見出し画像

【Wine ワイン】Petite Clos Sauvignon Blanc 2017 プティ・クロ ソーヴィニョン・ブラン 2017


Sancerreの造り手Clos Henriがニュージーランドで作る、クリーンで瑞々しく清涼感のあるワイン。

Producer (生産者)
Clos Henri

Country / Region (生産国 / 地域)
Marlborough / New Zealand

Variety (葡萄品種)
Sauvignon Blanc 100%

Pairing (ペアリング)
アスパラのリゾット
サーモンの低温調理 ハーブソース
ボンゴレ・ビアンコ

https://a.r10.to/hzI1y6


#ワイン #wine #vin #vino #vinho #家飲み #宅飲み #自粛飲み


■New Zealand詳細


■プロフィール

■2018年に18GIが誕生へ

2017年7月27日、ワインとスピリッツを対象にした「NewZealand Geographical Indication Wine andSpirits Registration Act( 地理的表示登録法)か成立発効した。これを受けて生産者団体「ニュージーランド・ワイン グロワーズ(New Zealand Winegrowers)」は、準備を進めていた18ワイン生産地域でニュージーランド知的財産局(IPONZ)に「GI」 を申請した。
3カ月の審査と3カ月のパブリックコメントを経て、2018年中にGIが指定される見通しである。
今回の「GI」申請をみると、マールボロやセントラル・オタゴのようにサブ・リージョン化が進行している大きな産地であっても、それぞれのサブ・リージョンでGI申請をしていない。一方、歴史の古いオークランド地域は、そのなかでも歴史的に重要なマタカナやクメウ、独自の個性が分かりやすいワイヘケアイランドそれそれで、GI申請している。
オタゴ北部の「ワイタキ」が、セントラル・オタゴとは異なる、独立した産地として「ワイタキ・ヴァレー・ノース・オタゴ」として申請している。

■遅れてきた者の利点、活かしたワイン産地

ニュージーランドワインが世界的注目を集めるようになったのは、1980年代後半のソーヴィニヨン・ブランの登場、1990年代末からのピノ・ノワールの登場と、ごく最近のこと。
カリフォルニア、豪州、 チリなどの新世界産地に比較すると、「遅れて来た」存在である。また、代表品種をソーヴィニヨン・ブランとピノ・ノワールに据えた点でも、それまでの新興産地とは大きく異なる。
「遅れてきた」者の利点は、欧州だけでなくカリフォルニア、豪州など先輩産地が積み上げた最新の知見や栽培醸造技術の蓄積をそのまま活用できたことだ。 産地の選定から、苗木の入手、 ワイナリー設備の建築方法、 プロモーションに至るまで、大きな迷いなく一直線に、短時間に産地形成することができた。
また、赤ワインを気候的栽培適性の点から「ピノ・ノワール」生産に焦点を定めたことは、品種の特性上大きな資本による大量生産に馴染まず、むしろ世界中からピノ・ノワールでワインを造りたい「個人」 を呼び寄せることになった。
地元の若い醸造家らも国内ワイナリーにピノ・ノワール造りの技術情報・好事例が乏しいことから、 積極的にブルゴーニュやオレゴンに研修に赴き、 帰国後に中心的な役割を果たしていった。
比較的安価な栽培適地、ワイン産業のインフラ、教育環境がまがりなりにも揃い、「ライフスタイル」 として、 人生の選択として、ワイン造りやブドウ栽培を求める世界の「個人」の受け皿になりえたことが、 「量」だけでなく「価値」の成長を
促す大きな原動力となった。
独特なスタイルのソーヴィニヨン・ブランで輸出をスタートできたことで、高価で売り出すことに成功した。異なる産地から生まれるピノ・ノワールも、 これに続いた。外国人と新しい世代による産業基盤の構築が、 90年代後半以降本格化することで、現在の「ニュージーランドワイン」のイメージを創りあげていった。日本人オーナー酸造家の数が増え、日本の造り手の研修先ともなり、問接的に「日本ワイン」の品質改善にも寄与している。
ソーヴィニヨン・ブランが生産量の70%ニュージーランドは南太平洋に浮かぶ、北島と南島の2つの主要な島から構成され、 その距離は南北1,600kmにおよぶ。国土面積(268,680km)は、日本のほぼ7割の大きさをもちながら、総人口(469万人)は福岡県金体(505万人)にも満たない。 首都は北島のウェリントン。 オークランドが最大都市で、人口の3割が集中している。主要な産業である牧羊は減少し続けているものの、約3,000万頭と人間よりも依然圧倒的に多い。
ワイン産地は大きく10に分けられ、南緯35度から45度の間に分布している。ブドウ栽培面積は36.192haで、ボルドー全体の3割程度の大きさだ。ワイナリー数は673。ワイン総生産量は 3,139.000hℓ (いずれも2016年実績)。
2016年のブドウ収穫量は43万6,000tであり、品種からみれば、この70%にあたる30万3.711tをソーヴィニヨン・ブランが占める。産地からみると、南島マールボロ地域の収穫量が全体の74%の32万3,290tとなっている。生産量の大きな部分をマールボロのソーヴィニヨン・ブランが担っている。
ちなみに1995年まで最大生産量を誇ってきた品種は、ミュラー・トゥルガウだった。96年か2001年まではシャルドネ、そして2002年以降現在までソーヴィニヨン・ブランが最大と、主要品種は目まぐるしく移り変わり、同時に「ギズボーンの縮小」と「マールボロの拡大」という産地の移り変わりも映し出している。
2位がピノ・ノワール (3万5.661t、 赤ワイン用品種として最大)、3位がシャルドネ(2万9.162t)。ミュラー・トゥルガウは、ほば姿を消している。
ワイン生産者を規模別にみると、全体の86%(581社)が年間販売量2.000hℓ(22.000ケース)以下の小規模生産者。
40,000hl(44万ケース) 以上販売する生産者はわずか16社(2.4%)で、 大多数は小規模生産者だ。1995年当時のワイナリー数はわず204社だった。

