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死こそ常態 生はいとしき蜃気楼

早いもので、9月も終わりですね。

昨日、散歩中に
とんぼが飛んでいるのを見つけまして
秋の訪れを感じました。

今年も残すところ、あと三ヶ月。
一年というのはあっという間ですね。


時の流れの早さを感じるとき
いつも心にふっと浮かぶ
たいせつな詩があります。



「さくら」 茨木のり子

ことしも生きて
さくらを見ています
ひとは生涯に
何回ぐらいさくらをみるのかしら
ものごころつくのが十歳ぐらいなら
どんなに多くても七十回ぐらい
三十回 四十回のひともざら
なんという少なさだろう
もっともっと多く見るような気がするのは
祖先の視覚も
まぎれこみ重なりあい霞だつせいでしょう
あでやかとも妖しとも不気味とも
捉えかねる花のいろ
さくらふぶきの下を ふららと歩けば
一瞬
名僧のごとくにわかるのです
死こそ常態
生はいとしき蜃気楼と



「死こそ常態 生はいとしき蜃気楼」

この一節をはじめて読んだとき
涙があふれてとまりませんでした。

悲しみの涙ではなく
どこかほっとしたような
安堵の涙でした。

なぜかわたしは
心から救われた気持ちになったのです。


わたしは生涯で

何回ぐらい さくらを見るだろうか。

何回ぐらい   紅葉を見るだろうか。

何回ぐらい ねこたちと眠るだろうか。

何回ぐらい 絵を描くだろうか。

何回ぐらい このnoteを書くだろうか。


人生は蜃気楼のようなもの。
本当の実感として分かるのは
消える時なのかもしれません。

でも、想像することはできます。

真剣に想像してみると
自分がいま生きているこの一瞬が
とてもいとおしく感じられてきます。


散歩で見た景色の美しさ、
日々のご飯の美味しさ、
だれかとの他愛もない会話、
ねこたちと戯れる時間。

儚い日常のひとコマが
美しく、たいせつに
思えるようになったのは
この詩のおかげです。


「死こそ常態 生はいとしき蜃気楼」

蜃気楼がふっと消えるさいごのときまで
この言葉を胸に生きていこうと思います。



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