。

「どうやって受け取ってもらえばいい?」
「見えないから必要ないという意味か?」
「渡すのは失礼か?」

混乱状態でたどり着いた結論は、「Aさんの手を取って名刺を握らせる」でした。

考えうる限り最も悪手、失礼な行動だったと反省しています。名刺を渡せないまま終わる方が、まだマシだったかもしれません。

実際にお会いするのは初めてでしたが、Aさんが視覚障害をお持ちであることはあらかじめ知っていたので、心の準備というかなんというか、少なからず心構えはしていたつもりでした。

ただ、咄嗟に対応できるほど、自然に行動を変えられるほど、視覚障害について理解しているわけではなかった。そしてそれを自覚していなかった。

その結果、無断で手を取り名刺を押し付けるという選択に至ってしまいました。

「もしよろしければ私の名刺を受け取っていただけますか?」とか、「ご不要でしたら捨てていただいても結構ですので」とか、一言声に出す方法もあります。
あるいは、「普段、名刺は受け取らないのですか?」と質問しても良かったかもしれません。


この失敗を通して、「無知の知」の重要性を痛感しました。
無知の知(または不知の自覚)は、「自分は、自分がそれを知らないと知っている」ということです。

博識な人に「引き出しが多い」という表現を使います。この表現になぞらえれば、無知の知は、自分に引き出しがないこと、または引き出しの中身が空であることの自覚と言い換えられると思います。

先の名刺交換を例にとれば、僕は「視覚障害」という引き出しを持っていないわけではなかったけれども、引き出しが空っぽだったのです。

冒頭の「好きな歌手は誰ですか?」という質問も、学生の中の引き出しの中身を振り返る一つの契機になったかもしれません。


これまで、手話や聴覚障害に関わる活動してきた中で、気付いたことがあります。
それは、聴覚障害について知るきっかけがあまりにも少ないということ、そして、運良くきっかけを掴んでもその次のステップがないということです。

社会に理解を広めるには、無知の知、知らないということに気づいてもらうことが必要です。多くの人の中に手話や聴覚障害という引き出しを作り、その中身を増やしていくことこそが、不可欠です。

にいまーるは、皆さんの引き出しの中身を充実させる情報を発信しています。また、その知識を活かす場を提供しています。
ぜひ、にいまーるのホームページやSNSをチェックしてみてください。



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