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灘東大卒がキャリアを捨て無職、0からシリコンバレーで起業するまでの話

はじめまして
シリコンバレーでAI×Edtech領域のプロダクトを開発しています平田叡佑(ひらたえいすけ)といいます。
英語も起業も分からない中シリコンバレーに来て2年が経ち、簡単にこれまでのことを振り返ろうと思います。

スタートアップ起業がキャリアの選択肢として認識されるようになった今でも、まだまだグローバルで起業する人は少ないように感じます。

自分自身チャレンジがやっと始まったばかりですが、これから起業を考えている人や海外でチャレンジしたい人にぜひ自分の体験を参考にしてもらえれば嬉しいです。


灘中受験時代

小学校最初の頃は学校の授業についていけず、何度やってもくり下がりの引き算が全く理解できなくて泣きながら勉強しているような子供でした。
親や先生の顔色だけを伺ってまともに集中せず、授業中はよくぼーっとしてました。

ただ教育熱心だった両親に関西でもトップクラスの塾へ通わせてもらい、学校で分からなかったことが徐々に理解できるようになりました。
劣等感があった分勉強できるようになるのが段々楽しくなり、それに応えるように成績も伸びていきました。
レベルの高いクラスに入ると勉強量も凄まじく多くなり、入試直前は朝から晩まで12時間以上塾で勉強する生活が週6日も続くこともありました。今思えば小学生とは思えない狂気的な環境でしたが、おかげでさらに成績は伸びていきました。

最終的に灘の合格発表で自分の番号を見つけた時は勉強が苦手だった自分でも努力すればここまでできるのか!と感動して号泣していました。

東大からコンサル、そしてキャリアを捨てて無職に

灘を卒業してからは東大で機械工学を専攻し、その後新卒でLTSというコンサルティング会社に入社しました。

LTSは同期も先輩方も本当に優秀な方ばかりでファーストキャリアとしては最高の環境でしたが、心の片隅で自分の選択に違和感があり続けました。

というのも当時小学校の塾から中高、さらには予備校と大学まで同じだった幼馴染で現LabBaseの加茂
「スタートアップはアツい。世の中を変えてるのを実感する。平田も早よやった方がいい」
とよく勧めてくれていたのもあり、いつかスタートアップをやってみたい!と心の底では思っていました。

大学時代の加茂との写真

その思いも最終的には止められなくなり、LTSの先輩にも「中途半端になるくらいなら思いっきり勝負したらいいんじゃない?」とアドバイスいただき、わずか1年で退職することを決意しました。
今後のキャリアや収入を捨てて起業するのは当時は恐怖でしかなく、ほとんどの同級生が大企業や官僚、医者弁護士などの道を進んでいるのと比べて何度も選択を躊躇いました。
最後退職の旨を伝えるメールを送った時は手が震えたの覚えています。

退職してからは「デカい事業を作るぞ!」と意気込んで、学習に特化したSNSやキャリアコーチング事業などを作ろうとしました。
しかしながら何の経験のない自分が事業を作ろうとしても上手くいかず、何となくその時の挑戦に熱意を持てなくなっていました。
さらにコロナも退職直後から流行しだして人に会うこともできなくなり、ただただ時間が過ぎていくだけでした。

完璧に自分と同じ状況の漫画を発見。家賃まで同じ

シリコンバレーで起業する日本人達を知る

コロナで外に出れない中、Fastgrowのオンラインカンファレンスでシリコンバレーで日本人が起業することについてのセッションに偶然参加していました。

そのセッションを聞いて衝撃を受けました。
現地のバックグラウンドのない日本人が0からシリコンバレーで事業を作り、シリコンバレーのアクセラレーターを卒業して世界中にサービスを届けている。しかも3人も。

Anyplace内藤さん「シリコンバレーはワンピースで言うならグランドライン。なぜ世界一に挑戦しないのか?」

Ramenhero長谷川さん「日本人や日本から出るアイデアでも世界でNo.1になれる」

こんなにデカいことに挑戦する人たちがいるのか!とセッションを聞きながらと熱い気持ちになりました。
同時にグローバル市場から目を逸らしている自分に気がつき悔しさすら覚えました。