■輸出が全販売量の7割占める

販売面はどうか。全輪出量213万3.700hlのうち85.6%がソーヴィニヨン・ブランとなっており、いかに1品種への産業依存度が高いかがうかがえる。
国内ワイン消費量はおよそ横ばいだが、 輪出量はこの25年間、若干のでこぼこはあるものの、右肩上がりで伸長が続いている。近年のニュージーランドワイン全販売量に占める輸出割合は80%程度で、輸出を前提とした生産構造となっている。近年ボトル商品の伸びよりも、バルクによる輪出の伸びが大きい(16年実績·輪出全体の3割超)。これは英国など消費地でデイリーワインがボトル詰めされる傾向を如実に反映している。
輸出先は米国、英国、豪州がトップ3。この3カ国で輸出の8割を占める。大きく離れてカナダ、 オランダ、 アイルランド、中国と続く。日本は量・金額とも12位(11,500hℓ、1.380万NZ$)で、高額品を少量輸入している(いずれも2016年6月年度実績)。

スクリューキャップの普及

ジェフリー・グロセットを筆頭に豪州クレアヴァレーのワイン生産者13社が、2000年ヴィンテージから白ワインにスクリューキャップ(ステルヴァン)を使用することを宣言してから、これに呼応してニュージーランドのワイン生産者らもスクリュー栓の使用を積極化する。白ワインだけでなく、赤ワイン(主にピ・ノワール)にも波及した。現在、「99%以上のボトルワインにスクリュー栓が使用されている」 (ニュージーランドワイングロワーズ)。


■歴史
前述のとおり、世界のワイン市場にニュージーランドワインが本格的に登場するのは1980年代後半以降にソーヴィニヨン・ブランが登場するようになってからである。その際に、主要ワイン産地は北島から南島へと移っていった。それまでは、他の品種による主に北島でのワイン造りにとどまり、 国内消費主体の小さな産業だった。


