Dancer in the dark ~ただのホームレス映画じゃねぇか~

今回はトラウマに残る映画として有名らしいdancer in the darkを見た。

あらすじとしては知的障害?で盲目で一人の息子の母親であるセルマが自分の遺伝のために失明する息子に、症状が始まる前に手術を受けさせるため、必死に貯めたお金を借金で困っていた大屋さんに取られてしまい、揉み合った末にセルマは大屋さんを殺してしまう。だが、そのお人好しの性格から大屋さんがお金を盗もうとした事実を言わずに結局は冤罪で死刑にされてしまうという話。         

実は友達からこの映画はめちゃくちゃ鬱になるから見た方がいいよと言われて見たけど、正直なんで鬱になるのかが分からなかった。

なんで鬱にならなかったのかというと、自分の力ではどうしようもない悲劇だとは思えなかったからだ。(自己責任論とか言われそうだけどまぁ仕方ない)

セルマは死んだ大屋さんの面子を守って死刑にされたが、もし息子のことを第一に考えるならば安心して目の手術を受けさせ、その後も母親として育ててあげるためにも全ての事実を話して何がなんでも刑務所から出るべきだと思った。

それに面子を守ると言ったところで大家は自分が妻に嫌われたくないからといって浪費家の妻に注意することもできず、ただ従うままにお金をだし続け、借金で回らなくなったら友人であり、ご近所さんでもあるセルマが息子のためを思って必死に貯めた金を盗むようなやつだぞ?!

そんなやつのために死刑になって可愛い息子を一人ぼっちにさせるなんて、いったいセルマにとって一番大事なのは誰なんだ?と思った。

恐らく誤解は避けたいけれど、知的障害が理由で優先順位を立てて考えるというのが苦手で逆フォレスト・ガンプ状態(フォレスト・ガンプは知的障害から来る天性の誠実さで幸せな人生を送る)に陥り、周りに言われるがままに流されてしまったのではないかと思うが、自分にはその感じが少し分からなかったので怒りと言うか「息子が大事なのか、死んだ男の面子が大事なのかはっきりしろよ!」としか思えなかった。

これに似た感情を感じたことがある。それはホームレスだ。「生活が苦しい。」「不景気のせいだ」というホームレスに対して、じゃあ生活保護受けろよと思う気持ち。

ホームレスも自分達は住所がないから生活保護は受けれないと思っているのかもしれないが、スマホで調べてみるとホームレスにも国からの補助を目当てに家を貸してくれる大家が割りと居て、そこで住所を確保すれば、いつでも生活保護を受けれる。その情報を知らないし、調べるというのが思いつかないので、そういった手段を取ることもなくただ不満をいうことしか言えない。

セルマで言うところの「死への恐怖」や「知的障害」がホームレスの「現状や社会への不満」と「情報弱者」という部分がぴったり重なって見え、最後は少し胸くそ悪いとは感じたが、巷で言われているほど悲しい気持ちにはならなかった。

もう1つ悲しいと思わなかったというか物語に入り込めなかった原因は警察の捜査がヘボすぎない?と思ったからだ。

大家が借金をして差し押さえ寸前になっていたという事実は銀行に当たれば、すぐに分かるはずで、そうすればお金に困っていた大家からセルマがお金を盗もうとするとは考えづらいと思わないのか?と思ったからだ。

そして妻が浪費家でソファを欲しがっていたというように家のなかを見れば警察の収入だけでは買うのが難しい家具などがあったりして何かおかしいと気付かなかったのか?と思った。

そしてセルマの目の病気が先天性で息子も同じ症状になるというのも医師が見れば分かるはずで、それを恐れてセルマが少ない収入から貯金をしていたというのも十分考えられるのに警察は何をやってるんだ?と思ってしまった。

こういった理由からこの作品には特に何かを感じられるというようなことはなかった。よって作品の点数は46点。この映画を見て感じたことはビョークは歌手なのに演技が凄い上手くて驚いたくらい。

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