慧眼 「英語のそこのところ」 第52回
【前書き】
今回、投稿するエッセイは7年前の2014年11月20日に水戸市の「文化問屋みかど商会」のファクシミリ配信誌に掲載されたものです。時節にそぐわない内容はご容赦ください。
ボジョレーヌーボーで騒ぐのをNative English Speakerにばかにされたときの話です。(著者)
【本文】
「自然と溶け合って生きてたい感覚があるからねぇ」
教授は口元にたくわえた髭をしごきながら言う。
「自然と溶け合ってですか?」
教授の左側に陣取って、最近の『ボジョレー・ヌーボー』のブームが気持悪いと意見を述べていた徳田は虚を突かれて言葉を繰り返した。頭が真っ白になる。今まで話していた『ボジョレー・ヌーボー』の話とどうつながるのかわからない。教授はおれの話を聞いていたのか? という不遜な言葉すら思う浮ぶ。いや、そんなことはない、教授は常に相手を対等に見てくださる方だ。今までも知識の量や権威でやり込められたことは一度もない。
「自然と溶け合ってですか?」
惚けたように徳田は繰り返した。教授の右側に座ったゼミ生の鬼頭が見かねて助け舟を出す。
「ボジョレー・ヌーボーは、『自然』だということですか?」
「う~ん、まぁそうだねぇ。取り込むものだから」
「?」
今度はゼミ生全員が「?」という顔をする。
教授は、チシャキャットのように右の唇を上げて、歯を見せながら笑うと、満足そうにうなずいた。
ここからは自分たちで考えなさいということだ。同時に、いい話題を拾ったという教授自身の満足の笑みでもある。週に一回のゼミだったが、だんだんわかってきたことがある。おそらく、教授は自分の周りにいないタイプの人間から刺激を受けるのが愉しいのだ。たとえ、それが二十歳そこそこの学生であっても。
その証拠に徳田は自分たちがゼミで上げた話題が、教育テレビや雑誌の対談などの俎上に上っていることがあって驚いたことが何回かあった。そういう話題を拾ったときに出るのが、教授のチシャキャットの笑みなのだ。
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