■19世紀 黎明期
ニュージーランドに初めてワイン用プブドウが植えられたの
1819年。英国国教会 (聖公会=Anglican)の英国人宣教師サミュエル・マースデンが、オーストラリアのシドニーから持ち込んだ、種類の異なる100本あまりの苗木を、北島ベイオブ・アイランズのKeri Keri ケリケリというところに植えたのが最初だ。原住民マオリ族に農業を教える目的で、試みられた。しかし、この事象では、ブドウがワインに醸造された記録は残っていない。
実際にニュージーランドで最初にワインを造ったのは、「オーストラリアのブドウ栽培の父」であるスコットランド人James Busbyジェームズ・バズビーだ。1836年に北島ノースランドのWaitangiワイタンギに開いたブドウ畑から生産した。 ワインは、 英国軍に販売したという。 同氏は、英国政府からニュージーランド駐在弁務官に任命されており、1835年に国旗の制定やマオリ首長による独立宣言署名などをとりまとめている。その後1840年5月に、ニュジーランド全土はイギリスに俳合され、1852年「ニュージーランド自治領」となった(1947年に正式な独立国となる)。
その後1850年に設立されたカトリック教会系のミッション・ワイナリー「Mission Winery」(ホークスベイ)や、1892年ベルナール・チェンバース氏が始めた「Te Mata」テ・マタなど、 徐々にワイン生産が北島各地で勃興してくる。

1898年から99年にかけてノースランドのWhakapirautワカピウラにフィロキセラが発見され、1902年に政府のブドウ栽培技士Romeo Bragatoロメオ・プラガートにより、アメリカ系台木が持ち込まれた。これにより台木に接木したブドウ苗木が普及するようになる。


■20世紀前半
クロアチア(ダルマチア地方)移民によるワイン造り

1902年、レバノン移民のAssidAbraham Corbanアシッドエイプラハムコーバンが、オークランド郊外の 「Henderson」ヘンダソンに4haの土地を購入。09年から造ったワインを販売した記録が残っている。これが「コーバンズ」の始まりとなる(ニュージーランド2位の規模にまで成長し、2002年に最大手モンタナにより買収。現在ブランド名だけが残る)。
ダルマチア地方(現在のクロアチアの一部)から、厳しい
経済環境と徴兵を逃れるために移民したJosip Petrova Bbichジョシップ・ぺトロフ・バビッチは、北島の「Awanui」アワヌイ北部で1916年、ブドウ栽培を始める。1920年代からオークランド近郊のヘンダソンでワイン造りを本格化させ、現在までつづく「バビッチ」となる。
「バビッチ」(1916年設立)、「ノビロ」(1943)、 「モンタナ」(1944)、「クメウ・リヴァー」(1944)、 「ヴィラ・マリア」(1961)、それに「プロヴィダンス」(1990)にいたるまで、 いずれもクロアチア(ダルマチア)移民をオリジンとしている。 クロアチア(ダルマチア)からの移民が、 母国で培ってきたワイン文化をもとに、オークランド周城でのワイン産業の基盤を整える役割を果たした。 現在に至るまで、 その存在感は小さくない。


■20世紀後半
酒精強化ワインからテーブルワインへ

20世紀前半までのワイン造りは、 オークランド周域でハイブリット種による酒精強化ワイン生産が主体だった。その後ワイン生産者は、産業の拡大とよりブドウ栽培に適した気候を求めてギズボーン、ホークス・ベイと北島の東側へ移動していく。1970年代に入るまでは、南島はその寒さから、ブドウが育つとは考えられていなかった。1960年代にかけて、 ドイツのガイゼンハイム研究所Helmut Becker ヘルムート・ベッカー博士の指導により、早生・豊産で、様々な土壌に適応するミュラー・トゥルガウの栽培が、ギズボーン地域で盛んになる。このことは、酒精強化ワインからテーブルワイン生産へと消費が移る大きな転換を反映したものでもある。 酒精強化ワインから、 テーブルワインへの転換は、日本を含む世界のワイン市場でみられた変化と同じ湖流にある。
そして80年代後半になって、シャルドネやソーヴィニヨン・ブランの生産が南島で高まるにつれ、 これらハイブリットとミュラートゥルガウは、過剰在庫・安売りの原因となっていった。政府は1986年、haあたり6,175ドルの補助金を付けた「抜根政策」を打ち出す。すると当時の栽培面積の4分の1にあたる1.517haのブドウ畑が、処分された。これは、価格の安定と、南島での新たなシャルドネ、 ソーヴィニョン・ブランの栽培拡大を後押しすることになった。また、1982年から90年まで政府のブドウ栽培技士を務めたRichard Smartリチャード・スマート博士の指導により、 「キャノピー・マネジメント」が導入され、飛躍的に栽培技術も向上した。
2004年から、オークランド大学がボルドー大学との共同研究を始め、ボルドー大学の故富永敬俊博士の指導の下で、ソーヴィニヨン・ブランのアロマ前駆体物質(チオール化合物:3メルカプト ヘキサノール=略称3MHなど)の計測方法などを学び、ニュージーランドのソーヴィニヨン・ブランの品質向上に寄与する研究をするようになっている。


