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ジャニーズの闇を紐解く‼️

皆様

改めて、お疲れ様です


昨今から騒がれているジャニーズについて

遂に日本の芸能界史上初となるジャニーズ事務所自ら会見が開かれるという


闇営業問題の吉本興業以来の歴史的会見が開かれましたね



そこで、今回はこれまでにおいて


語られることが無かったであろう、ジャニーズ事務所が隠してきた闇に触れつつ



今回騒がれている性加害問題についても振り返っていきたいと思います


まずは、ジャニー喜多川氏の経歴とジャニーズ事務所の歴史についてざっくり紹介します。


ジャニー喜多川氏の経歴(ジャニーズ事務所を設立するまで)

まず、ジャニーズ事務所の創業者であるジャニー喜多川さんは1931年10月、アメリカ・ロサンゼルスにある真言宗米国別院の僧侶であった喜多川諦道の次男として生まれます


ご存知の通り、姉はメリー喜多川


兄は後にアボロ開発の設計に携わる天才科学者になる方でした

そして、ジャニーさんは当時二重国籍であり


ミドルネームを使っていたとされています


1933年に一家は日本へ移住しますが

まもなく母が亡くなります


ジャニーさんが10歳になった頃ぐらいから本土空襲が激しくなり

和歌山県の港町に疎開したとされています


第二次世界大戦終結直後であった1947年、16歳の頃に子供たちだけでロサンゼルスに再び渡米します


そして、現地の高校に入学し


高校時代はアルバイトとしてロサンゼルスの「アニー・パイルシアター」のアシスタントを務めていました

「アニー・パイル・シアター」というのはですね


後の、「東京宝塚劇場」

現在の『東宝』のロサンゼルス支店、つまり映画館のアシスタントをしていたわけですね



業務内容としては、アシスタントという事です映写機をコントロールする担当を既に高校生の頃に経験していたわけなんですねぇ


そこから高校卒業後は、姉のメリー喜多川さんが進学した『ロサンゼルス・シティ・ガレッジ』にジャニーさんも進学します


『ロサンゼルス・シティ・ガレッジ』はですね、当時は新設大学としてかなり現地では人気がありまして

何より、そこでは主にハリウッド、映画、テレビ、演劇などエンターテインメントについて学ぶところでして


大学の学費も元々がエンタメ関係の企業が出資して運営されていたので学費が他の大学より比較的安かったわけです

まぁ現代の日本で言うところの『専門職大学』に近いですね


だからこそ、その時は子供たちだけで生活をしていたというのもあり

行きやすい大学だったわけですね。


とにかくジャニーさん達は早い年齢で実家離れしていて

10代はほとんど、子供たちだけで生活行動をする事が多かったんですね


そんな大学時代の19歳の時



ジャニーさんの人生が左右する出来事が起きるんです


それが、父が僧侶として運営する真言宗ロサンゼルス別院にあの美空ひばりさんの育ての親とされる川田晴久さんが「是非とも、アメリカで美空ひばりと公演がやりたい❗️」というのを聞いて


なんと「ウチの寺でどうぞ❗️」と招致するわけですね

川田さんは他にも候補を選びましたが、その中で最も環境が適していたのが真言宗ロサンゼルス別院だったため


お父さんに国際メッセージを送り



「スタッフはコスト削減のために現地で用意してくれないか?」
とお願いされるわけです

そこで、ちょうどロサンゼルスにいる長男であるジャニーさんを呼び出し

舞台の総合演出を任せたのです。



それが、後の人生に大きな影響を与える事になります


結局は美空ひばりの米公演は壮大な盛り上がりとなり


イベントは大成功を遂げました。


それにしても、もう19歳で演出家デビューされてたなんて驚きですね!


