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月響(げっきょう)16



新潟に二泊してお通夜とお葬式を終え国分寺に帰って来たミサキは、
自分の部屋のベッドに腰を下ろしてやっと本格的に泣けてきた。

新潟ではナリタ君の沢山の親せきと伝統の重みいっぱいのお葬式に緊張する
ばかりだったから、顔がぐちゃぐちゃになるまで泣くなんてできない
相談だった。

でも、ナリタ君と血のつながりのある人々に囲まれている時には確かに
あった安心感みたいのがなくなってしまって怖くもあった。

ナリタ君を中心点に広がっていって、一家のことや新潟のおじいさんや
おじさん達を想うと悲しいけれど、もうとにかくくやしくてくやしくて
涙は止まってもカラダのふるえは全然止まらなくって「ベネチアベネチアベネチア」と繰り返すとようやくふるえは収まった。


「ねぇ知ってる?ベネチアは車が一台も走ってない街なんだよ。
 前にNHKで観たの。
 車っていうかトラック超むかつくとか思って。
 ベネチアベネチアって唱えたらふるえが収まったからそのまま本屋に
 走って旅行雑誌でベネチアが載ってるの買って来てサ。
 今、部屋の壁ベネチアだらけなの」

とミサキは笑いながら云う。


ベネチアベネチアが効いて悲しくなるコトは少なくなったけど、ミサキの
怒り憎しみは日に日に強まりそれまでのおとなしい美少女はどこかへ消え、
トラックファイター・ミサキが誕生した。

といってもそんなに大げさなものではなくて、私は聞いててミサキが
不憫でたまらない。

だってミサキがしてたのはイタズラみたいな小ちゃな復讐。

エンジンふかしたまま路駐してるトラックに手書きの“アイドリング
撲滅ステッカー”を貼りまくって逃げるというピンポンダッシュ級の
イヤガラセ。


ミサキの三つ歳上のお兄ちゃんというのが昔からお笑いが好きでウンナンの 
ナンチャンが大好きで、ナンチャンの出てるお笑い番組やスポーツ番組を
全て録画しないと気が済まないという困ったちゃんの半分引きこもり君。

部屋の一面は完全にビデオテープで埋め尽くされているしビデオデッキを
四台も持ってる強者だ。

ミサキはその兄が持ち腐らせているビデオテープのラベルシールに
目を付けた。

それを兄貴の居ぬ間にくすねてきてベネチアの自分の部屋でせっせと
アイドリング撲滅ステッカーを大量生産。

色ペン使ってカラフルに、でもカワイクならないように仕上げていく。

【あなたの行為は大迷惑です!STOPアイドリング】とか

【まわりの迷惑考えろ!!アイドリング撲滅NPO国分寺】とか

嘘もいっぱい交えつつ、ラベルの裏側にも書きこんだり。

「フロントガラスに貼って運転席からも見えるようにする為なのだ」

だって。

ナニ考えてるんだか。

とにかくそれらをひと晩で仕上げると翌日からは獲物を物色するべく
青梅街道のはしる小平方面を徹底的に歩きまわったそう。

「でもね。最初はナリちゃんを殺した十トントラックを狙ってたんだけど、
 そういうのは運転席が高い所にあってフロントガラスに貼るのとか
 無理だった。
 それにアイドリング撲滅を唱えるからにはちゃんとアイドリングしてる
 車に貼ってこう!と思ってそこらじゅうのアイドリングしてる車に
 貼ってくことにしたの。
 ホント沢山あるんだよ、そうゆう車。
 もうガソリンの匂い嗅ぐだけで超ムカツイてくるようになっちゃって、
 なんかナリちゃんのこととか関係なくなってきちゃって心から
 アイドリング撲滅運動してた、最終的に。
 トラックも酷いんだけど車よりバイクの方がガスの匂いキツイん
 だよねー。
 だからバイクとかスクーターにも容赦なく座るトコにペタッとね」


ミサキのフィールドワークはエスカレートしていくばかりで彼女の
怒りの矛先はアイドリングに限らず交通ルールを守らない全ての
クルマへと向けられた。

スピード狂やらエンジン音にこだわりのある輩やら、ボーボー煙
吹いてゆくバイクとか歩行者が横断歩道渡るの待ち切れないで
突ッ込んでくるのとか。

私は気づいてなかったけど、ミサキの統計によると最近は黄色信号
ギリギリを飛び込んでくる車がメチャクチャ多いそうだ。

動いてる車に注意ステッカーを貼る訳にもいかないので、そんな
車を見かけるたびにミサキは「ウギャー」などと雄叫びを上げたり
「ざけんなテメー、交通ルール守れ!」とかニギヤカにやってらしい。

でもそんなのがこの車社会で別段効果を発揮する訳もなく、無法者に
対するミサキの感度は日に日に高まってゆきついには自転車をも
ターゲットにするようになった―――コレには私も思い当たるフシが
あった。

最近よく出歩いてたけど、歩道を歩いてて自転車にモノ凄いスピードで
追い越されてマジビックリして心臓停止しかけたコトが一度や二度じゃ
なかったから。

そんな時は「なんやねーん」と心の中で軽く舌打ちして済ませてたけど、
あれは確かに超ムカツクんだよね、よくわかります。

ミサキの運動みたく文句たれたり注意するとか考えたコトもなかったけど、
そうゆうのがナリタ君を殺したトラックの飲酒運転と無関係ではない気が
私にもしてきてしまう。

とにかくミサキがそうゆうのに敏感になりすぎてるのは理解できるし、
その想いを分かち合いたかった。

でもアレ?青タンの話じゃあなかったっけ??


そう、運動を始めてから一週間、ミサキは昨夜も小平の小川町あたりまで
出向いて道ゆくあらゆる無法車輌に注意を促していた。

正確に云うなら罵声を浴びせていた。

「でもサ、ほとんど通り過ぎた後に絶叫するだけで。
 そしたら夜なのに自転車が明かり付けないで曲がり角突ッ込んで来て
 ぶつかりかけた訳。
 で、私がソイツの背中にいつもみたくバッキャローテメードコミテンダ
 アカリツケロヨナニサマダとかなんとか怒鳴ったら、自転車Uターン
 してきてオメーコソタラタラアルイテルンジャネーヨボケとか返されて、
 コートの衿つかまれてそこにあった電柱に頭からゴスンッてぶつけられ
 ちゃったアハハ。
 超怖かった。
 火花飛んだし目ェ開けられないしうずくまってたらツバ吐かれるし。
 マジ切れそうだったけどその男居なくなるの待って、家帰って鏡見たら
 こうなってましたー。オシマイケル」

と最後ふざけた。

そういうコトか。

痛そう。

……。

        「でも、もっとボコられなくて良かったね」

と短く感想を述べると、ミサキはへらへら笑いながら

「今は昨日よりダイブ痛くなくなったし。
 それに見かけ、気に入ってるよ?」

などと答える

ヨユー。

さらに、

「さすが伊東美咲に似て女優顔なだけあって、アザでも何でも
 よく似合うっしょ」

などとトボケたコトを云ってくるので、

        「はぁ?伊東美咲って女優?タレントでしょ、タレント」

とすかさず返すと、

「ムカツクー」

とか云いながら紙ナプキンを丸めて投げつけてくる。

私も投げ返しながら、

        「キミねー、交通ルールとか云いたいならお店の迷惑
         考えてモノとか投げなさんな」

と叱ってやる。直後、

「そろそろ出よっか?」

と見事にハモッたので、やっとこさっとこジョナサンを出ることにした。



外気が頬に冷たい。

陽はすでに、トップリと音を立てて暮れていた。


次葉へ



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