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敷かれたレールを外れて初めて”自分”の原体験と出会えた。

上野 栄輔(Ueno eisuke)
38歳 男性 O型 てんびん座

株式会社JoB-up(2018.07~)
執行役員/人生再活性のプロ/のべ1,000名以上の人生の悩みをアップグレード/生きにくい世の中から心を解放する事が信念/幼少期の原体験は圧倒的な劣等感/無能と言われ鬱を発症/転職8回経験/失敗こそ最幸の財産と解く/挑戦を楽しむ行動力と思考力がスキルマ/誰もが人生を活性化できる「大人のキッザニア」を創る事が人生の目標

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【目次】
自分の感性を表現するのが好きだった幼少期
他人と比べられ”劣等感”を感じながら生きた児童期
隠れて跳ね返っては自分の存在確認をしていた思春期
レールが途絶えた…
突きつけられた言葉
失敗は決して悪いものじゃない

生まれた瞬間から敷かれたレールを辿った幼少期
警察官一家の次男としてこの世に生を受け、周りは見渡す限り公務員という環境でした。嘘のような話、本当に知り得る親族から知り合いまで公務員一色です( ゚Д゚)この世は公務員しかいないのか!?というくらい閉鎖された空間ではありました(笑)
4歳年上の兄も同じく将来は公務員を目指すことを決めていたので、私も何の迷いもなく「お巡りさんになるんだろう」という思いで幼少期を過ごしていました。

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他人と比べられ”劣等感”を感じながら生きた青年期
敷かれたレールに沿って歩くにも色々悩みはありました。
「上野さんところの息子さん」と、私はそういう代名詞で呼ばれる事は多かったように思います。
兄はその期待に応えるように真っすぐ進み、その兄と比べられながらイマイチいつも上手くいかない私は自分に強い劣等感を抱くようになっていました。
「お父さんも、お母さんも、お兄さんも立派だからさぞかしあなたも」
この言葉にかなり苦しめられた記憶は今でもあります(+_+)
期待に応えよう!やらなきゃ!と力を入れるとなおの事上手くいかないもので(笑)私はそんな出来ない自分を「本当にここの家の子供なのかな?」とか「いないほうがいいのかな?」なんて考えたりしては、よく陰で泣いてました。

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隠れて跳ね返っては自分の存在確認をしていた思春期
劣等感は自分の存在価値を見事に食べていきました( ゚Д゚)
そんな心の葛藤と闘うように人並みにひん曲がった時期もあります(笑)
人がやらないような事をやってみたり、優等生とは真逆の事をしたり、喧嘩しては強い弱いで判断したり、、「自分はココにいる!」という思いの表現が上手くいかずもがき、かといって親の顔に泥を塗るまでの根性も勇気もなく隠れては自分自身の満足の為に色んな事をしました|ω・)

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レールが途絶えた…
兄の背中を追うように、進む道もまた常にそこに目的や目標なんてありませんでした。「お兄ちゃんがやってるから」という理由で小学生時代は野球を、中高はラグビーをやり(私はキャシャだったのでとにかく骨という骨を折ったり靭帯切ったりしてましたが(笑))、大学では陸上競技を行い、とにかく体力づくりに精を出しました٩( ''ω'' )وそして兄は見事に公務員試験に合格し、夢であった「警察官」になり、そこで出会った同期の方と結婚をし、またまた公務員サークルは拡がっていくのでした(笑)

そうして迎えた就職活動の時期、大学で専攻していた心理学の知識もいかしながらちゃくちゃくと公務員試験に向けて準備を進めていきました。
試験の時にもやはり「あぁぁ、上野さん所の息子さん!お父さんもお兄ちゃんもいるから次は君の番だね!」と面接でも特に話題は自分よりも家族のネタが多く、そのまま春からの生活の話で盛り上がり終えたのでした。

こうして敷かれたレールの上を、特に自分で努力や考えを持つ事も無く与えられた材料の中で順当に育て、わかり切った結果を待つのでした。

しかし、私を待っていたのは”不合格”の3文字だったのです。

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突きつけられた言葉…
どうやら私は”先天性色覚異常”ということらしい。
聞いた事もなかった言葉なので最初は理解できなかったが、簡単に言うと色は見えているけどある色だけは識別できないという病気。

さすがの私も同様を隠せず、「何で俺だけ!?」と焦りまくりました(; ・`д・´)私の原体験は”劣等感”です。このままでは自分が何のために生まれてきて何のためにこの家族と一緒にいるのかさえわからなくなってしまいます。