■1970年代後半
マールボロとマーティンボローの誕生

1970年代前半、当時の大手ワイン生産者「モンタナ」は、ワイン生産拡大を念頭に、 新たな土地開発の必要に迫られていた。この要請に応える形で、 政府の研究機関「DSIR」(=科学・産業調査局)所属の土壌学者Derek Milne ディレック・ミルネ博士が、フランスやドイツの銘醸地の条件を調べ、その後ニュージーランド国内各地の気候や土壌を分析・調査した。結果、現在の「マーティンボロー」 が、 気候がブルゴーニュと似ており、 ワイン用ブドウ栽培に最適だと推奨した。しかし栽培面積が狭いことから、 この推奨は断念された。博士が2番目に推奨したのが、 南島「マールボロ」だった。
大きな土地を探していたモンタナ社は1973年、 ごく短時間で秘密裏のうちに1,173haもの巨大な土地をマールボロに取得する。これが現在の 「ブランコット・エステート」 となっている。当時、地元ではマールボロはブドウ栽培には 「寒すぎる」として、可能だとは考えられていなかった。最初はミュラー・トゥルガウやカベルネ・ソーヴィニヨンが植えられ、75年にソーヴィニヨン・ブランが栽培された。風が強く、厳しい自然環境のために、栽培方法を確立するのに当初は試行錯誤をくり返した。
その後、相次いで競合ワイン生産者が進出してくる。冷涼なことから、同産地は重要なスパークリングワイン産地としても、発展していく。
一方、「マーティンボロー」がブルゴーニュの気候と似ているというミルネ博士のレポートは1978年、一般に公開された。この内容に興味をもった酪農青年クライヴ・パットン氏業界の(1980年「Ata Rangi」アタランギを興す)、 ニール・マッカラム氏(1979年「Dry River」ドライ・リヴァーを興す)、それにミルネ博士自身(1980年「Martingorough Vineyard」マーティンボロー・ヴィンヤードを興す)、アラン・チフニー氏(のちに急逝)の四者がマーティンボローでワイン造りを始めることになる。 これが産地「マーティンボロー」の始まりとなった。


■1980年代前半
限られた種類のピノ・ノワール・クローン(苗木)

ブルゴーニュに似ている気候条件だと分析されていながら、マーティンボローの生産者は、優良なピノ・ノワールの苗木入手に苦労していた。スイスのヴェーデンスヴィル研究所経由でもたらされたピノ・ノワール・クローンは「10/5(テン・バイ・ファイブ)」の名で、1960年代から存在していた。カリフォルニア州では「ヴェーデンスヴィ・クローン(Wadensvil)」と称される。他のクローンと比較されると、相対的に華やかさに欠け、やや地味で単調という評価を受けやすいが、この比率が高くとも高評価を得ている生産者は今でも少なくない。
70年代には、カリフォルニア州デイヴィス校から「UCD5」など、複数のクローンがニュージーランドにもたらされる。UCD5は、 「ポマール・クローン」 と通称されるもの| ルドオルモ
で、デイヴィス校のHarold Olmo博士が1940年代
「シャトード・ポマール」の畑から採取してきたものだと、されている。色調豊かで、 濃く、 バイオレットの香り、肉厚な果実の特徴をもっている。
これら2つのクローンが、70年代にニュージーランドで入手可能な代表的なピノ・ノワール・クローンだった。
70年代後半からは、 造り手らが工夫して、様々なクローンを入手していく。
1970年代半ばのこと。オークランド空港で税関職員をしていたMalcolm Abel マルコルム・エイベル氏は、ある日フランスから帰国した客の手荷物から、ブドウ樹の枝を発見する。聞けば、 ブルゴーニュの「ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ」の畑から、 取ってきたものだという。エイベル氏は、これを帰国客から没収する。自身もオークランド郊外でブドウ栽培格ワイン造りをしていたエイベル氏は、この枝を検疫通過後に、自分の畑に植えてしまう。
マーティンボローでワイン造りを始めようとしていたクライヴ・パットン氏は、 ピノ・ノワール栽培をしているエイベル氏の存在を知り、同所でワイン造りを手伝う。その見返りとして、この枝の来歴を知り、枝をもらい受けた。問もなくしてエイ
ベル氏は急逝した。
アタ・ランギのブドウ樹のほとんどは、当初このエイベル氏のクローンによるものだけで仕込まれていた。現在は苗木屋を通じて「DRCエイベル」 「アタランギ・クローン」などと呼ばれて流通するようになっている。特徴は、 成熟がやや遅く、
骨格(タンニン)がしっかりとしており、黒系のフルーツをもたらす。素性ははっきりしないものの、優れたクローンのひとつとして、ニュージーランドで位置づけられるようになっている。