そのセッション後、勢いのままお三方にDMするとAutify近澤さんがお忙しい中返信していただき、30分Zoomでお話しすることができました。

訳のわからない急なメッセージにご対応いただいた近澤さん

近澤さんは自分の質問攻めにも丁寧に答えていただき、一方自分はグローバルで実際に戦われている方から生の話を聞いて興奮しっぱなしでした。

「平田くんも一回シリコンバレーに行ってみたらいいよ!コロナ禍だけど行けるはずだよ。」

それまではシリコンバレーにすぐに行くことなんて全く考えておらず、せめて日本で事業を大きくしてから・・・と計画していました。

ただ近澤さんにアメリカでは日本の起業経験が通用しないこと、最初からグローバルで挑戦する重要性を説かれ、自分の中でもどんどん熱が高まっていくのを感じました。
それまでシリコンバレーで起業するのなんて映画の中の世界で、全くの他人事でした。
自分がすぐにシリコンバレーに挑戦することを想像した時、正月過ぎた真冬でしたが恐怖と興奮が混じって全身熱くなり汗をかいていました
すぐにシリコンバレーに行くと近澤さんに告げて、その日のZoomは終わりました。

なぜシリコンバレーに行くのか?

大学ラグビー時代の自分

話は変わりますが、自分は中学から大学の10年間ラグビーに熱中していました
体格は人より細くて正直ラグビーに向いているとは言えませんでしたが、相手にタックルできた時やチームで勝てた時の快感にハマって、気付けば10年経っていました。
ただ結果的には良い成果を出すことはできず、何となくやりきれないような気持ちだけが大学卒業後も残っていました。


「もっとリスクを取れたんじゃないか、もっとチャレンジできたんじゃないか」
モヤモヤしたままラグビーの次の挑戦を探していました。

そんな自分にとってシリコンバレーでの起業は、ラグビーと同じかそれ以上にアツくなれそうなチャレンジでした。
特にスタートアップの世界では当然体格差は関係なく、自分であっても世界一の環境に挑戦できるというのは本当に幸運なことに思えました。


しかしいざ渡米を検討した計画した際に、不安なことがいくつも出てきました。

  • 英語:ほとんど国外旅行に行ったことがなく、英語もMy name is Eisukeぐらいしか話せない

  • アジアンヘイト:当時アジアンヘイトがニュースで報道されており、まさにシリコンバレーでアジア人が暴行を受けていた

  • コロナ:コロナによるロックダウンがアメリカでも進んでおり、現地の感染状況が不明

「今渡米するの最悪のタイミングだし、向こうでワンチャン死ぬんじゃね?」と迷いだし、結局2ヶ月間行くか行かないかでぐだぐだしていました。


そんな中、同じくシリコンバレーで起業されていた元Remotehour(現Retreet)の山田さんもお話しさせていただく機会がありました。

山田さん「今すぐ来た方がいいよ!滞在も1ヶ月じゃなくて3ヶ月に変更してなるべく現地に長くいた方がいいね。じゃないとただの旅行で終わっちゃうから!」
僕「ただそんな長期で滞在するお金も宿もなくて。。。」
山田さん「俺が何とかするよ!」
と初めてZoomで話しただけの自分に、アツい漢気で応えていただき

「ちょうど現地で若い起業家4人がシェアハウスを始めるみたい、平田くんもそこに入ったらいいよ!」と安い宿泊先を紹介してくださいました

このタイミングを逃したらもう渡米できないと思い、そこでようやくシリコンバレー行き飛行機のチケットを購入しました。

渡米


誰もいない空港

羽田から10時間以上のフライトを終えてアメリカに着いた時、まず最初に入国審査がありました。
正直この時までは大学受験で英語頑張ったし入国審査ぐらいは通れるやろ、と英語を舐めてました。
しかし審査官に「何しにアメリカに来た?」と聞かれ頑張って答えても、崩壊した自分の英語に審査官の顔は曇る一方。
別の審査官と2人で何やら相談し始め、なぜか自分だけ他の入国者の列から外され奥の個室まで連行されてしまいました(あれ?)

