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”軸”が無いからこそ自分の中の原体験との再会が重要なキッカケなる。という話

相談の内容で

「何をしたらいいか解らない…」
「自分が何が出来るか解らない…」

という悩みが多くなってきています。

ここで重要なのが、昔からそうであった訳ではなく様々な経験の中から

「解らなくなってきた…」

という方が多いという事です(/ω\)

では、なぜ解らなくなってしまったのか?対談する中で相談者が相談する先はたいていが”友達”が多いようで、人それぞれ答えは違うようです。
※家族に相談する方もいますが、若い世代だと家族よりも友達に相談したりネットで情報収集する方が圧倒的に多いです。

結果的に、自分自身の価値観の中で悩んでる内容に、多くの外部からの価値観が混ざり合う事で迷宮入りしてしまうようです。

例えば…洋服選びなどでも

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自「どっちが似合うと思う?」

他「えぇぇぇ…こっちかな?」

自「ありがとう!こっちにするね!」

他「あ!でもこっちはこっちでいいなぁ…」

自「じゃあこっちにしようかなぁ…」

他「あ!でもでもこれなんかも…」

自「え?それはいやだなぁ…」←心の声
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と思いつつも本来自分が迷っていた物とは違う外角からのものを選んでしまうのは、聞いた手まえ他者の意見を”聞かないと”と思うからのようです。
もちろん”参考”になるものも多いと思うので全部が全部ではありません。


しかし相談者の話を聞いていくうちに自分自身が解らなくなる3大要素が見えてきました。それが

①否定(嫌われるのが怖い)
②命令(反抗するのが怖い)
③失敗(怒られるのが怖い)

上記の3つの要素です。

ではなぜ、自分が解らなくなるのか…上記のポイントから順番に相談者との対談から得た実話をもとに書いて参ります。

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1.否定をされる事で肯定感を失う

誰しも一方的に”否定”をされると落ち込みますよね…もちろん私も真っ向から否定されると流石に落ち込みます。

否定の中にも2種類あると思っていて、1つ目は根拠のある「否定」です。

例えば明らかに無謀な行動をしようとしている場合、行動者を止めにかかったりした事は皆様にもあると思います。

・明らかに返済不能な借金
・話が嘘くさい儲け話など

上記のような時には、なぜその行動が危険なのかを説明できなければ相手はそのまま進んでしまうと思うので、あらゆる危険である根拠を提示しながら話します。

これは”行動”に対する否定なので、目的は”止める”ことです。

相手が止まってくれたならば、そして止まった結果危険を回避できたのであれば逆に感謝される結果となります(*^^)v

では肯定感を失う否定とは、これまでの経験や価値観を根拠もなく頭ごなしにしてくるものを指します。例えば

・お前にそんな事が出来る訳ない!
・私の言うとおりにしとけばいい!
・一般的にみてもそんなの非常識!

このような場合です。

たいていがただの先入観や固定概念による決め付けで、頭ごなしに相手の価値観を踏みにじってきます。「なぜ?」に対しても明確な理由は無く「ダメだと言ったら駄目だ!」なんて言われたら納得ではなく”従う”になってしまいます(/ω\)

こうした経験から「私が何を言ってもどうせダメだ…」と自分の可能性や価値観を自ら否定する事になっていくんですね。こんなの誰でも自分が解らなくなって当然です!

そうしてマウントを取ってくる人ほど、責任は取らず風向きが悪くなると

「最終的にはお前が決めたんだ!」と突き放してきます…。本当にタチが悪いですね(泣)

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2.命令され続けると自分で考える事を諦める

昔からやることなす事”決められて”生活をしてきた方に陥りやすい事です。

・お前はこれをやりなさい!
・それは私の好みじゃないからこっちをやれ!
・そんなのダメだ!認めん!こうしなさい!

最近では教育業界で問題にもなっていますが、個性を”殺す”教育とも言われております((+_+))

「そんなの〇〇のエゴだ!」なんて言いたくもなりますよね?しかし肯定力を失うと、この理不尽な命令に個性が介入する余地はありません(/ω\)
<エゴの意味>※補足です
エゴには3つの意味があります。

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1、自我、自尊心
2、利己主義な考え(自分の利益だけを考えること)
3、利己主義な人
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語源のラテン語では「私」を表わす言葉のようです。
ようは自分の考えを根拠もなしに押し付けるという事ですね…汗

「 自分の利益を最優先し、他人や社会全般の利害など考えようとしない態度」という意味から、他人に対して「自己中心」という意味でも良いでしょう。

なのでエゴは自分勝手で周りのことを考えていない、自己中心的な人間を指すときに使います。「エゴがむき出しだ」というのは、「自分の欲がむき出しだ」と考えればわかりやすいです。こんな人の近くにいたら、自分の事が解らなくなって当然です(/_;)

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3.原体験を取り巻く環境が更に失敗を招く

最後は失敗にまつわるお話です。

前に上記の記事で失敗が悪い訳ではない事を書かせて頂きました。

失敗は行動してこそ初めて出る「結果」という財産です!失敗をしないという事は材料が無い状態で料理をする事と同じくらい無謀な事です(/ω\)

そしてそんな失敗の価値を他人に委ねてしまってはもちろんただの「ゴミ」としか扱われない訳です(T_T)/

味にも文化にも違いがあるように、失敗にもその人のこれまでの人生観や、失敗に至るまでのストーリーがあります!

そんな唯一無二の価値を、他人に頭ごなしに否定されたら…自分の事が解らなくもなりますよね。

 失敗は、その人の原体験を構成する重要なプラスの経験です。その原体験が他人によって捻じ曲げられてしまっては、元々の自分の価値を見失い、その先のコントロールが効かなくなっていくんだなと感じています。

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以上が、これまで相談者の方と一緒に歩んできた「自分が何をしたらいいか解らなくなる」という経験談です(T_T)/

あらゆる事象を先入観で片付けず、しっかりと相談内容と向き合っていく事は、忘れていた自分の原体験との出会いになります。

悩みは一人で抱えず、是非ご相談下さい。
本来の自分自身を形成していた素材を知るいいキッカケとなるように。

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