■1980年代後半
ピノ・ノワール「ディジョン・クローン」の登場

そして1988年以降もたらされるピノ・ノワールの苗木が、通称「Dijon Clones」ディジョン・クローンだ。クライヴパットン氏は、 より複雑な味わいを求め、新しいクローンが必要だと考え、オレゴン州の友人に問い合わせる。曲折あり、直接フランスに依頼し、1988年に「115」番を入手する。 その他複数のルートから、他の番号のものがニュージーランドにもたらされる。
ディジョン・クローンは、 元々第2次大戦後の荒廃したワイン産業の復興のために、 病気のない優良な苗木を地元農家に供給する目的で、1950年代以降フランスのワイン指振興団体「ONIVIN」によって研究が始まった。ブルゴーニュでその中心的役割を果たしたのがReymond Bernard レイモン・ベルナール博士で、ブルゴーニュの多数の畑から、主にピノ・ノワールとシャルドネの枝を採取して、優良と判断した株を政府農業機関に「認証登録」していった。
80年代、新世界で普及当初「ディジョン・クローン」「ベルナール・クローン」(ブルゴーニュの造り手にこの名称は現在も通じない場合がある)と呼ばれていたのは113、114、115、667、777(トリプル·セブン)の5種類で、いずれもモレーサンドニの「ドメーヌ・ポンソ」から採取された枝だった。
80年代は、善意で苗木をやり取りすることがまだ普通に行われ、厳密な管理制度がなく、フランス側は米国や他の新世界産地の要望に、応えていった。
ディジョン・クローン5種類の大まかな共通の特徴は、比較的早く適熱し、 房は手のひらに収まる大きさで、 密着している。アロマ華やかでエレガント、 明るい赤いフルーツに持ち味があるとされている。あまり暑すぎる栽培地では、 その魅力が出にくいとの摘もある。
現在はブルゴーニュでのクローン研究は「ATVB(Association Technique Viticole de Bourgogne=ブルゴーニュ栽培技術協会)」に引き継がれ、 より質の高い新しいディジョン・クローンが、世代を重ねて生まれている。また、海外への販売は「ENTAV-INRA」により厳密に管理されている。
ニュージーランドでは現在、これら「10/5」「UCD5」「DRCエイベル」 「Dijon Clones」ディジョン・クローン が、 ピノ・ノワール生産の基礎を成すようになっている。一つのクローンに偏るよりは、求めるワインのスタイルに応じて、複数をバランスよく組み入れるブドウ栽培が一般的だ。

■「ピノ・ノワール・コンファレンス」の成功

ニュージーランドのピノ・ノワールが、 短期間に発展した要素の中に、生産者間の情報交換を活発にし、品質改善に寄与した「ピノ・ノワール・コンファレンス」があげられる。
2001年から3年に1回、ウェリントンで3日間にわたり開かれる国際シンボジウムで、ジャンシス・ロビンソン、オズ・クラーク、マット・クレイマー、 ティム・アトキン、アラン・メドウズ、ジェームス・ハリデーなど海外のワイン・ジャーナリスト、批評家や生産者·研究者を招き、 ニュージーランド各産地のピノ・ノワールがどのように発展・成長しているかをさまざまなトピックで議論したり、各産地のワインを試飲したりする、消費者ワイン業界関係者一体の大きなイベントとなっている。
もともと米国オレゴン州で開催されている「インターナショナル・ピノ・ノワール・セレブレーション (IPNC)」をヒントに始まったものだった。ジャーナリストに情報を世界に発信してもらう点でも、強力なマーケティングツールとなっている。