警察の取調室のような狭い個室で怖い顔の黒人審査官と二人きりにされ

審査官「誰の家に泊まるんだ?」
僕「boyfriendの家だよ」(緊張のあまりなぜか男の友達をboyfriendと言ってしまう)
審査官「お前はゲイなのか?」
僕「No, no」
審査官「???もう一度聞くけど誰の家に泊まるんだ?」
僕「boyfriendの家だよ」(テンパって意識朦朧、震え声)
以下繰り返し

今振り返っても訳のわからない会話です。

審査官からすればゲイじゃないのに彼氏がいる謎のアジア人男性をアメリカに入れる訳にはいかないとなり、それから1時間以上尋問されてしまいました。最終的には日本語の通訳とオンラインで繋げてもらい、なんとかアメリカに入国させてもらうことができましたが、人生ほぼ初めての英会話をめちゃくちゃ怖い黒人の審査官に密室1on1で詰められるというトラウマを抱えることになりました。


この時アメリカに入国できただけで尋常じゃない達成感があり、謎のドヤ顔で空港を後にしました。

気持ちはシリコンバレー起業家

復活したTech Houseに入居

シリコンバレーに着くと早速、山田さんに紹介してもらった例の起業家シェアハウスに入居しました。
シェアハウスはTech Houseという名前で、数年前にAnyplace内藤さんとRamenhero長谷川さんが運営していたものを、若い起業家達が新しく復活させたとのことでした。

そこにはカッキー公平ワッキーダッツという当時20歳から23歳の若い起業家達が住んでいました。


左から、カッキー、ワッキー、公平。油と炭水化物の塊を毎日食っていた住民達
日本での資金調達を終えて帰ってきたダッツ

最初に全員すごいなと思ったのは、会話の中で
「YCのアプライ出したわ」「〇〇(USのプロダクト)がイケてる」「シリコンバレーのVCにDMしたら返信来た」
と何もないながらも最初からシリコンバレーで打席に立とうとして、しかもそれが当たり前のように話していて正直カッコイイなと思いました。

グローバル市場に挑戦すると公言する起業家は多いですが、実際に世界最先端の土地に住んでそこで事業を作ろうとするのは全然違うなと。

自分も彼らに負けてられないなと思いながらも、まだシリコンバレーに残って起業することには躊躇していました。

現地の人に会いまくる

WeWorkにいるシリコンバレー起業家イメージ(カッキー)

当初の自分は「日本にいながらでもグローバルなプロダクトが作れるはず。まずは日本のマーケットを取って、それから世界に展開していこう」というつもりで考えていました。

実際に自分がシリコンバレーに住んでDAY1からグローバルを目指すというのは全くイメージが湧かず、正直ピンとこない。


そこでまず3ヶ月、シリコンバレーの起業家や働かれている人に話を聞いて回り、それから日本に帰るのかシリコンバレーに残るのかを判断することにしました。(この記事を参考にしました)

まずはWeWorkに若い起業家やその従業員が集まっていると聞き、彼らにいきなり話しかけてプロダクトのフィードバックを貰う、ということをカッキーに誘われてやりました。(今やったらWeWorkに追い出されるかも)


「My name is Eisuke. I'm Japanese entrepreneur. Could you give me some advice? 」というフレーズだけを覚えて、いざWeWorkに突撃。

緊張しすぎて血迷い、なぜかターゲットを一番入り口の近くにいた腕が脚ぐらい太い白人男性に定め話しかけると

「全然いいよ!横に座りなよ!」

ロシア人の起業家だった彼は

「英語も分からない君がそうやって知らない人に話しかけるのは本当に難しいことだよ。素晴らしいチャレンジだ!」

と言ってくれ、起業家としてのアドバイスやプロダクトのフィードバックを分かりやすい英語でしてくれました。

意外といけるぞ!

