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■ 其の252 ■ 宮田笙子さんの五輪出場辞退に思うこと

■もしこれがオリンピックではなく、世界選手権だったら、ましてや日本選手権だったら、ここまで大きな是非論は起きていないでしょう。
4年に1度というオリンピックの特別さが招いている騒動です。

■『発覚した以上、出場辞退は避けられない』というのはごく普通の判断だと思います。
ちなみに、今年の大学入学共通テストでは4人の失格者が出ています。
カンニングや定規の使用、解答やめの指示後に解答を継続するといった不正行為が発覚し、この4人は全教科・科目の成績が無効となりました。
 ●カンニングペーパーが見つかったのが2人
  ・・・まあ、これは当然ですよね。
 ●禁じられていた定規を使ったのが1人
  ・・・少し気の毒な気もします。でも故意であれ不注意であれ、ルール
     違反なので仕方ないでしょう。
  ●「解答やめ」の指示後に解答を継続したのが1人
  ・・・たぶん必死だったのでしょう。45万人も受験すればこういう人
     だっていますよね。ところで何秒オーバーしたのでしょう。
高校3年生だと17~18歳、浪人生なら20歳前後の若者です。彼らは一旦、全てを失いました。
なんの「プロ」でもない彼らも、「五輪代表」の宮田さんも同年代ですが、「ルール違反」をしたペナルティーはこれが普通だと思います。とくに厳し過ぎるという話ではないでしょう。

■もちろん、感情的にはいろいろあると思います。
 例えば、
「えっ、定規、使ったらだめなんですか? 私、必死に勉強してきて、模試はずっとA判定だったんですよ」
「すいません、アドレナリンが出ていて止まらなかったんです。でも15秒オーバーしたからって、1点も増えてないですよ」
「タバコを吸うと、ふっと気持ちが軽くなり解放されるんです。19歳ってもう成年だし、事実上大人じゃないですか」

■問題は、気分や感情現実を混同したら、法治が壊れるということです。
いま自民党がグダグダで完全に信用を失っているのは、
法治ほうち(=ルールに基づいて判断する)ではなく、
人治じんち(=人の判断で物事を決める)で党内を動かしてきたからです。

■わたしは、
「事が起きたか、起きないか」や
「発覚したか、しなかったか」が、
現実を左右するのが人生だと思っています。 
例をあげると、

赤信号を見落として交差点に突っ込んだけれど、何事もなく通過した人生
              と
赤信号で停まっていたのに、ダンプカーに追突されて大ケガをした人生

行く先々の店で醤油ペロペロしているが、一度も見つかっていない人生
              と
初めて醤油ペロペロしてネットにあげたら、大炎上して学校を退学した人生

チームで禁止じられた喫煙・飲酒をしたが、監督が揉み消してくれた人生
               と
チームで禁止じられた喫煙・飲酒が発覚し、大会出場を辞退した人生

どちらが良い、悪いではなく、
受け止めなければいけない「現実」が変わってくるのです。
厳しすぎるとか、いずれバチが当たるというのは、価値観や人生観の問題です。現実を現実として受け入れることでしか、何もはじまらないのです。

■わたしは、
宮田さんが原点に立ち返って精進して4年後に代表に戻ってくることも、
大学を辞めて別の道を歩むことも(例えば花き農家に転身してバラを育てるとか、Iターンして温泉街のcafeで働くとか)、どちらも同等に価値があるし、どちらが幸せかと判断できるものではないと思います。
前者ならば、注目され、よくがんばったと賞賛されるかもしれません。ですが、その方が望ましいとか、優れているというものではないでしょう。
メンタルを壊すことなく、今回の出来事の「その先」を生きていければ良いのだと思います。
体操という競技は、一歩間違えて首を痛めでもすれば、命を落としたり、一生寝たきりになるスポーツです。彼女は実際に大きなケガをしたといいます。その過酷な世界で、選手としても人間としても、ここまで歩んで勝ち残ってきたのは事実です。
その宮田さんには、この先の道を切りひらく力が絶対にあるということです。










 




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