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【書評】『じんかん』今村翔吾 講談社

歴史の教科書である『日本史B』で下剋上の代表として取り上げられる梟雄、松永久秀の評価が近年見直されている。彼が梟雄といわれる所以は、主家である三好家の乗っ取り、将軍の足利義輝の弑逆、東大寺大仏殿焼き討ちの三悪事を行ったからである。しかし、これは久秀が生きた時代から約200年後に成立した『常山紀談』の逸話からの影響で、その信憑性はやや乏しい。また、茶の湯への造詣が深かった彼が「平蜘蛛」の茶釜とともに爆死したという梟雄に相応しいその最期すら第二次世界大戦後に生まれた俗説であると三好氏研究の第一人者である天野忠幸氏は結論づけた。

本作は、『童の神』で直木賞候補となり、2020年現在、最も勢いのある歴史作家、今村翔吾の作品だ。民が政を執るというまだ見ぬ世を創るために理想を貫こうとする武将として久秀を描いており、人間の内面性から再評価を行ったその着眼点とテーマ設定は秀逸である。

■内容

物語は、謎に包まれた久秀の前半世を創造的かつ丁寧に描くところから始まる。貧困・不正・不条理が蔓延する時代、親を亡くした久秀は同じ境遇に置かれた仲間すら失ってしまう。この時、理不尽で悲哀に満ちた世を赦す神仏はいないと断じると同時に、人の在り方を自らに問うようになった。

その後、久秀は三好元長と出会い、元長の武士を消し去り、民が政をし人間の国を取り戻すという夢に心酔する。

そして、小説で取り扱われることの少ない細川高国もその思想の対立軸の持ち主として登場することが新鮮だ。大物崩れで捕らわれた高国は、民が政をするという夢は理想で、現実には民は心地よく支配されることを望んでいると断じる。この理想と現実、善と悪の考え方の違いは時代を超えた永遠のテーマであると感じる。

■所感

本作を技巧的な側面からみてみると、作者の巧みな構成力に脱帽する。なぜ、久秀が三悪事を行ったのかという謎が、前半に形成された人物像を踏まえて、駆け上がるように解けていくリズム感がとても心地よい。514ページにわたる長編小説だが、一気に読み終えてしまった。

また、人は何のために生きるのか、という普遍的なメッセージも強く伝わってくる。

一方で、歴史好きとしては、登場人物の扱い方にやや不満が残った。久秀を重用し、彼がその才能を如何なく発揮できたのは、日本の副王とも呼ばれた三好長慶に依るところが大きく、その長慶との関係性の描き方が希薄だったからだ。構成上、長慶にスポットライトを当ててしまうと、主人公である久秀が目立たなくなるので仕方なかったのかもしれない。

それにしても、日本の戦国時代は織田・武田・上杉など、東海を中心に語られることが多い中、当時の"天下"を指したといわれる畿内を題材にした作品が直木賞候補として選出されたことは大変喜ばしい。戦国時代、天下統一のためだけに、人や経済が動いていた訳ではないという一般的な認識の見直しに繋がっていってもらいたい。

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