大学を卒業した1953年

当時21歳の頃


再来日し、GHQに入隊します

そこでは日系人だったという事もあり


日本語の通訳者として活躍していましたが、いつしか「朝鮮戦争」のニュースばかりが多くのメディアで流れるようになり

それを見て、「どうにか戦災孤児となっている現地の子供たちを救いたい!」


という事で、日本語通訳者として従軍しながらも朝鮮語(韓国語)を独学で猛勉強し


司令部に朝鮮語を喋れる事をアピールした上で朝鮮戦争の戦地への出向を自ら志願します

そして、ようやく期限付きで米軍側の板門店に異動します


「板門店」というのは、現在のある韓国と北朝鮮の軍事境界線の地区名を表したものです

当時は、国連軍として米軍も参戦しており


その軍事境界線に、ジャニーさんは配属し


現地の子供たちに1年2ヶ月、英語を教授しました

その後は、任期満了という事で再来日し、アメリカ合衆国大使館軍事援助団顧問団(MAAG)に異動しました


そんな1960年代からは東京・渋谷区代々木にある在日米軍宿舎「ワシントンハイツ」にて近所の少年たちで構成された野球少年団のコーチを務めるようになったんですね



というのも、お父さんが結構な野球ガチ勢でして


趣味で野球チームを立ち上げるほどのバリバリな野球ファンだったんですよ


その影響もあり、ジャニーさんも結構詳しくなっていて

軍仲間とかに野球の話とかしてたら


ある日に、上司からは「ジャニー、そんなに野球詳しいなら宿舎のグランドで草野球してる子達がいるから、そのコーチをしてやってくれよ!」という事で


ジャニーさんがチーム編成して、少年団を形成させたわけです


そして何度かチーム名を変えながら


出来たのが、「ジャニーズ野球少年団」


これが全ての始まりでした。


ある日、雨で野球練習が出来なくなったので

チームメンバーを映画館に連れていくと


そこでたまたま見た、『ウェストサイド物語』に大感動し


『YOUたちの、これやってみないかい‼️』



という事で、エンタメ業界参入を決意し

野球チームメンバーを『ジャニーズ』(初代ジャニーズ)として結成させます。


最初は、なんとか芸能事務所に彼等を所属させようとダンスを極めさせながら

各芸能事務所に営業廻りをしていまして


そこでやっと、芸能プロダクション『新芸能学院』(現在の名和プロダクション)と契約が成立します。

各芸能事務所に営業廻りをしていまして


そこでやっと、芸能プロダクション『新芸能学院』(現在の名和プロダクション)と契約が成立します。

っで、自身も新芸能学院にマネージャーとして入社して


数年間、共に『ジャニーズ』の芸能活動を見守りますが


あまりにも、目立たない上になんとか売り出そうと事務所社長と交渉を重ねますが、それでも方針が合わずに揉めまくり

新芸能学院を『ジャニーズ』を連れて退社


独立します


それが、後の日本の芸能界を支配するようになる『ジャニーズ事務所』の爆誕でございます‼️


ジャニーズ事務所の歴史


1962年6月、「ジャニーズ(初代ジャニーズ)」のマネージメント事務所として『ジャニーズ事務所』を創業します

というのも、インディーズでは知名度が上がらないということで

渡辺プロダクションと業務提携し、系列会社として存在を高めます。


そこから『ジャニーズ』を本格的にテレビ番組に売り込むようになり


田辺靖雄さんのバックダンサーとして活躍するようになります



そこから徐々に注目されるようになり

夢で逢いましょう』で初めて単独出演すると


かなりの人気となり

数本の曲が大ヒットします!



そこから『歌って踊れるアイドルを輩出しよう❗️』という事で

初代ジャニーズの売上収入を資金として、規模を拡大し、定期的にオーディションやスカウトを行うようになります


渡辺プロダクションからも独立を果たします

が、そこで早くも不祥事が!