とビビりながらもそれから5人ほど話しかけ、小学生レベルの英語にも関わらず5人全員がアドバイスをくれました。

そしてほとんどのアドバイスが
「誰の何の課題を解決してるのか明確にしたらいいよ」
というものでシリコンバレーでも基本的なことは日本と同じなのか!しかも現地の人と話せた!と感動していました。


それから現地で開催されるミートアップにもいくつか参加しました。
ただ英語が全く分からなくて最初は誰とも仲良くなれず、どうやって仲良くなろうかと色々考えた挙句に酒を大量に飲んで酔っ払おうと考えました。
実際酔うと気持ちも大きくなって英語も話しやすくなり、英語が分からなくてもノリで仲良くなることもありました(ただし何を話したかも忘れました)

現地のマズい日本酒を大量に飲み「あの時のお前は狂ってたよ」と言われる


なぜシリコンバレーなのか?

ここにいる全員が世界に向けてプロダクトを作っている

こうして四苦八苦しながら3ヶ月、様々な人と話した結果分かったことは

シリコンバレーには世界中から同じ志を持つ人が集まってくる

ということです。

人種や性別、国籍も千差万別ですが、みんな共通して

  • 世界中で使われるプロダクトを作りたい

  • 〇〇領域で世界一になりたい

  • 世界に大きなインパクトを与えたい

と心から思って実際に行動に移している人ばかりでした。
そういう人だけが集まるシリコンバレー独特な空気があり、
日本のスタートアップとの違いは、同じサッカーサークルでもノリが違う、みたいなものだと思ってます。

新しいものを作っては壊すBuilderのカルチャーがあり、AirbnbやUberなどユニコーンの作り方を実際に知っている人、大量の投資マネーがここに集まり、世界を変えるサービスが生まれるのだと。


でもそんな中で日本人が勝てるのか?日本のマーケットを押さえてからチャレンジするのではダメなのか?

と、より一層その疑問が強くなりました。


それに対する答えとしてはOmneky千住さんの言葉が印象に残っています。

「日本人は世界で一番好かれている人種。しかもシリコンバレーは他の国と比べても一番移民の多いオープンな文化であり、日本人こそ挑戦できる環境だ」

「ソニーや任天堂が世界に広まっているのも世界にチャレンジしたから。
日本人は特殊だから、日本人に合わせたプロダクトを世界中の人は使わない」

千住さんと

千住さん以外にもYusukeさん中屋敷さんトラさんなど日本人起業家やハジさんなどスタートアップで働かれている方と話しましたが、

  • 英語ができない

  • スタートアップ経験がない

  • 現地の学歴や経歴がない

という困難な壁も失敗を繰り返しながら皆さん乗り越えられ、その困難以上にこの世界一の環境に熱狂している

そう言った方々と話す中で、自分がやらないのは単純にビビっていただけだったと気づき、覚悟を決めて日本ではなくシリコンバレーに残り事業を作ることに決めました。

Web3の波

一世を風靡したNFTゲーム

ちょうどアメリカに残ると決めた2021年夏頃、Web3やNFT、DAOというキーワードをミートアップやTwitterでよく見かけるようになっていました。

「猿のNFTが10億円以上で売れた」
「アメリカ合衆国憲法の初版をDAOで買おうとしてるらしい」
「Web3って何だ??」

とシリコンバレーでも大騒ぎ。

自分はブロックチェーンの知識もなく、人から聞くだけでは実態が掴めなかったので、実際にNFTを買ってみたりDAOに参加したりして理解を深めることにしました。

最初は何となく分かりやすそうだったNFTゲームのAxie Infinityをプレーしてみたり、DeveloperDAOというDAOにNFTを買って参加したりと色々なことを試しました。
DeveloperDAOを通じて沢山の友人を作ることができた時は
「今までアメリカでこんなに友達ができたことはなかった。これがDAOか!」
と変に納得していました。

DeveloperDAO Meetupに紛れる日本人(白パーカー)

また一方で、その当時日本ではWeb3やDAOについての認知がほぼなかったので、シリコンバレー日本人起業家の有志数名で和組という日本人向けのWeb3学習DAOを作りました。
それが日本のスタートアップ界隈でバズり1日で1000人、1ヶ月で3000人の規模になり僕らの対応が需要に追いつかなくなりました。
僕らがあわあわしながらメンバーからの質問に追われている時にキヨさん
「PMFってこんな感じだよ。マーケットに引っ張られる感覚。」
とおっしゃられていたのが印象的でした。

