〔初作品 第5話〕一日の始まりと世界の終わりを一杯の珈琲と共に

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「あれ、出勤は午後からじゃなかったか?」
 翌朝、店のドアを開けて飛び込んできた景観はいつも通りそのもので、私の来店によって起こされたボスだけがぽつんと佇んでいました。
「今日は学校がお休みで暇だったので」
「そうか、今日は何して遊ぶか」
「遊んでも良いですけどお給料は出して下さいね」
 ボスはククと笑うと、厨房の方へ行きました。 するとコーヒーマシンの音でしょうか、機械の稼働音が小さく聞こえてきます。
「神尾はブラックいけるんだっけ」
 奥からボスの呼ぶ声が聞こえました。
「砂糖二杯とミルクがいいです」
 カウンター席に着いて待っていると、ボスが湯気の立つカップを二つ持って出てきました。ミルクが入って優しい色になった方が私のでしょう。それをボスが差し出すと、やはり深く香ばしい匂いがします。
「いただきます」 
 私は手を合わせお辞儀をしてからカップを持ち上げました。カウンターの向こう側でボスも同じ動作をしました。
「そういえばうちの珈琲飲んだことあったか?」
「いえ、初めてです。おいしいです」
「そりゃあどうも。俺は毎朝飲んでるがね」
 所謂目覚めの一杯というものでしょう。こんなに美味しい珈琲と供に迎える朝は幸せと言う他ありません。
「朝は機械や豆の調子を見る為に淹れないとなんだ。どうも心配性でね」
「なるほど、そういうことですか」
 いつにも増して閑静だとは思っていましたが、そこで店内にまだ曲がかかっていないことに気づきました。私たちの会話が止まると、掛け時計が秒針を切り刻む音だけが物静かに響きます。針は九時ぴったりを指していました。
「あれ、そういえばお店って何時から開店なんですか?」
 実はシフトが午後からというのがほとんどで、それに加え午前でも既に店を開けてからの出勤だったので、私はここの開店時間すら把握していないのでした。
「あー、丁度今からだ」
「すみません、お邪魔してしまいました」
「いや、いいんだ。お前が来なかったら寝坊していたところだ」
 せめてもの礼として、飲み終えたカップは自分で洗うことにしました。エプロンをせずに厨房に入るというのは、なんだか背徳感の様なものを感じずにはいられません。
「飲み終えたらボスのも下さい」
「ああ、ありがとう」
 ボスは小さく礼を言った後、少し照れくさそうにこう言いました。
「良かったら、暇な朝はここに来ると良い。俺と珈琲が嫌いじゃなければだが」
 この日から、私の一日の始まりは珈琲と供に迎えることとなりました。雨の日も風の日も、鏡に映らない角度に寝癖を生やしたままの日だろうと、私は必ず店に寄りました。例外と言えば定休日と私が実家に帰省した時くらいです。まぁ、ボスが寝坊している日もありましたが。

 ただ、その日のシフトは午後からですし大学もお休みでやることがありません。どうしようかと所在なさげにしていても、店主でさえ昼寝をする猫のようにボーッとしているのでどうしようもありませんでした。買った古本を家から持ってこようかと席を立とうとしたその時、店のドアが勢いよく開かれ、
「御嶋さん御嶋さん」
 ドアに付けられたベルの音より大きく高く、その女性の声が店中に響き渡りました。
 その人を一言で表すのなら、いかにもお金持ちのマダムといった感じでした。年は四十過ぎといったところでしょうか。小太りではありますが綺麗な顔をしています。派手な赤色のガウンコートにつばの長いハットといった出で立ちの彼女でしたが、その佇まいは慌ただしいものでした。
「あぁ、山田さん。どうしたんです」
 どうやらボスはこの女性と知りあいのようでした。名前はなんだか平凡だなぁなどと呑気な考えが頭を過りましたが、彼女の慌て様は普通では無かったので、その考えを振り払いました。「うちのシャロちゃんが、シャロちゃんが消えてしまったのよ」
 ひとまずは落ち着かせるためにボスは山田さんを席に着くよう勧め、それから事情を話すよう促しました。
 シャロちゃんというのは山田さんが愛して止まない飼い猫らしく、昨晩から姿を見かけず、今朝捜してみて家にいないことに気づいたらしいのです。この辺は車通りこそ少ないとはいえ全くない訳ではありません。もしものことになる前に探すべきでしょう。
「分かりました。僕らも探してみます」
 ボスも首肯してくれました。今日の私たちは喫茶店からシャロちゃん捜索隊に転職です。
「よろしく頼むわね。ご近所さんには全員頼んでいるのだけれどこの時間だと家に誰もいない事も多くって。お二人はお暇そうで助かりましたわ。じゃあこれ、連絡先だけ渡しておくわね」
 持っていたメモ帳に番号を書き、それを残して山田さんは店を後にしました。
 ボスが注釈をいれて下さいましたが、ここから徒歩2分のところにあるお屋敷のような豪邸に住んでいるのがこの山田さんでした。それは私がここに越してきてすぐ目に入ったもので、田んぼやアパートばかり並ぶ風景の中、まるで溶け込む気のないような建物でした。
「さて、暇人は猫探しだ。行くぞ」
「ボス、あのぅ」
「どうした暇人二号」
「ここ最近カフェ店員っぽいことが何も出来ていない気がするんですけど」
 ボスは顎に手を添え、撫でるような仕草をしました。
「ここであのマダムに恩を売って常連にするんだ。これも業務の一環よ」
 なるほど。私は手を叩きました。

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