1964年、かつて初代ジャニーズとジャニーさんが所属していた『新芸能学院』から授業料が未だに払われていなかった事から訴訟を起こされます

また更に、同じ『新芸能学院』から所属している未成年男子へのわいせつ行為が多数報告されたとして追加訴訟を起こされていました


ですが、当時は同性愛がタブー視されていた風潮もあり、マスコミに取り上げられる事は一切無かったという事です


おかしいですねぇ



おそらく、この時から親会社の渡辺プロダクションの権力を借りて隠蔽していたと思われます。

そして1968年、前年からは初代ジャニーズのバックダンサーとして活躍していたジュニア達が『フォーブス』としてデビューを果たします


また更に、ジャニーさん自身が映画『潮騒』のオーディションで落選したところをスカウトした『郷ひろみ』さんをスピードデビューさせます。

郷ひろみさんは後に、『新御三家』としてジャニーズタレント初の殿堂入りを果たします


ですが、郷ひろみさんもかなりジャニーさんさんから過度に愛されていたようで

かなりのデリケートな行為が頻発していたとして、周りに相談をするものの


その時から厚い信頼を得ていたジャニーズブランドが成立しており、相手にして貰えませんでした

というのもあり、当時設立4年目であったバーニングプロダクションに移籍しています


1972年には後の天才プロデューサーの異名を持つようになる『筒美京平』さんをプロデューサーとして雇用契約を果たします

そして、カラーテレビ普及によりお茶の間から人気を得ようと

スター誕生』にジャニーズジュニアを次々と出演されます


その中に、近藤真彦が出演しており


後の、たのきんトリオへ繋がってい


そんな中、1978年にいきなり「フォーブス」が解散します


その理由は、「ジャニーさんからの過度な少年愛があったから」と後に明かしています


そして1980年代には川崎麻世さんや、田原俊彦さんなどのたのきんトリオがデビューします


ですが、たのきんトリオの一人一人のメンバーがソロとしての活動が多くなります

これじゃ、グループ文化が劣っちゃうよ!」

という事で、1982年に『シブがき隊』をデビューさせ


「寿司食いねぇ」などのジャポニズムをテーマにした曲が次々とヒットします

そして、1985年には海外文化をオマージュしていこうとアメリカ留学を長らくしていた『少年隊』をデビューさせます。


1987年、ジャニーさんがたまたま見た洋画である『スターライトエクプレス』をヒントに


遂にあの『光GENJI』が爆誕デビュー‼️


ローラースケートが大ブームとなり、ジャニーズ事務所最高の売上を果たしました

アクロバティックなライブもかなりの人気となり、多くの女性ファンが殺到します


当時の日本のアイドル界に革命的となり


大きな成功を溶けました


また、光GENJIは現在のジャニーズアイドルの基盤とされており


実際に後々の「Kis-My-Ft2」は光GENJIのローラースケートパフォーマンスをオマージュしたとされています。


そんな光GENJIが世界的にも時の人として大ヒットする中で


1988年、10年前に解散したフォーブス元メンバーの北公次さんによって書かれた、初めての告発本となる『光GENJIへ』が出版されます。


そこから一部の読者がかなりの衝撃を受けるわけですね


まさかのあの輝かしいアイドルを多く輩出してきた芸能事務所にこんな酷い事があったなんて誰も思わなかったでしょう  


そして、翌年には初代ジャニーズの元メンバーである中谷良さんが書かれた暴露本、『ジャニーズの逆襲』が出版されます



2年連続と告発本が出版されたわけです。

そんな光GENJIも、1990年代に入るのと同時に売上は徐々に下がっていきました




原因として見られたのが、バラエティでのトーク力

歌って踊れるだけのアイドルの時代はここで終焉します。


一方で、1988年には『男闘呼組』がデビュー


ジャニーズ初となるロック路線のアイドルとなりました


キャッチコピーは、なぜか『ジャニーズの落ちこぼれ』


実際はかなりの人気の風靡していました


「ポスト光GENJI」としてかなりの注目を浴びましたが


まさかの1993年に活動休止となりました。


完全にアイドルブームは終わりを迎えようとしていたのです


なんとかしようと、1990年には和風文化と取り入れた「忍者隊」をデビューさせますが


狙い通りの大ヒットならず!


