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小説「実在人間、架空人間」第六話

「人を引き上げるって行為は、思ったより体力を使うんだ、人一人どう軽くたって30キロ、男なら50を超える、それを手だけで支えるのは彼には悪いけど、どう見たってそんな細腕じゃ荷が重い」

 それを聞いた下地は、

「……や、やっぱり、そうですよね」

 と言って、ごめんなさい、ごめんなさいと、怯えた様子で何度も謝った。

「誰も下地くんを攻めてないですよ、ですから謝る必要なんて無いんですよ?」

 伊東が言った。

 まったくその通りだ、彼が謝る必要なんて何処にも無い。

「それに対して俺は彼とさほど大差なく、この中では彼の次に背が高い、体力にも多少自信がある」

「はっ、どうだかね、ただの木偶でくの坊って事も十分有り得るわ」

 女が気に入らないといった様子で先崎に言った。

「ふん、まあいい、俺が駄目なら彼に任せれば良い」

「まあまあええやんか、俺は先崎さんにまかせるって形がええと思うんやけどなぁ」

「私も松葉と同意見だ、皆はどう思う?」

 できるだけ私は先崎にまかせたい。

 体力的な問題からやはり下地には荷が重いだろう。

 もし支えが利かなくて落下して骨折ともなるとこの状況では治療すらままならない、それは最悪死を意味する。しかし下地のあの臆病な素振りを見せられると同情心から皆が下地に任せてしまう可能性もあるし、松葉が先崎に好意的な意見を言っている今、先崎に任せられる流れにもっていける可能性を考えて、皆の意見を促す形で松葉に同意した。

「私は下地さんでもいいと思いますよ、勿論先崎さんでも」

 伊東の意見、彼女なりのどちらも立たせる言い方で、先に下地の名を言う事で下地を元気付けているようだ、ここで票が割れると厄介だが……。

「俺は先崎さんかな」「私は先崎さんかな」

 よし、過半数が先崎を指名している。

「私はこいつにまかせるぐらいなら、彼が良いわ」

 女はそう言って下地を指差した。

 これは下地が良いというよりも、先崎が嫌いだと言っているようなものだ。

 続いて最後の票を残し、皆が部屋の隅を見入る。

「……」

「ほんま、聖騎せいきくんは心開いてくれへんなぁ」

 部屋の隅で興味が無いといった様子で紫キャスケットの子はさらに深く帽子のツバを下げた、名を聖騎というらしかった。大人びた黒のテーラードのジャケットに、子供らしい紺色のサロペット、中はクリーム色のニットという出で立ちが、この子の今の心境に非常にぴたりと符号している。

「それじゃあ、先崎さん、皆もこう言ってるんだ、お願いできるかな?」

 ここは女の先崎の否定的な意見をさっさと流したい、私は聖騎の意見を聞き終わる前に、先崎に促した。

「ああ、分かったよ」

 良かった、これで万事上手く行く筈だ。

「ごく一部が、異常に俺を嫌っているって事がね」

 これはまずい。

「ふん、その一部ってのは私の事かしら?」

 何だってこんな時にこの二人は……。

「誰もお前の事だとは言っていないが、何か心当たりでもあるのか?」

「あなたね、子供みたいに一々つっかかって来ないでくれる?」

「子供はお前だろ、一部って言葉に反応してるのが良い証拠じゃないか」

 松葉はこんな時にでも自身の眼鏡のブリッジをクイっと上げる。

「まあまあ、もうええやんか、俺らは先崎さんがええ言うてるんやから」

 いいぞ、松葉、その調子で頼むぞ。

「うるさいわね、あんたは喋んじゃないわよ、馬鹿がうつるわ」

 眼鏡のブリッジを、

「はあ?何であんたにそんな事言われなあかんねん!」

 クイっと上げた。

 駄目だ松葉、ここは我慢するんだ。

「俺らはな、こんなとこからはよ出たいねん、あんたの、個人的に先崎さんを気に入らんとか、そんなしょうもない理由で全員帰られへん事態になったら、どないしてくれんねん!」

 これは最悪の事態も考えないと。

 しかし、下地に一旦お願いするとしても不安が残るし、彼を支える人もこの部屋に残る必要がある。この流れだと先崎が足場を担当してくれない可能性も出てきた。華奢な下地といえど、女性や子供らには下地を担ぐのはきついだろう。

「そんな事、私の知った事じゃないわよ、こいつが大人しくしてればそれでいいのよ」

「分かった、俺はもういい、そいつがやれ」

 先崎が内ポケットから煙草を取り出し、オイルライターで火を点けた。

 一息吸うと、溜め息を吐くように煙を吐き出し、奥へと歩いていった。

「こんな時に煙草だなんて、人の迷惑も考えて欲しい物だわ、まるで社会のゴミね」

「ふん、それ以下だ」

 そう言って先崎は壁を背に座り込んだ。

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