1000体MintされたWagumi Cats


Web3には何かある、日本人でも勝てる

教育事業がやりたかった自分はWeb3を通じて教育も変わっていくに違いないと考え、Web3×教育領域のプロダクトを作っていくことにしました。


事業の進捗が全く生まれない

しかしここからが負の連鎖でした。

まず最初のアイデアで作った学校DAOは開始して一瞬で失敗しました。

今後学校もDAO化していくというコンセプトでWeb3ページを公開した時はアメリカからインド、スウェーデンなどグローバルなメンバーが50人以上参加してくれました。
話を聞くとみんなそれぞれの国々で教育は大きな問題だから、学校をDAO化することで解決したいとのこと。
DAOだから投票制で学ぶことを決めようとまず議論したのですが、全員がバラバラのことを言い出し収集がつかず、しまいにやる気を見せていたメンバーも次々に消えていきました。

立ち上げた自分でも学校DAOって何だ?自分がしたかったことはこれか?と訳が分からなくなりこのアイデアは辞めることに。

学校DAOで知り合った人とDenverで集合した時の写真


次に学習歴を証明するNFTの発行ツールを作ろうとしましたが、ユーザーインタビューの中で明確な課題を見つけることができず、自分がやりたいアイデアじゃないと思い挫折。

教育領域から離れて投資家の評価や実績をOnchainで可視化するツールも検証しようとしましたが、自分の中で情熱を見つけることができず先輩起業家にも「やる気ないね」と言われる仕舞い。

そこからはアイデアを思いついては先輩に壁打ちする→やりたいことと違うからアイデアを変える→やっぱりやめるの繰り返しです。
頭の中だけで考えるだけで行動を起こせない。
ピボットとすら言えないような方向転換の連続、いや迷走。

起業家の先輩方からの
「えーちゃんは何のために起業したいの?どうしてそのプロダクトなの?なぜ教育なの?」
というシンプルな質問にも答えることができず、聞かれるたびに自信を喪失。
さらには色んな方からのアドバイスを貰っても自分のプライドやこだわりが強くて実行できない。
「もっと素直になったら?」
と言われることが多くなりました。


事業の進捗が出ないと、自己紹介するのすらだんだん嫌いになってきました。
起業家のイベントや集まりがある時はみんな順番に
「Aといいます、Web3版〇〇を作っていて〜」
「Bです、DAO向け△△を作っています。ハッカソンで賞貰いました。」
とカッコよく自己紹介します。

一方で自分は「自分は何だ?何も作っていないし何も誇れるものもない。でも舐められたら相手にされなくなるし。。。」と自己嫌悪に陥り、そういう場を避けるようになりました。

その時Tech Houseにいたカッキーや公平、ダッツ、PoppinカジモナPhiシュウゴはWeb3領域でどんどん結果を出していき、一方自分は何の成果も出せず何のためにシリコンバレーに来たのか分からなくなりました。
進捗がなさ過ぎて辛くなり、一日中ベッドにこもってYoutubeを眺めていたこともありました

「俺は起業家だよ」「ああ、無職ね」「ちゃうわ」
映画ソーシャルネットワークのとあるシーン


本当なら山あり谷ありのシリコンバレー創業ストーリーや、逆境を乗り越えながら成長する映画のような状況を想像していたのに、実際は何も起きない凪のような状態がずっと続くだけでした。
起業家というよりはただの無職でした。

結局はその1年半の間で一度もプロダクトを世の中に出すことができませんでした。

起業家コミュニティからの支え

日本人起業家コミュニティで旅行した時の写真

全く成果が出ない中でも、諦めて日本に帰るということだけは選びませんでした。
自分の強靭な意志でUSに残れたというのではなく、日本人の起業家コミュニティの存在が圧倒的に大きかったです。