「もう。。。ジャニーズ事務所は終わりだァ❗️」


と嘆きながら、模索としている時にデビューさせたのが


『SMAP』‼️




ですが、当時


バックダンサーを務めていた光GENJIの失速と重なり


「仕立てられたアイドル」としてのグループが完全に世間では通用しなくなったわけです


そこで、SMAPのマネージャーを務めてた飯田プロデューサーによって考案されたのが

『どのジャンルでも活躍出来る幅広いアイドル』という事で


マルチタレントへ路線を進めています


そこから、多くのバラエティに出演しており


長年かけて徐々にお茶の間へ大きな人気を風します。


特に代表的なのが、『SMAP×SMAP』

後に伝説的な番組となります。


そして、マルチタレントという事でメンバー全員がドラマや映画の俳優として活躍していました。


SMAPはいつしか、日本を代表するアイドルへと成長しました


ピッも曲も連発し、完璧なアイドルが成立しました


95年にはv6がデビュー


それを追いかけるように『TOKIO』がデビュー

その後も、初めての関西ジャニーズJrから『KinKi Kids』がデビュー

一時代を築きました


マルチアイドルが次々と栄えていきました

そんな、ジャニーズタレントが瞬く間に勢いを再び増してきた一方で、更に元Jrの平本淳也さんが『ジャニーズの全て~少年愛の館~』という告発本を出版しました

内容としては、これまでジュニア時代に受けた性的虐待について生々しく告発しています


その翌年には元Jrの豊川誕さんの「ひとりぼっちの旅立ち」という自身の半世紀を描いた上での告発本を出版します


豊川誕さんは、豊川稲荷近くの孤児院で幼少期を過ごされていたのですが

孤児院から独立して間もない高校生の頃に偶然すれ違ったジャニーさんからスカウトを受けて

絶望から人生を大きく救われて


デビューに向けて、日々レッスンなどを邁進していたのですが


その途中から過激な性的虐待を受けるようになり


それに耐えきれられなくなり



長年所属していたジャニーズを志半ばで辞めてしまいました。


そんな切なく、裏切られたような憎しみなどがこの本に細かく描かれています。


一方、その頃表側ではジャニーズジュニアも湧いていました


そこでタッキー率いる「ジャニーズジュニア黄金期」を集結させようと始まったゴールデンタイムの番組が『8時だJ』がスタート


アイドルに希望を沸かせました。




そして、1999年


SMAPを超えるような更なる日本の代表的(王道的)グループを作ろうと『ジャニーズJr黄金期』のメンバーの中から結成させたのが

『嵐(ARASHI)』


ここから、日本のアイドルの常識が大きく変革されました

(ちなみに、『ジャニーズ黄金期』リーダーはタッキーで、史上最年少のデビューが期待されてましたが、結局最初にデビューしたのが、当時やや目立ちだった『嵐』のメンバーでした。)


そんな中、週刊文春は相次ぐジャニーさんの性的虐待の告発を受けて、長年の取材を行い

1999年に14週連続という前代未聞の大型特集を組み、ジャニー喜多川氏の性的虐待の告発内容から基づく真実を全て掲載します。

その翌年には、週刊文春の報道内容に基づき、遂に自民党を中心とした特別議会が開かれます

そこでは、「少年に対する性的虐待の厳罰化」を議論されました


その事を聞いたジャニーズ事務所は、「なんとか、議会を中止させないといけない!」という事で


そのきっかけを作った『週刊文春』を相手取り、名誉毀損の損害賠償を求めて民事告訴します。


そこで、第1審において取材を受けた元Jr10人が証言台に召喚されるのですが、物的証拠が無く地裁から「週刊文春は、悪意を持って事実とは遠ざかる信用性を敢えて欠如させるような内容を報じた」として800万円の損害賠償請求を週刊文春に行ったわけです