■マオリ文化との融合

ニュージーランド政府は80年代後半以降、国の重要政策として、先住民であるマオリ民族文化との融合を積極的に進めている。自国のアイデンティティーをマオリ民族の自然観から導きだそう、という大きな潮流にある。ワイン産業にもこの影響は色濃く浮かびあがりつつある。象徴的なのは、「テロワール」と重なるマオリ語の概念「Turangawaewae」トゥーランガワエワエと呼ばれるもので、「人間が結びついている土地」を意味する。つまり「土地が人間を形づくり、人間が土地を形づくる」土地と人間の相互供与から、ワインが生まれる、と考える。人聞が「テロワール」を顕在化させた発見者という高位の立場ではなく、土地に働きかけた人間も、土地に形づくられ、土地の一部となる存在だ、と説く。 2017年開催のピノ・ノワール・コンファレンスで、主要テーマとして、ワイン生産者らにより語られた。
本格的なワイン産業の勃興からわずか30年ほど。欧州人を先祖にもつワイン産業ながら、 アジア・南太平洋に源流をもつマオリ文化から、「テロワール」に代わるワイン造りの言葉を導きだそうというところに、強い自立心と自信がうかがえるようになっている。

■気候風土

日本列島のように南北に長い。北島の亜熱帯な雰囲気があり、トロピカルな植生がみられる 「ノースランド」や「オークランド」。風が強く、昼夜の寒暖差の激しい「マーティンボロー」、唯一の半大陸性気候で、年間降雨量が400mmと
極端に乾燥している南島「セントラル・オタゴ」まで、多様な気候条件がみられる。一般化して語るのが困難なほど違いが大きい。
南島には中央を背骨のように「サザン・アルプス」山脈が走っている。このアルプスが、主に西側からの悪天候を巡る
役割を果たしている。タスマン湾に近いネルソンは例外で、サザン・アルプスによる庇護が限定的で、降雨量が多い。

■主なブドウ品種

主なブドウ品種の栽培面積は、ソーヴィニヨン・ブラン、ピノ・ノワール、シャルドネ、 ピノ・グリ、 メルロ、 リースリングの順で大きく、量産・販売しやすいソーヴィニヨン・ブランの面積が圧倒的に大きい。また、 赤ワインはピノ・ノワールが、 最大。ソーヴィニヨン・ブランの栽培は、マールボロに偏ってい
る傾向が強いものの、ピノ・ノワールは、マーティンボロー、セントラル・オタゴ、マールボロ、 カンタベリーなど各地に広がり、それぞれから特徴あるものが造られている。


[2016年主な品種別栽培面積(ha) とブドウ生産量 (t)]合計には、表記していない品種も含む
出典:New Zealand Winegrowers Annual Report 2017


[白ブドウ]

Sauvignon Blanc ソーヴィニヨン・ブラン
21,016(ha)
303,711(t)

Chardonnay シャルドネ
3,211(ha)
29,162(t)

Pinot Gris ピノ・グリ
2,455(ha)
24,892(t)

Riesling リースリング
767(ha)
5,937(t)

Gewurztraminer ゲヴュルツトラミナー
258(ha)
2,221(t)

Viognier ヴィオニエ
119(ha)
771(t)

Semillon セミヨン
48(ha)
466(t)

Muscat Varieties マスカット系
36(ha)
329(t)

Gruner Veltliner グリューナー・フェルトリーナー
46(ha)
276(t)

[黒ブドウ]

Pinot Noir ピノ・ノワール
5,573(ha)
35,661(t)

Merlot メルロ
1,271(ha)
9,321(t)

Syrah シラー
443(ha)
1,756(t)

Cabernet Sauvignon カベルネ・ソーヴィニヨン
283(ha)
1,537(t)

