見出し画像

「今までよりも少し覚悟を決めて,自分で生きていこう」という決意を綴る

もういよいよ3月が終わりですね.2021年度が幕を開けます.

本来ならばもっと楽しかったのかもしれない高校2年生の肩書を脱ぎ捨てて,4月1日から僕たちは高校3年生という新しい肩書(自由で不自由な最後の学生特権)です.大学進学を希望する僕は受験という結構な壁が待ち受けています.

受験というのもあるし,高校生活最後の1年というのもあるけど,この文章を書こうと思ったきっかけは2つですね.

1.応募だけでもしてみればよかった

何に?という話ですが,この文章を書き始めた1週間前くらい?からMAKERS UNIVERSITY U-18 THINK BIG CAMPという,個人的にすさまじく魅力的なプログラムが開催されていました.(コロナが不安だった...というところで,僕は参加していません.)

今年度のプログラムはオンライン・オフライン併用でコロナ対策も十分に行った上で,密度の濃いプログラムが行われていたようです.(詳しくは公式SNSや参加者のSNS等を見てください.)

僕も公式SNSや一部の参加者をTwitterでフォローしてるので,参加してきました!とか,言葉にして発信します!というのをガッツリ読み込みました.

そこで一つ思います.

やっぱりここに行けばよかった

事前説明会等には参加させていただき,プログラムの魅力は十分に感じていました.でもやっぱりコロナが...という理由で応募を見送りました.案の定第4波が来るかも?という状況でしたね.(割と第3波と第4波の間くらいだったので比較的落ち着いている時期ではありましたが)
でも,やっぱり応募はしておくべきだったなぁ...と今更ながら思います.

すさまじい熱量のプログラムが実施されていて,たくさんの方が学びを得て,その言語化されたものから僕もたくさんのことを学びました.

特にこの2つ,読みながら強く感じるものがありました.

山本さん(このTHINK BIG CAMPの第4期OGで,併走メンターとして参加されている方です)の文章は読んでいて,まだ僕に足りてない「覚悟」という部分を,うまく表現して見せつけてもらえた気分になりました.後から詳しく書きますが,覚悟ってすごく大事だと思います.

Manoさん(Manoさんは参加者として実際に参加された方です)の文章を読んでいると,たぶんTHINK BIG CAMPに参加される前のManoさんと非常に近い部分が今の僕にもあるなぁと感じました.文章を読む限り,ManoさんはCAMPを通してとんでもなく成長されているんだろうなと感じます.

僕もこういう文章(書いていただけるのは本当にありがたいですね)を読むことを通して学びを得ることができます.でもきっとそれはそんなに重みをもたない.現地で体験して,肌で感じてきた山本さんやManoさんが得たものに比べれば遥かに軽いと断言できます.

そういった経験を得られるのであれば,重みを持って得られたほうがよかったなと思います.

2.多くの同世代はもう ”自分から” 動き始めている

MAKERSみたいなプログラムに参加される方もそうですが,すんごい同世代はとっくに動き出しています.それも ”自分から””勝手に” 動き出しています.

それを感じた2つのことがありました.

1つは奨学金採用に落ちたことですね.

この財団から受けられる支援(奨学金含む)がとても魅力的で,やりたいことも十分にある(と思っていた)し,応募するか!と約1か月前に文章を結構書いて応募しました.結果は1次選考で不採用でした.

この財団は「未来を創る人材の支援」を掲げて,とてつもない異能を持った財団生(支援を受けられている方)に支援をされています.

そのような支援を受けられている財団生に比べると,まだまだ見劣りする能力や成果しか持ち合わせていない僕が選考に通るなんてことはそりゃあないはずで,実際に選考に落ちたということはそういった異能を持っていて,成果を抜群に挙げられている方がいたということですね.

あと一つ理由を挙げるとすれば,やりたいことが明確でなかった,深く書くことができなかったことかなと思います.

提出書類の中に「志望動機」と「財団生としてやりたいこと」をそれぞれ書くものがありました.いろいろ書きたいことがあったので,結構そのまま全部詰め込んだのですが,それで内容が浅くなってしまっていたと思います.

僕が"本当にやりたいこと"に絞って,もっともっと深く熱量を注ぎ込んで書くことができていれば選考結果は変わっていたかもしれないなぁと思います.いずれにせよ,僕よりも明確な意志を持って,積極的に動いて,実績を積み上げている人(同世代)がいるということを感じました.

似た内容になりますが,この高校生(4月から大学生)の記事を読みました.

なんか読んでて愕然とするというか,こんな高校生がやっぱり全国にいるんだ,とすごく身近に感じました.この記事で取り上げられている松本さんの活動は,やりたいことの方向性こそ僕とはすこし違いますが,それを実現する手法などは,こういうことをしたい!と考えていた僕の理想像にほぼドンピシャです.

僕もここまで踏み込んだ活動をしてきたわけではないので,理想像といっても,すごくイメージしにくい理想でした.でもこういう活動をされている方がいる!しかも同じ年代の高校生が!ということを知り,一気に身近になったと感じます.

