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義務教育は全て実学にすべき?

2021年7月2日発売のひろゆきの新刊だよ!



いいえ。
「古典漢文を選択にすればいいんじゃね?」みたいな話を僕したんですけど。

例えば、音楽とか美術とか図工とか保健体育とかなんですけど、そこら辺って選択なので、「好きに選択すればいいんじゃね?」って思うんですよね。

「古文漢文みたいなのは別に全員義務でやらなくてもいいんじゃね?」っていうので。

なので、義務教育の中で実学じゃないモノをやるのは全然ありだと思うんですよ。

ただ、実学というか役に立たないモノを義務にしてしまうと、他にもっと学ばなきゃいけない事が後回しになってしまうので多分、「これは必ずやらなきゃいけないよね。でもこれはいらないよね」とか、そこら辺の取捨選択っていうのは、ちゃんと1回やった方がいいんじゃないかなーと思ってたりします。

科目の中に、宗教だったり、PCのスキルだったり、お金の知識だったりとか。
あとは、生活保護の取り方とか、困った時の役所の頼り方みたいなのは入れた方がいいなっていうのはあるんですけど。

で、宗教という科目を僕がその入れたがっているというか、入れた方がいいなっていうのは、世界中宗教の人が割と多くて、キリスト教の人が世界中で3割ぐらい居て。
で、イスラム教の人も25%くらい居て。

世界中の人の半分がイスラム教かキリスト教か。

で、インドだとヒンズー教っていう人が居てっていうので、割と世界中何らかの宗教に関わっている人って多いんですよね。

っていうのもあって、日本の場合って宗教があまり、要は無宗教と言っている人が多いので、宗教的なモノに対して拒否感みたいなのがあるんですけど。

でもぶっちゃけて言うと、会社が割と宗教的な役割を果たしてたりするんですよね。

要は、「仕事をするっていうのが、やりがいだよねー」とか、お金給料出なかったとしても、「会社として皆でやるべき事なんだから、そこは我慢して出社しろよ」とか、9:00から勤務って決まってるんだとしても、「8:45分くらいに出社して準備すべきだよね」みたいな。

という感じで、「組織仲間として仲良くしなきゃいけないよね」みたいなところとかっていうのが、割と重視されていて。

で、「それが当たり前だよね」で、「土日とかでも家帰って仕事すべきだよね」みたいな感じで、「コミュニティとして所属する」っていう、本来宗教が持つべき役割を、割と会社が持ってたりするんですよね。

最近だと、オンラインサロンみたいのがあって、毎月毎月お金を払って、お金を払っている会員同士でワチャワチャ仲良くするみたいなのがあるんですけど。

ああいう感じで、所属するコミュニティというのが会社だったりオンラインコミュニティだったりに求める人達っていうのが結構居て。

で、別に害が無ければいいんですけど。

最近だと、[環境]と呼ばれる微妙な、毎月15万円払わされて、シェアハウスに住まわされるみたいな、そういうタイプの害のあるコミュニティってのも、結構増えてきていて。

あれもやっぱりある種の宗教なんですよね。

なので、「これは実は宗教ですよ」と。

で、人というのは、大体どこかのコミュニティに所属したがる生き物なので、「ここから離れたら自分に居場所がなくなっちゃう」みたいな気がして、本来止めた方がいい、逃げた方がいいモノに所属したがっちゃたりするんですよ。

例えば、中学生とか高校生の部活で先輩に殴られてもずっと通い続けるみたいな。

「もう殴られる位だったら辞めた方がいいんじゃね?」って、普通の外から見たら思うんですけど、「でもここで辞めてしまうと、自分の学校でも居場所がなくなってしまうから、居続けなければならない」みたいな。

で、それが大人になると、今度ブラック企業みたいなところで、残業代も出ないのにずっと働いてて。

それでなんか、「ここを辞めてしまったら、自分は他に仕事がきっと見つからないだろう」みたいな。

要は、「ここの会社を辞めてしまうような奴は、他の会社に行ってもダメなんだからここで頑張るべきだ」みたいに言われると、「この人が言ってる事は正しい」と思って、「ブラック企業で頑張っちゃう」みたいなのがあったりするので。

なので、ある種、人はコミュニティを求めてしまうんですけど、「そんな事無いんですよ」っていう宗教的な授業っていうのも必要なんじゃないかなと思っていたりします。

元々仏教だったり神教だったり、日本は宗教があったので、宗教的な事っていうのをちゃんと教えなかったとしても、なんとかなったんですけど。

残念ながら、最近は宗教が弱くなってしまったので。

事業者集団・環境に関する記事です。