シリコンバレーの日本人起業家コミュニティは現時点で20人以上おり、Web3やAI、不動産などの領域でそれぞれが別々の事業を作っています。
休日みんなでご飯を食べたりドライブしたりしながら、その最中に自分の事業についてよく相談し合っています。

もちろんアメリカなのに日本人だけでつるむのは良くないんじゃないか、という意見もありますが、逆に同じ日本人だからこそお互い信頼できて助けることができ、実際僕はこのコミュニティがなければ日本に帰っていたはずです。
シリコンバレーの特に日本人起業家としての悩みを理解してくれる存在は本当に貴重で、自分が何も成果が出ていない時でも支えてくれた方々には本当に感謝しかないです。

そんな起業家達で夕食を囲んでいる時、キヨさんの
「起業家の器以上に事業は大きくならない。上手く行かない時でも事実だけを直視して心を前向きにし、愚直に行動するしかないんだよね。メンタルを管理するのも起業家の仕事だよ」

という言葉で、どうしようもなくなったのはすべて自分のせいだと、目を背けていた自分の弱さと向き合うことにしました。

図星過ぎて泣きそうになるキヨさんのフィードバック


なぜこんなにも進捗を出せないのか、行動を起こせないのか。
自分の弱さとして3つ

  • プライドの高さ

  • こだわりの強さ

  • そのくせに何を優先したいかが不明瞭

今こうして書きながらも自分で本当どうしようもない奴だな、と思いますが事実そのせいで

  • プライドが高くて失敗を恐れる

  • こだわりが強くてやりたいことしかやらない

  • 優先したいものが分からないからやるべきことが見つからない

といったことが起きていました。

そうやって振り返る中でまず
自分の中で本当に優先されるもの以外は諦める
ことが大事だと気づき、それを実践することにしました。

では何を一番に優先するのか。

自分の志

少しラグビーの話に戻りますが、最も尊敬する人物の一人に元日本代表監督のエディージョーンズがいます。
2015年のラグビーW杯で弱小国だった日本を導き、ブライトンの奇跡と呼ばれる大番狂せを優勝候補の南アフリカに対して起こした張本人です。

自分が始めた時ラグビーはマイナーなスポーツでした。
ラグビーやってると人に言っても「アメフトやってるんだっけ?」と間違って覚えられる始末。ラグビーを観たことがある人は周りにほとんどおらず、肩身が狭かったのを覚えています。

それが2015年の勝利からわずか一夜にして逆転しました

日本が南アフリカに勝ったという衝撃的なニュース。
連日のテレビ報道に、五郎丸のポーズを真似する人達。
世界が一変してしまい、ラグビー関係者はいったい何が起こっているんだと皆戸惑っていたと思います。
その日以降、明らかに日本におけるラグビーの認識や世界における日本に位置付けは大きく変わっていきました。

それまでは体格のない日本人はラグビーで勝てないというような固定観念があったように思います。
正直ラグビー関係者でも日本が南アフリカに勝てるなんて想像もつかないことでした。
それでも努力次第で日本もやれるんだと、世界で戦えるんだとその可能性を結果で証明した。エディーの功績の影響範囲はラグビーだけにとどまらず、日本や世界に大きなインパクトを与えるものでした。

そしてラグビーに限らずそういった固定観念は世界中に沢山あると思います。

  • いい大学を出ないといい職業に就けない

  • 日本人はシリコンバレーで成功できない

  • 歳を取ったら英語は話せるようにならない

etc

自分自身も勉強やラグビー、シリコンバレーでそういった偏見を体験し、悔しい思いをしてきました。
そんな固定観念がある中でも本人の努力次第で成長し、結果を出すことはできる。
それをエディーのように人の成長に貢献することで、人の可能性を証明する。

それが自分の志であり、何よりも優先されることです。

Tech House運営を引き継ぐ

Tech House引っ越し完了

そうやって志が明確になると、できることが徐々に見えてきました。

まず一歩目としてTech Houseの運営を前の管理者だった公平とカッキー、ダッツから引き継ぐことにしました。
Tech House自体の解散も考えましたが、新しくシリコンバレーに挑戦したい若い起業家にとって必要な場所だったのと、自分自身がTech Houseから受けた恩を還元したいのもあってHibikiと一緒に管理人として運営し続けることにしました。