つまり、週刊文春は敗訴したわけなんです


権力というのは恐ろしいですねぇ

週刊文春が敗訴した事は、一部のマスメディアで報道されましたが

テレビや新聞が報じる事はありませんでした。


ですが、週刊文春は諦めずに高裁に控訴します


その第2審で、ジャニーさんが証言台にて「私は彼等が嘘を言っていると断定出来ない」と発言し、これらをもとに高裁は『ジャニーズ事務所の性的虐待』を認定する判決を下しました

そこで、やっと週刊文春が勝訴する事になります

その判決後に、1人の元ジュニアの少年が証言台にて、週刊文春側の弁護人に「この判決を受けて、ジャニーさんに向けて何か一言ありますか?」

という質問に対し、「ジャニーさんには長らくお世話になりました。その感謝を一生忘れません。私たちはこれからどう生きるか分からないですが、ジャニーさんには長生きして欲しい」と述べています。


その後、ジャニーズ事務所は最高裁に不服として上告しますが

最高裁は、それを覆す根拠が無いとして上告を棄却

ジャニーズ事務所は性的虐待があったことは遂に確実となります


が、時はもう2002年になっており


その頃は多くのメディアがジャニーズ事務所から多額のスポンサーを貰っていたため、反逆回避のために性的虐待が認定された事について一切報じられませんでした


なんせ、あのNHKさえも90年代半ばからジャニーズに依存するようになり

大河ドラマや紅白歌合戦もジャニーズ中心となっており

もはや逆らえない存在となっていました。


日本テレビも大型チャリティー番組『24時間テレビ』にこれまでアイドル扱いとして避けていたジャニーズを遂に1995年から起用するようになり、そこからチャリティー募金を誘導するようになります。