3.覚悟を決めないといけないところまで来た

こんな感じで,世の中にたくさんの”すごい”同世代がいることを痛感しまくりの高校2年生でした.ここに書いたのはつい最近のことばかりですが,コロナがあり,オフラインのつながりを得られる機会が激減したために僕もTwitterやFacebook,noteのSNSなどを始めて,いろんな情報を得たり発信したりしてきました.

高校1年次もなかなかに刺激的でしたが,それとはまた違うベクトルの刺激をたくさん得ることができたなぁと,こういう面ではある意味コロナに感謝してしまいます.(多くの方が亡くなっていることはまた別問題で,そこは何としてでも食い止めなければいけない事案ですが.)

そのような交流を通して思ったことを1つ挙げるとするなら

もう責任から逃げられるような身分ではない

ということ.

僕が失敗して損害を受けるのがやっぱり嫌だなぁと未だに思いますし,僕以外の方が被害を受けるのはもっと避けなければと思います.

なぜなら責任を取る覚悟がまだできていないから

自分の未来や,他人の将来に被害をあたえてしまうようなリスクを背負ったり,そもそものやりたいことが誰かの将来に大きく影響を与えてしまうようなことにまだ踏み出せていません.

もしくは,誰かがお膳立てしてくれた場所で,どう考えても失敗できない環境でしか活動をしていないように感じています.

これが良いとか悪いとかいう問題じゃなくて,のちのちには誰かの将来を良くも悪くも変えてしまう可能性のあることに関わるのかなと思います.

時には失敗して大損害を被ることもあるかもしれません.今の僕のままであれば,そこで逃げ出してしまうような気がして,多分そういうところがあるから,ぬくぬくした環境でしか活動できないし,記事を挙げたような人たちにまだまだ追いつけない(学ぶものがあまりにも多すぎる)状況なのかなと思います.

4.僕のほんの少しの覚悟

だからこそ今ここで覚悟をしっかり決めて,まずは僕の将来に責任をもって選択して,決定して,行動を起こして,いろんなことをしていきたいと思う.

・常に考え,新しいことを学び続ける!
・飽きるほどに数学の研究をし続けて論文をたくさん書く!
・いたるところにある”機会の分断”を少しでも小さくする!

この3つを挙げた理由を少しだけ書こうかと思います.

個人的に数学がすごく好きだし,研究って本気でやってみるとわかるけど,成果がなかなか上手く出ないときは悔しくてしょうがないし,やっとのことで出した成果をブラッシュアップする時は全部を投げ出したくなるほどきついこともある.

でもやっぱり成果を出し切れた時の歓喜とか,研究内容をちゃんと理解してくれる人との議論のワクワク感とか,どんどん世界が広がっていく感覚が本当に大好きで,数学やりたいなぁって(数学の研究やめられないなぁって)思う.一種の依存症みたいなものです(笑).

研究に関連して,学び続けることは仮に研究をしなくても必要だと思う.世の中はどんどん変わり続けていて,そこに対応するためにも多様な学びが必要だと思っている.社会には様々なものや価値観があって,それを知ること,理解することでどんどん世界が広がって,自分の人生が豊かになるからこそ,どんどん考え続けて,学びを得たいと思う.

そして,今こういう考えに至ったのも(逆に今までこういう考えに至らなかったのも)僕の周りにいろんな”機会の分断”があったからじゃないかと思います.僕は今在籍する学校で研究を奇跡的に始めることができました.もともと研究者志望じゃなかったのですが,それでもこの研究が,今僕が見ている世界を見る機会をもたらしたのかなと,その機会を得る前にある”機会の分断”を越えさせたのかなと思います.

分断ということについては,ぜひこのnoteを読んでみてもらえるといいなぁと思います.僕もこのnoteを読んで,考え方が大きく変わりました.

僕の個人的な考えですが,この中で触れられている”社会の分断”はほとんどが”機会の分断”に分類されるんじゃないかなと思います.

行きたくても行けない.求めてるものが得られない.隣の人は当たり前のように得られているものを,その隣の人はとてつもない苦労をして得ているのかもしれない.またその隣の人はそれを得ることすらできてないかもしれない.

「できない」ではなくて「やらない」を選べるように,自分がそういう経験を”得られなかった”状況から”得ることを選択させてもらえた”ように,誰かの支援をしたいと思っています.

5.まとめ

こんなことを思いながら,ついに明日(記事の執筆完了は3/31)から高校3年生になります.

受験がある.受かろうが落ちようが,1年後には高校という温かい環境を出て,少なくとも高校より厳しい環境に身を置かなければいけません.

大学で,または院で,そして社会で,僕自身の選択をやり抜いて,その結果に責任を持って,最後はその選択を正解にできるように覚悟を持ちつつ,これからたくさんの出会いと繋がりを得られる未来を楽しみにしながら,僕のやりたい”数学”と”機会の分断の解消”を全力で続けていきます!

最後まで読んで頂いてありがとうございました!