Tech Houseについてもう少し詳しく説明すると

  • サンフランシスコにある起業家向けのシェアハウス、かつてAnyplace内藤さんとRamenhero長谷川さんが始められ、現在3代目。

  • 世界に挑戦したい起業家が1~3ヶ月滞在する、シリコンバレーの登竜門のような位置付け

  • サンフランシスコは①家賃が高い②現地ネットワークにアクセスしにくい③治安が悪いため、まずTech Houseに滞在して本当に世界に挑戦したいか検討する

日本から沢山の起業家が訪れ、現地で起業するためのナレッジをシェアしながら生活しています。

数えると現在まで約半年で30人以上の起業家がTech Houseに滞在し少なくとも5人以上がそのままシリコンバレーやグローバルで起業しています

ドリコム内藤さんを囲む会
グロービス堀さんを囲む会

「Tech Houseがなかったらアメリカに残ることはなかった」
「ぜひTech House支援したいから何かあったら言ってくれ」
「Tech Houseを拡大する気はない?」
など有難い言葉をいただき、シリコンバレーで起業するための登竜門として価値を提供できるようになってきました。

自分にとってTech Houseはあくまでサイドプロジェクトで、自分のスタートアップとしての事業ではありません。
ただこうやって「人の成長に貢献し、人の可能性を証明する」という志が軸になったことで、今まで漠然とやっていたことが点と線で繋がりそれまで全くなかった自分の成果が初めて生まれ出しました

ChatGPTの波

2022年の末にはシリコンバレーにChatGPTの波がやってきました。
昔のWeb3と同じかそれ以上の熱量を現場で感じたのと、Edtechとの相性の良さから自分も直ぐにAIにのめり込んでいきました。
Web3には未練はあったものの今はそちらの方がチャンスがあると思ってAIにフルベットすることにしました。

ほぼ毎日開催されるAIミートアップ。全部サンフランシスコ開催(リンク

まず最初はGPT-4がリリースされたその週に速攻で開催されたハッカソンに参加しました

自分自身プログラミング経験はほとんどなく、Todoリストの作り方をUdemyで学んだり、既存のプロダクトに簡単な機能を足したりするぐらいでした。
ChatGPTを使ったら何とか開発できるだろう、と軽い気持ちでまずは参加することにし、Whisperを使って自分の話した英語を採点するツールを作ろうとしました。

結局時間内に完成させることができませんでしたが、現場のBuilder達の熱量を直接感じることができ、また周りのプロダクトの質を見ても全然勝負できそうだという感触だけ得ることができました。

ピッチするGlasp中屋敷さん。ハッカソン中ほとんどの時間ネットワーキングしてたのに、ピッチ直前の1時間だけで開発完了させてしまう


ただ作ろうとしたツールが完成しなかったのが悔しかったので、あくまで個人プロジェクトとしてとりあえず完成させようとしました。

天才エンジニアカッキーの励まし

一応完成し、とりあえずTwitterで宣伝。

本当にシンプルなプロダクトです。
ただ一年半何もプロダクトをリリースできなかったのに、わずか数日でプロダクトをリリースできました

その後より本格的なプロダクトを作ろうと、授業を行ってくれるAI先生を開発。

再びTwitterで公開したところ、10万人以上の登録者がいる最も人気なAI NewsletterのBen's Bitesや、CourseraやMasterClassにも投資しているEdtech系VCとして有名なGSV VenturesのNewsletterにDemoが掲載されました

Demo自体も1000人以上の世界中のユーザーに使って貰うことができ
「本番サービスを実際に使ってみたい!」「この機能をつけて欲しい!」と問い合わせを貰って、現在ユースケースを絞ってさらに開発を進めている状況です。

最初は本当に何もない状態から始まったプロジェクトでしたが、少しずつ成功を重ねていくことができ、自分のこだわりに苦しんでいた時には生み出せなかった勢いを自分の中に感じることができました。

