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■ 其の298 ■ 2024年10月5日、発見と感想

❶さっき夜の10時半ごろ、家の前の自販機に飲み物を買いに出ました。
 すると、駅に車内が真っ暗な電車が入って来ました。(わたしの部屋は真正面が
 某無人駅です)
 長らくここに住んでいますが、運行時間帯に無人無灯の列車が停まるのを初め
 て見ました。
 なんだか、怪奇漫画を見るようなブキミさを感じました。
 部屋に戻りしばらくすると、逆方向から列車が入って来ました。今度はちゃん
 と人が乗っています。カープの赤いユニフォームを着ている人もみえます。
 たしか今日が最終戦です。

❷昼間、大学進学フェスタに行って資料をもらいました。
 その中の一冊、「国際教養大学」について感想を書きます。
 わたしには、難関大以上に恐れ多い大学というイメージがあります。というの
 も、勉強がすごく大変で留年する人が多く厳しい大学と聞いているからです。
 古き良き大学生活を送った自分には耐えられそうにありません。 
 
 ところで、驚いたのは表紙です。
 英語で、AKITA INTERNATIONAL UNIVERSITY と書いてあります。 これだと国際
 教養大学ではなく、秋田国際大学ではないですか。ページをめくって見ても、
  「AIU20年の歩み」とか「AIUの留学制度の魅力」とか「AIUを目指す皆さんに
 伝えたいこと」などと書かれています。AIUは普通に使っている呼称のようで
 す。国際基督教大学をICUと呼んでいる感じなのでしょう。

 📙まず初めに出てくる1期生のコメントに、こんなコトが書かれています。
 「死にものぐるいと」といえば、AIUでの4年間がまさにそれでした。
 入学初日から早口の英語で行われるガイダンス。絶望的な量の宿題や予定。
 図書館に泊り込んだりしながら、仲間と切磋琢磨して乗り越えました。
 人生でもっとも大変だったこの経験が、「やればできる」という自信になり、
 海外と日本の往復生活を乗り切る力にもなったと思っています。        
  ・・・噂通りの恐れ多い場所でした。
 
 📙次に登場する7期生のコメントは、まさかのレバノンの話が出ています。
 レバノン共和国をご存知ですか? 地中海東岸に位置し、南はイスラエルと、そ
 れ以外はシリアと国境を接する国です。全人口の約4分の1が国外からの難民
 であり、その大部分がシリア内戦から逃れてきた人々。深刻な経済危機が続く
 レバノンで、厳しい生活を余儀なくされています。
 私は2020年3月にUNHCRレバノン事務所に着任し、難民のための情報発信
 を行っています。 〈中略〉  レバノンでの私の任期は間もなく終わります
 が、入学時の思いは変わりません。祖国を追われ、困難に直面する人々の支援
 にこれからも力を尽します。
  ・・・まだレバノンにおられるのか? それとも別の場所から現在のレバノン
     の状況を見守っているのでしょうか?

 📙最後は、2020年に入学した学生のコメントです。
 高校生のときに初めてAIUの図書館に足を踏み入れ、静謐せいひつな雰囲気と真剣な表情
 で学ぶ学生の姿に圧倒されながらも、「ここで勉強できたら」と憧れを抱いた
 ことを覚えています。そして自分がAIU生となった今でも、図書館に来ると「よ
 し、やるぞ!」と背筋が伸びる気がします。大学生活は忙しく大変なこともあ
 りますが、初心やわくわくする気持ちを忘れないことが大切です。
  ・・・なんて真摯で実直な大学生なのでしょう。

❸大学フェスタの後に行ったのは、丘の上にある現代美術館です。
 市内を周遊するバスルートにも組み込まれ、最近は外国人観光客をよく見掛け
 るようになりました。
 今回、発見ということで言うと「ライター」です。

 📘館内のミュージアムショップで売られていたのが、拾ってきたゴミのライ
 ターで、たしか百円です。ガラスケースの中に並べてあり、好きなのを選んで
 購入します。えーーっと思うかもしれませんが、考えてみれば、現代アートで
 廃品や廃材は使うのはお馴染みのコトです。
 ゴミ(のようなもの)でも、美術館で購入したという物語性特別感が付加さ
 れれば、無二のお土産になるでしょう。

 📘ちなみに、今わたしがパソコンを打っている机の上には拾ってきたものが三
 点飾ってあります。
 原爆ドームの前の川で拾った焼き物の破片、島根の宍道湖の岸で拾った魚型の
 ルアー
、歓楽街のコインパーキングに停めた際に車のそばに転がっていたテキ
 ーラの四角いガラス瓶

 どれも、お金を払った物品に見劣りしない存在感があり、空間にもなじんでい
 ます。

❹最後は、紀伊國屋書店でもらった小冊子scriptaスクリプタの記事を2つ紹介します。  scriptaは年四回季刊で発行され、無料配布されています。

 差別とまでいかなくとも、他人へのラベリングはそのマイノリティの人たちを生きにくくする。けれども、「本人が自分自身にラベルを貼る行為は『居場所の発見』というプラスの意味をもたらすこともある」と五十嵐さんは書いている。
 確かに、自分へのラベリングはときに良い効果をもたらすかもしれない。コーダという言葉があれば、たとえ多数派でなくとも、こういう悩みを抱えているのは自分ひとりではなく他に何人もいるのだ、と知ることができる。呼称があれば、他の人と連帯しやすくなるし、考えごとや議論が格段に進む。私も強い共感を覚えながら読んだ。

書評タイトル:次の一歩をみんなで    山崎ナオコーラ

 ・・・以前ある女性タレントが、自分はアダルトチルドレンだとわかって気持
    ちが楽になったという話をしていたのを思い出しました。

 ハヤブサ類を用いたたか狩りが盛んな中東のカタールに行ったことがある。招待されたハヤブサレースの会場で野外観客席の高級ソファに深々と身を沈める富豪たちの姿や、荒涼とした砂漠に設けられた駐車場に日本製の高級四輪駆動車が各レースの商品としてずらりと並ぶ光景を目の当たりにした。
 首長一族をはじめとする民が高級なシロハヤブサを腕にえた姿を書籍などで目にしていたが、会場で知り合った男性から、6歳の息子に1000万円以上するハヤブサを誕生日プレゼントとして贈ったことを聞き、自分の常識とはかけ離れた金銭感覚を持つ富裕層のいる国であることを再認識させられた。

書評タイトル : 人間のエゴに翻弄される野生猛禽類もうきんるい  齊藤慶輔


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