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小説「実在人間、架空人間」第八話

「また懲りずに主張して」

 女は不機嫌そうにかかとを何度も地面を叩くようにして鳴らし、先崎を睨んでいる。

「あなた子供よね、まるで白痴はくちだわ」

 ここは何とか先崎に任せたい、私からも言わなければ。

 ただこの女を敵に回すのは避けたい、あまりに強く言うとこの女が孤立するか私が孤立してしまう、そんな状況が想像できる。

 しかし、言わなければ。

 このままだとこの女の為だけに先崎の行動が制限されてしまう。

 仕方が無い。

 そう思い、私は女に何か説教のような話をしようとしたがその直後に、

「アホはあんたや!」

 松葉が叫んだ。

「ええか、先崎さんはな、元首相のSPや」

 眼鏡のブリッジをクイっと上げた。

「過去に首相をかばって体張って自ら盾になって、何発もの銃弾を受け止めて生死の境を彷徨ったんや」

 そうなのか、でもそれなら何故暴行を?

 まさかあの記事に書かれていたのは人違いという訳でも無さそうだが、それにしても何故そんな事を松葉が知っているんだ?

「今回の事件は絶対何かある、先崎さんがそんなんする筈無い!」

 女が踵で刻んでいた不機嫌な打音が止まった。

「どうしてあなたがそんな事言えるのかしら」

「単純な話や、俺は戦場カメラマンやからな、それぐらいの国の情勢やらの情報は自然と入ってくる」

 カメラマン?

 おかしい、何を言っている?

 松葉はフリーのライターであると自身が言っていたが、今は国の情勢がどうとか、話に脈絡が無い。

 それに私の考えを彼が知っているかのような話しぶりで、首相を暴行した記事に関しては彼とは会話の中で共有できていない筈だが、松葉はそれをさも皆が知っているという口ぶりで話している。

 最初に先崎と出会った直後、松葉は先崎を誰であるのかを認識していなかった筈だ。

 それは私も同じだった、だとしても松葉も私と同じ様に思い出したにしては、先崎を知り過ぎている。

 それに私自身も先崎を思い出すにしては唐突だった、不思議な感覚だ。

「じゃあ、あいつが逃走犯では無いって保障はどこにあるのよ」

 この会話は一体何だ。

 一見、辻褄つじつまが合っているような会話だが、女のこの発言は何を言っているのかさっぱりだ、何故先崎が逃走犯であるという情報がこの女にも共有出来ているんだ?

「……」

 女の発言に対し不自然に固まるように松葉の動きが止まった。

「……」

 瞬きすらしない。

 一体何だこれは、どうしたというんだ。































 螺旋階段。

 下から見上げると階段の段差の一段一段の裏側にカビが付着しており、経年の劣化によるカビの変色で黄色がかっていて決まって朝は気分が悪くなる。

 カビは拭き取ってもどうにもなら無い程にカビついていて、今更掃除をする気にもなれ無い、夜ならばそこまで目立つ事も無いのだから、どうせならここだけ夜になって欲しい。

 しかし、辺りは草木で覆い尽くされていて夜には独特の雰囲気があって薄ら怖い、ここだけ別の世界なのではないのかと感じてしまう程だ、やはり朝は朝でいいのかも知れない。

 ああ、それにしても重い。

 やはりしっかりと小分けにしておかないと、二階へ持ち運ぶには不便だろう、仕方が無い、これは一階で下処理を済ますしか無いな、裁断機で処理し、残りは貯蔵しておくか。

 ついでにワインも取り出そう。

 調理は……、まあ、適当で良い。

 IHヒーターの電源を入れフライパンをヒーターの上に置いた、強と表記されたメモリに合わせる、数秒程熱したフライパンの表面に霧吹きに詰められた油を軽く吹きかける。

 裁断をする前の肉を少量ナイフで切り分け、そのまま焼いた。

 この肉は脂が多い為、時折油が顔に飛散する、その都度顔に付いた油を手で拭う。

 味付けはシンプルに塩と適度な胡椒、精肉店を経営している私だからこそ肉本来の味を追求する。

「やはり後でいいか……」

 私は裁断機の電源を入れっぱなしだった事を思い出した。

 今はまだ使わない、肉を焼き始めた私は空腹なのだ、後にしよう。

 電源を落とすと耳に付く高音が少しずつ緩くなっていく、例えるなら異常に安い中古車が失速するようなアイドリング音、型が古い為か、最後には金槌で金属を打つような大きい音が「カーン」と三度響いて止まる。

 この音を聞くと事故で亡くした母を思い出す、前はよくここで母が作業していたっけ。

 その日は疲れもあってか、涙が出た。































「どうしたんや?」

「また気絶でしょ、芸が無いわね」































 気付けば皆、黙々と白い部屋からの脱出を試みていた。

 テーブルを壁に沿うように配置し椅子をテーブルの上に乗せて各々が待機する。先崎に担がれた者達が次々と天井をすり抜けていき、私もそれに続き先崎に担がれながら天井を抜けた。

 木々が目に入る、あまりにすっきりとしていて木というよりは一本の太い棒のようなもので枝が全く無い、調理されたブロッコリーのように上部にだけ枝や葉が生えている。

 穏やかな風が辺りを揺らしている。

 壁の上に座るようにして移動し、さあこれから外に降りようかというときに多少の高さから少々躊躇させられるも、覚悟を決めて飛び降りるようにして降りてみると案外すんなり降りれた。

 椅子が次々と天井から生えるようにして外に降ろされていく、それを私達が声掛けしながら受け取り、適当に家の外壁に寄せるようにして置いていった。

 何やら作業も終わったようで、意識が朦朧もうろうとしながらも誰かの「向かおうか」という声に合わせて歩いた。

 私は歩いていた。

 横には女も居た、相も変わらず不機嫌そうにしている、前には松葉とハクとそれにガクも居る。

 私は一体……。

「柊さん、あんた大丈夫か、しょっちゅう気絶はするし、結構体弱い方やからやっぱり中でゆっくりしとった方が良かったんちゃう?」

 松葉の質問にどう答えていいのか分からない。

 そもそも、私はさっきまで女の先崎に対する態度に疑問を持っていて、松葉の職業、先崎の過去の犯行、それが更なる疑問を産み、それから……、実家付近の精肉所で……。

「どういう事だ……」

「いや、だからやなぁ、またここで気絶されても困るんや、今からでもおそ無いから戻ったほうが良さそうやと思ったんや」

「違う、その話じゃ無いんだ」

「え、じゃあ、何の話やねん」

「あ、いや、それは」

 どう説明すれば良いのか。

 記憶が曖昧で、私は思わず意図せずに彼に投げかけられた質問を放棄してしまう。

 それに対してだろう、目の前で「また無視かーい」と、松葉が背を向けながら言った。

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