というのもあり、ジャニーズ事務所に都合の悪い内容は全て報道されないようになっていました


それが性的虐待を悪化させた原因とされています


法的機関までがジャニーズ事務所の性的虐待を認めたにも関わらず、それを日本全体は全面拒否したわけです


そこで阻止できるはずが、出来なかったわけです。


一方、2002年にやっと『ジャニーズJr黄金期』のリーダー・副リーダーだった滝沢秀明さんと今井翼さんが『タッキー&翼』としてデビューを果たします。


2003年には当時、問題となっていた東西対立問題を解消するために関東西ジャニーズが混合した『NEWS』がデビューします

そして、2004年には『ジャニーズJr黄金期』の盛り上げ役だったお笑い得意の関西ジャニーズJrたちを集結させた『関ジャ二∞』がデビューします。


そんな中、2005年には光GENJI元メンバーの木山将吾さんが書いた告発本、「SMAPへ~そして全てのジャニーズタレントへ~」が出版されます。

内容としては、光GENJIのメンバーとしてデビューが決まっていた木山将吾さんがなぜ辞退したのかというのが綴られています。


「木山将吾」さんと聞いて、「光GENJI?、そんな人いたっけ?」という方々が多いと思いますが


この方は、光GENJIのメンバーとしてデビューが決まっていた矢先にジャニーズを辞めたんですね


だから『光GENJI元メンバー』と言われてますが

微妙なところではあります。


そのデビューを辞退した理由が、同じく性的虐待を受けており、更には男性ホルモンの成長を止める薬物を強引に注射されるようになり


それを断念したら、ジャニーさんから飽きられるようになり

そこから事務所を辞めたという事です。


その後、木山将吾さん抜きの『光GENJI』がデビューを果たしますが


その顔というのが、全く子供っぽかったと

それ以降もメンバーたちを見ていると、全く歳をとる気配がないと


おそらく、あの注射をみんな打たれてからデビューのしたのだろう


という話なのですが


こちらの本も、かなり衝撃的な内容となってまして


この本がもし事実なら、デビューしているジャニーズタレントは全員

あの注射を打っているという事になります


でも、矛盾は全くしませんよね


だって今や大人気グループのほとんどが40代・50代となっていますが



全くと言っていいほど、歳をとる気配がないですからね


もしかしたら事実かもしれません。


一方でその後、2006年にはこれまでにない破天荒なワイルド路線で『KATーTUN』がデビュー

その代わり、後に多くのメンバーが脱退する事になりました。


そして、2007年には平成生まれのまだ幼い少年達を集めた『Hey! Say! JUMP』がデビュー


2000年代からは、個性を強調するグループが多く輩出する事になります。

また、ジャニーズJrも多くグループが組まれ

ジャニーズ黄金期以来の冠番組『Ya-Ya-yah』が放送スタート

5年間続きます。


そんな中、2007年には再び木山将吾さんがKATーTUN赤西仁さんの引退を受けて、告発本として『KATーTUNへ~赤西仁が辞めた本当の理由~』を出版します。


内容としては、赤西仁さんの引退を受けての告発内容となっています。


その後、2010年代に入ると


少年隊以来となる3人組、『NYC』がデビュー

ですが、メンバーである山田涼介と知念侑李がHey! Say! JUMPと掛け持ちしていたため

仕事が多忙となり、2013年夏以降から雑誌からも名が消え

事実上の解散となっています。

そして、中居正広プロデュースでローラースケートスタイルを復活させた『Kis-My-Ft2』がデビュー

それに続いてセクシーな少年たちを集めた『SexyZone』がデビュー

また、長年の下積み時代を経てのABCーZが異例となるDVDからのデビューを果たす


2014年には関西Jrのみの明るいメンバーを集結させた「ジャニーズWEST」がデビュー


また、2018年にはジャニーズJrの輝かしい2組を集結させた『King&Prince👑』がデビュー


その翌年7月、ジャニー喜多川氏は逝去します。


そこから新体制としてかつてのジャニーズ黄金期のリーダーとして変革してきた滝沢秀明さんが副社長に就任


ジャニーズJrを養成する「ジャニーズアイランド」の社長に就任し


ジャニーズ事務所の改革を進めました


2020年には、下積み時代が長かった「SixTONES」、「SnowMan」をタッキープロデュースでデビュー


更に、ジャニーズJrの定年制を23歳までに規定


2020年3月からのコロナ禍からは東日本大震災以来のチャリティーキャンペーンユニットを結成


タッキー主導でジャニーズグループのチャリティーグッズも販売します。



2021年以降も、ジャニーズJr育成を強化

「美少年」や「Aぇーgroup」などの第2次ジャニーズ黄金期が巻き起こり


Jrブームが再来しました


また、Jrの処分も厳しく取り締まるようになります。


そんなタッキー副社長がプロデュースを勤しんでいた中


ジュリー社長プロデュースで萌え萌え男子を集めた「なにわ男子」がデビュー


そこからジュリー社長とタッキー副社長と対立が起こり


2022年、トップアイドルだった「King&Prince👑」の3人のメンバーがジャニーズ退所を発表


その直後、タッキー副社長がジャニーズ事務所を退社


そんな人事に困惑を見せた2023年、カウアン岡本さんが国際メディアを通じて記者会見を開き


公の場で初めて、記者会見を開き


性加害問題の全てを告発


その後、2023年3月

BBCが「ジャニーズ事務所の性的虐待問題」をテーマに特集を報道


そこからジャニーズ事務所の性加害問題について、やっと多くのメディアが報道するようになり


事務所側も外部の専門家を集めた「再発防止対策チーム」が立ち上げられ


長年の告発からやっと、事務所は動くようになります


ですが、それでもマスメディアに対する圧力が乏しく、詳しく報道される事はありませんでした


ですが、6月以降にTBSの「報道特集」で地上波初の特集が組まれると


大きな反響を呼びました。


その後、2023年9月7日のジャニーズ事務所記者会見に至るわけです。


ジャニーズ事務所の圧力はあったのか?


