Z世代の1日

朝、四時に目が醒める。まだ寝ようか、それとも起きるべきかと迷った後、寝てしまって非生産的な1日を過ごしたかつての日を思い出し、起きることにした。顔を洗いに寝室の外に出ると、そこには肌に突き刺さるような冷気が漂っていた。廊下に面した洗面所で水がお湯に切り替わるのを待ちながら僕はその寒さに耐えた。それは水道代が家賃に含まれていないアパート暮らしなら絶対にやらない行為だ。実家に住んでいた時、私はいつも水で顔を洗っていた。それは決して裕福とは言えないシングルマザーの母親にお金を少しでも出させないようにするためだ。僕は小さい頃から親に質素な生活を強いられたりすることはなく、むしろ自分の好きなことをやらせてもらってきた。親の収入で賄えないものに関しては母方の祖父母がお金を出してくれた。僕は母親のまるで大学生のようにお金が無い通帳や祖父母がお金を作るために細かく家計簿を作り、必死に捻出したお金で品質に拘った食材を買って食べさせてくれた姿を見てきた。そのせいか自分は小さい頃からお金の支出に敏感な子供に育っていた。
顔を洗った後、notionを開き、”習慣(日曜日)”を確認する。僕は出来るだけ習慣に沿った規則的な生活をするために仕事のある平日、外出をする土曜日。そして家でゆっくり休む日曜日という具合に自分の生活パターンを分けたメモを作っている。
日曜日の習慣は洗顔の後、個人開発をすることから始まっていた。そこで、僕はストップウォッチで時間の計測を始め、会社の2人の同僚と立ち上げる予定のwebサービスのデザイン作成に取り掛かった。
僕はweb開発エンジニアとして働いているが、自分が今回、webサービスのアイデアを考えたので、デザイナーの同僚にデザインを作ってもらう前に仕様を把握していて、かつ少ないエンジニアのリソースでも開発しきれる物にする為に自分が大枠のデザインを作ることになっていた。
キリのいいところまで完成し、ふとストップウォッチを見ると54分経っていた。僕の集中力は良いとこ大体40分~1時間程度しか持たない。左利きのエレンという漫画で集中力の質という概念を知ったが、自分の集中力を当てはめると早くて短いだ。集中力の深さについては自分じゃよく分からないが、人に話しかけられても全く気づかないというレベルでは無いことは確かだ。
その後も”習慣(日曜日)”に従って僕は淡々とタスクをこなした。読書や洗濯、部屋の掃除。そしてまた個人開発という具合にだ。
午前中のうちに色々なタスクを消すことが出来ると、1日がとても長くなったかのような錯覚を抱かせる。そして、それは生産的な1日が幕を開けたことを意味する。逆に言えば、午前中に何も出来なければ、午後は消化試合も同然だ。
お昼からは夜に食べる年越しそばに乗せる天ぷらのお惣菜を近くのライフに買いに行った。夕方に行こうかと考えたが、同じことを考えている人が沢山いて売り切れていたら嫌なので、昼から行ったものの、待ってましたとばかりに所狭しと並べられたかき揚げと海老の天ぷらがあった。値段を見るとかき揚げも海老も2つで約650円だった。400円程度で海老、椎茸、シソの葉など一通りの天ぷらが買えると思っていたので少し面を食らったが、「今日は大晦日だから、気にしない」と自分に言い聞かせて、海老よりも量が多いかき揚げを買った。
家に帰り、17時ごろまではyoutubeという名の脱線をしながらも、なんとかタスクをこなした。
17時になり、お腹が空いてきたので、ふるさと納税で今朝届いたばかりの解凍しておいた高知産の鰹のタタキを切る。その肉厚な身に期待を膨らませながら、皿に盛り付け、付属のタレと一緒に口に入れると、柑橘系の風味付けがされたタレの爽やかさと鰹に付いた優美な炭の香りに鼻腔を刺激された。その0.3秒後に鰹の柔らかい肉感が僕の舌を包む。まるで鰹の頭を持った女性とキスをしているような感覚に陥り、「これは優勝」と思わず呟く。スーパーの半額のシールが貼られた死んだ鰹のタタキしか知らない自分には衝撃的な初体験だった。
鰹を食べた後、電気圧力鍋を鍋のように使い、蕎麦を茹でた。僕はフライパンなどの調理器具を殆どを持っておらず、いつも電気圧力鍋だけで料理をしている。フライパンを買わない理由は特にないが、買う理由もないので買っていないだけだ。小さいタッパーに麺つゆと、いつも飲んでいるペットボトルの天然水を注ぐ。そしてテーブルに電気圧力鍋の内釜に盛られた蕎麦とライフで買った、かき揚げと麺つゆを一緒に揃えたら年越しの儀式の始まりだ。
かき揚げを麺つゆにくぐらせ、蕎麦と一緒に食らいつく。かき揚げの油が口の中で蕎麦と絡み合って紡ぎ出される旨みは形容し難い。僕は恍惚としながら何も言わずに食べ進める。そこで冷蔵庫に入っていたヤツの存在に気づく。早速、冷蔵庫に駆け寄り小さい冷蔵庫にぎっしりと詰められた冬籠りの食材をかき分ける。あった。そう、刻みネギだ。小さく輪切りになってギチギチに詰められたパッケージを貪るように開け、麺つゆに沈め、それにかき揚げと蕎麦をつけて食べた。まるで天にも登る心地だった。
蕎麦を平らげ、暫くすると、アマプラでずっと見たかった華麗なるギャッツビーを寝そべりながら見た。1時間ほど過ぎたあたりで瞼が重くなり、気づいた頃には年を越していた。

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