学びとしては

  • プロダクトは完璧である必要はない

  • スモールに動き、今目の前のチャンスに集中する

  • やる人は少ない

凄そうに見えるものは意外と凄くない

失敗を恐れるな!小さくチャレンジしよう!というのはよく聞くアドバイスですが、とはいえ失敗は怖いし嫌なものは嫌だなとずっと思っていました。
それで1年半プロダクトを出せなかったのが自分なので

そんな中この2年間で大きな学びだったのは凄そうに見えるものは意外と凄くないということです

シリコンバレーにいて知ったことですが

  • バークレーやコロンビア大学のような有名大学ですら起業する人は珍しい。理由は大企業の方が安定してるから。

  • シリコンバレーの起業家でもほとんどプロダクトをローンチしない。YComninatorに採択されるような起業家ですら。

  • アメリカ在住歴が長い人でも英語を話せない人は多い。スペイン語や中国語しか話せない移民たちは、英語を話さずにつるんでいる。

日本人に限らず、シリコンバレーでもみんな失敗を恐れています

起業やプロダクトのローンチはみな同様に恐怖であり、特別自分だけの問題ではないなと。

他にも

  • 有名VCから大型の資金調達して大金を手に入れてしまい、事業を作るやる気を無くす起業家

  • トラクションも伸びて順調だったが、最初の調達が終わったと同時に共同創業者に自分が作った会社から追い出された起業家

などなど、シリコンバレーの起業家ですら失敗を恐れたり、理解できないような失敗をしていると知ったらかなりチャレンジしやすくなりました

成し遂げたいこと

人の成長に貢献するという志を軸に、今後成し遂げたいことが二つあります。

  • UdemyやDuolingoのように大きなインパクトを生む事業を作る
    アメリカには世界中から様々な人達が何かを挑戦しに集まってきます。
    お金が無いため大学を退学して独学でエンジニアを目指している、母国の情勢が不安定なためアメリカで働くしかない、英語が苦手だがハリウッド女優になりたい。などなど、現地で様々な人達に会ってきました。

    ただそういった人達はお金や環境、経験や言語の壁などが原因で上手く活躍できていないのが現状です。(自分自身も)

    UdemyやDuolingoのようなEdtechスタートアップはこれまでそういった人たちにも教育の機会を与えて社会に大きなインパクトを生んできました。
    僕自身も事業を通して人種や国籍、才能や環境に関わらず誰でも学習し成長できるような世界を実現していきたいです。


  • シリコンバレーでの日本人起業の再現性・コミュニティの拡大
    なぜグローバルで起業するのか?という問いも、ある意味起業は日本でするものだという固定観念があるが故に出てくるものだと思います。

    日本人がグローバルで起業して成功するはずがないという考えもありますが、一方で日本人や日本の文化は世界中から愛され、日本の視点から世界に貢献できることはいくらでもあると確信しています。

    今後Tech Houseなどを通して日本人起業家の挑戦を支援し、シリコンバレーでの日本人起業の再現性・コミュニティの拡大を他の起業家たちと一緒に実現していきます。

最後に

この2年間は本当に沢山の人に支えてもらい、ようやく前に進むことができました。

いきなりシリコンバレーで挑戦すると言い出した息子をずっと応援してくれる両親、SFに残ると決めてからずっと支援くださるキヨさん、Kazsaさん、サトルさん、ヒロさん、山田さん、ユースケさん、かずきさん、トラさん、さっそさん、ズシさん、Ozさん、ダッツ、公平、カッキー、モナさん、シュウゴ、Kid、なおちゃん、パティー、すみなさん、ひびき、みさき、マルコ、わっきー

起業を勧めてくれた加茂や、SFに残る理由を教えてくれた千住さん、お忙しいのにいつも快くアドバイスしてくださるハジさん
ここでは挙げきれませんが、他にも沢山の方々に支援いただき本当に感謝しております。ありがとうございました。

また現在Pre-seedの資金調達のために一時日本に帰国しております。AI×Edtech領域にご興味ある投資家の方々はぜひご連絡いただけますと幸いです。

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