Cabernet Franc カベルネ・フラン
108(ha)
616(t)

Malbec マルベック
131(ha)
483(t)

Pinotage ピノ・タージュ
34(ha)
374(t)

白ブドウ+黒ブドウ合計
36,192 (ha)
436,000(t)

■ワイン法と品質分類

ニュージーランド食品衛生安全局 (NZFSA)が、 オーストラリア・ニュージーランド食品基準規約、1981年制定の食品法、2003年の改訂ワイン法などー連の法律に基づいて、ワイン生産の基準とラベル表記を管理している。ラベル表記は、2007年ヴィンテージから「85%ルール」が適用されている。単一の品種名·収穫年·産地名を表記する場合は、それぞれ85%以上の当該品種・当該収穫年・当該産地のブドウを使用しなければならない。複数の品種・収穫年産地を表示する場合は、 使用比率の多い順に表示する。
亜硫酸、ソルビン酸、アスコルピン酸といった添加物の表示だけでなく、国内ではアレルギーをもつ消費者に配慮して、醸造過程で用いられ、 製品には残っていないと考えられる卵白などの表示も2003年から義務づけられている。
また輸出されるすべてのワインに対して、輸出適格審査を受けることが義務付けられている。
2006年11月に地理的表示 (Geographica Indication) 制定法が成立、2017年7月に「地理的表示登録法」が成立。18ワイン生産地域でGIを申請中で、2018年中に指定される見通し。
なお、ニュージーランドワインの輸出振興マーケティング活動は「ニュージーランド・ワイングロワーズ」 が担っている。
事業は、ワイン生産業界向けの調査·統計の整備、 イベントの主催など。現在、 ブドウ栽培者とワイン生産者からの賦課金により運営されている。正式な成立は2002年。 また、 独自の環境保全型農法 「サステイナブル・ワイン・グローイング・ニュージーランド」の推進を積極的に行っている。現在ワイン生産量の90%が、この認証を受けたワインだとしている。

■ワインの産地と特徴

[2016年産地別栽培面積とブドウ生産量]
合計には表記していない産地も含む
HA:New Zealand Winegrowers Annual Report 2017
(ha)
(t)

Marlborough マールボロ
24,020
(ha)
323,290 (t)


Hawkes Bay ホークスベイ
4,744(ha)
42,958(t)


Central Otago セントラル・オタゴ
1,943(ha)
9,177(t)


Gisborne ギズボーン
1,448(ha)
15,944(t)


Canterbury/ Waipara カンタベリー/ワイパラ
1,436(ha)
12,170(t)


Nelson ネルソン
1,169(ha)
10,028(t)


Wairarapa ワイララパ
1,002(ha)
5,049(t)

合計
36,192(ha)
436,000(t)

■南島


マールボロ Marlborough (GI)

[ブドウ品種]
白:ソーヴィニヨン・ブラン、 シャルドネ、 ピノ・グリ、リースリング
黒:ピノ・ノワール

「マールボロ」(GI)のブドウ栽培面積は24,020ha (2016年)。同国全体のブドウ栽培面積の66%を占める。
2位ホークスベイを大きく引き離した最大の産地だ。このうちソーヴィニヨン・ブランが、栽培面積の8割(19,047ha)を占め、ニュージーランドワイン産業の屋台骨を支えている。
南島の東端に位置しており、北東は「クック海峡」に面し北側のリッチモンド・レンジが悪天候を遮り、南側のウイザー・ヒルズが太平洋からの強風など厳しい天候から守っている。
両山地の間に、ワイラウ川が南西から北東に流れており、 その流域にブドウ畑が展開されている。 近年、主に沖積土壌が分布するワイラウ川流域のエリアを「Wairau Valley」ワイラウ・ヴァレー、国道6号を境に南側の粘土シルトが堆積しているエリアを「Southern Valley」サザン・ヴァレーとして区別している。また、ウィザー・ヒルズを越えた太平洋側「Awatere Valley」アワテレ・ヴァレーでもブドウ畑開発が進行している。太平洋から直接厳しい強風を受け、より冷涼。従って「マールボロ」は、 大きく 「ワイラウ・ヴァレー」 「サザンヴァレー」「アワテレヴァレー」の3つのサブリージョン(GIではない)から構成されるようになっている。夏場 (1月)の最高気温は27℃、最低気温は13℃。年間降雨量は652mmと乾燥している。