人生で初めて、理由はどうあれ努力しました(笑)本気でこの現状をどうにかしようと、病気の事を勉強したり、海外から文献や色覚テストの教材を取り寄せたり、コンタクトに色を塗って目に入れてみたり、、。

そうして最後のチャンス、二度目の公務員試験に臨みテストを行いました!努力?が報われテストは正常にクリアしたのです(=゚ω゚)ノ

「やった!これで自分がいる意味が出来る!」と喜んでいた矢先、面接官に言われた驚愕な一言は今も忘れません…(笑)

「君、不正はよくないよ。だって目の異常あるでしょ?これね、治らないんだよ」

時間が止まりました…。これが時間が止まるという感覚か!?というのを体感しながらも目の前の人間が発した言葉を理解できなかったのです。

そして追い打ち

「この先も警察官は諦めて他の仕事に就きなさい」

自分を何とか繋ぎとめる為の感情は、どうにかして目の前の人間に怒りの感情としてぶつける事で保てました。

そして私のレールは完全に途切れました。
今となってはこの最悪な言葉が、私の行動の支えにもなっている最高の原体験にもなっています(*^^)v

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失敗は決して悪いものじゃない
レールを途切れさせた言葉は、自分自身でレールを創らなければという新しい原動力を同時に作ってくれました。
但し、映画やドラマのように壮大なサクセスストーリーなんて待っていません。それこそ待っていたのは社会人としての洗礼でした(笑)

・自分から考えてこなかったツケ
・会話力を鍛えてこなかったツケ
・指示待ち人間としての他責グセ
・劣等感から染みついた逃げグセ

恐ろしい数の失敗をしては、その振り返りもせずただ他人のせいにしたり環境のせいにしたり、こんな身体に産んだ親のせいにもしたりしてました。

・転職8回
・破産
・バツ2
・抑鬱
・自殺未遂

おおよそ人間が避けて通りたいと思うリスクを私はなぜかことごとく全て経験してしまうのです(笑)その結果、それは誰のせいでもなく自分自身の考え方や人生の送り方だと気付けました(=゚ω゚)ノ

失敗は、自分のなかでただの失敗で終わらせてしまっては意味が無い。失敗した経験こそ、下手に成功させようと背伸びした景色よりも沢山のリアルな景色を魅せてくれるのです٩( ''ω'' )و

その事に気づいてからの私は、失敗を恐れるのではなく上手くいかないことほど楽しめるようになりました。

なぜなら上手くいかない事には必ずうまくいく方法が隠されているからです。上手くいく方法は簡単には見つかりませんし、常にカタチを変えて進化していきます。失敗はその変化に対応できる柔軟な発想や方法を教えてくれるのです。

私の中の”劣等感”はいつしか、出来ない事を出来るようにしたいという臆病な性格を見事にプラスにしてくれました。

失敗を恐れていては、知らない事や知れない事は永遠に闇の中です。闇の中のものは実態がつかめず、ずっと”恐怖”としてしか存在しません。

その事が誰よりも解るから、そして誰よりも失敗を重ねてきたから、私は今この仕事に、自分の生き方に誇りを持っています。

自分の苦しかった経験から得た知識や試行錯誤の方法が、目の前の人や悩んでいる誰かの笑顔や希望に変わる事を知った時、過去の原体験は未来に向かって輝きだすのだと思っています。

【劣等感がくれた恩恵】
■コミュニケーション能力の改善
株式会社関西マツダ 新車販売/新規営業
関西地区販売台数1位、全国販売台数コンテスト5位

■マネジメント能力の改善
株式会社GROP 人材派遣/教育/マネジメント
累計3,000名の管理、新規受託案件の立上げ、メンバー募集/教育

■マーケティング能力の改善
株式会社ププレひまわり 薬品/日用品/食品の小売り販売
119店舗中売上実績1番店、顧客満足度1位獲得 新規事業店舗の企画立案

■ホスピタリティ能力の改善
株式会社オリエンタルランド テーマパーク事業/店舗販売業

■マーチャンダイジング能力の改善
株式会社ドン・キホーテホールディングス(現:株式会社PPIH)
関東地区ディスプレイコンテスト優勝 、坪単価売上全国1位
消耗品カテゴリー部門5位、店舗月販1億円を達成

■テクノロジー能力の改善
株式会社ユーアイ ゲーム制作事業/SES事業
創業間もないスタートアップで1からゲーム事業部を立ち上げ
取引先拡大を行うために商品企画を行い、大手メーカーとの商品化に成功

■ヒューマンリソース能力の改善
ITソリューション系ベンチャー企業 人事
採用計画の企画立案、チャットボット導入、新規事業企画立案

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