■マールボロソーヴィニヨン・ブランの誕生と発展
マールボロのソーヴィニヨン・ブランはどのようなきっかけで生まれ、世界的に名声を得るようになったのか。
大規模なワイン産地としての土台は、モンタナが1973年に進出したことで、 できあがっていた。また、すでにモンタナほか、複数のワイン生産者らがソーヴィニヨン・ブランを生産していた。

1983年、豪州マーガレット・リヴァーのワイナリー「ケープ・メンテル」にニュージーランド・マールボロ地域の複数のワイン生産者らが、自らのワインを携えて訪問してきた。
当時豪州国内で名声を確立しつつあった「ケープ・メンテル」のオーナー醸造責任者デイヴィッド・ホーネン氏は、 その中にあったソーヴィニヨン・ブランに 「オーストラリアでは造れ得ないスタイル」 と感銘を受けた。直感的にマールボロ進出を決断。当初は自社畑も設備ももたず、「クラウディ・ベイ」の名で1985年ヴィンテージで初めてソーヴィニヨン・ブランを生産する(同年8月にワイナリーを建設する。ケープ・メンテルと共に2003年に「モエ・へネシー・ルイ・ヴィトン(LVMH)」グループ傘下)。
この85年産リリース後、英国市場を中心に「マールボロ・ソーヴィニヨン・ブラン」の国際的評価が急速に高まることになる。ワインは、パッションフルーツやグアバなどトロピカルフルーツの香味に、 清涼感あるカット・グラス(青草)やハーベイシャス(ハーブのよう)な香りが調和したもので、真新しいスタイルだった。この「トロピカル・フルーツとハーベイシャス」のアロマのコンピネーションが、 2000年代前半まで「ニュージーランド・ソーヴィニヨン・ブラン」の代名詞として、産業を大きく発展させる原動力となった。高値で輸出され、ニュージーランドのワインの高級イメージを確立することに成功した。
2000年代に入ってから、 このワインスタイルは南アフリカやチリに急速に追随され、似たものが安価に生産・輪出されるようになった。その人気ぶりの証左として、2004年に南アフリカの大手ワイン生産者2人の醸造担当者が、「ソーヴィニヨン・ブラン」生産で、 ハーベイシャスな香りを強調するために、醸造過程でグリーンペッパーを添加していたことが発覚し、スキャンダルに発展したほどだった。
この従来のニュージーランド、スタイルのソーヴィニヨン・ブランに徐々に差別性が薄れ、世界の飲み手が特徴に慣れてくると、マールボロのソーヴィニヨン・ブランのスタイルはより細分化個性化がみられるようになってくる。マールボロの中で、地域性の違いが確認されるようになったことも、 個性化を後押しした。
生産者はよりフルーツの熟度を重視するようになり、 過度の「カットグラス」「ハーベイシャス」の香りは敬遠されるようになっている。沖積土壌由来の成熟が早い「ワイラウ・ヴァレー」は果実の凝縮感とボディの強さが特徴とされ、粘土由来で豊かな粘性やフルーツの柔らかさのある「ザサン・ヴァレー」、厳しい栽培環境で収量が少なく、より堅牢で酸豊かな「アワテレ・ヴァレー」 というように、地域性の違いが打ち出せるようになっている。
2番目に大きな栽培面積のピノ・ノワール(2,590ha)も非常に重要で、他の産地と比較して「赤いフルーツが豊かで、丸みのある柔らかな味わいが特徴」とされている。
マールボロには、 フランス「Clos Henri クローアンリ」、オーストラリア「Cloudy Bay クラウディベイ」、スイス「Fromm フロム」、「Hans Herzog ハンスヘルツオーク」、オランダ「Staete Landt スタート・ランド」、日本 「Folium Vineyard フォリウム・ヴィンヤード」など海外から進出した生産者が多数存在する。


なお、この記事のスポンサーは『あなた』です。ご支援お待ちしています。     
https://qr.paypay.ne.jp/ytfZjKa7hVZXcaQW

#ワイン #wine #vin #vino #vinho

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?