昨今から騒がれている性加害問題以外にも、問題となっているのが


「ジャニーズ圧力問題」

これは、色々な場面にもよると思いますが


例とすれば、1番有名なのは「SMAPの解散」です

SMAP解散の疑惑問題


メリーさんが突如として、方針転換を行い


SMAPメンバーに、解散まで追い込ませた


というものなんですが


これはあくまで一部のメディアで取り沙汰されてる内容でして


事実かは、未だに分かっていません。


ですが、個人的としては飯島マネージャーが追放されたのは事実だと思っています


飯島マネージャーは、SMAPをマルチ路線でブレイクさせた言わば「SMAPの生みの親」でもあるわけです


他にも、数々のマルチに活躍するグループをマネージメントしていったわけですね


社内では、「飯島さんが付けば、必ず売れる」と言われるほど


ジャニーズタレントにもかなり慕われていたそうです


ですが、それを気に食わなかったのがメリーさんだったわけですね


「もしかしたら、あの子があまりにも優秀で事務所内で目立ち過ぎている。これだと、社内クーデターをされてしまうのでは無いか?」と恐れて


飯島マネージャーに不当な言い掛かりで圧力をかけるようになるわけですね


いわゆる「出る杭は打たれる」です


そこで飯島マネージャーは、遂に退社してしまうわけですね


でも、それに納得しなかったのが「SMAP」のメンバーだったんですね


そこからどうするかメンバー達で話し合った結果、メインの中居さんと木村さんがジャニーズに残るかたちで解散を決めたわけです。


その後は、ご存知のとおり


「新しい地図」というプロダクション兼ユニット名で独立を果たすわけですね


もちろん、飯島マネージャーが代表取締役を務めております。


問題はそこからでした


「新しい地図」への圧力問題

SMAP解散以降、ジャニーズ事務所を退社した元メンバーのCM契約は草彅剛さんの「一本満足バー」を除いて、全て打ち切りとなりました


これらは、確実にジャニーズ事務所の圧力に間違いないです

芸能界を引退する訳でもないのに、途中でCM契約を打ち切る事はまずないでしょう


レギュラー番組も中居くんの番組を除いて、全て打ち切りとなります


これらも、ジャニーズ事務所も圧力と見て間違いないと思います


というのもあり、「新しい地図」は1からの営業でスタートしました


それでも、メディアには全然出演してもらえず


低迷期同然だったようです



そんな中、2021年1月に公取委が「ジャニーズ事務所は新しい地図に対し、不当な圧力を行っている」として独占法違反を指摘されるわけです


その後からやっと、メディア出演が徐々に増えていくわけです


SMAP元メンバーとして認識されながらも、「新しい地図」として活動していき


今は好感度もかなり上がっています

中森明菜さんはなぜ姿を消したのか?


中森明菜さんといえば、1980年代を代表する国民的アイドルでした


ですが、自分たちが生まれ育った頃には中森明菜さんはメディアにいなかったわけです


勿論ながら、「中森明菜」さんの存在さえも知りませんでした


今も中森明菜さんの同年代の方々で活躍されてるのは、「小泉今日子」さん、「松田聖子」さん、「薬師丸ひろ子」さんなど


この3人しか我々は知らなかったわけなんですね


南野陽子さん、中森明菜さんなどは全くと言っていいほど高校の頃まで知りませんでした


ではなぜ、メディアから姿を消してしまったのか?


それが、「ジャニーズ事務所」の圧力だったんですね


中森明菜さん、熱狂的交際疑惑


中森明菜さんは、1980年代の国民的アイドルだったわけですが


その人気絶頂中だったある日の境に週刊文春からマッチとこ「近藤真彦」さんとの交際疑惑が報じられるようになりました


というのも、近藤真彦さんと中森明菜さんは共に1980年代を代表する国民的アイドルというのもあり、共演数がかなり多かったわけです


だから日本中のファン「この2人は絶対出来てるよね❣️」という事で熱狂的な噂が流れていったわけです

まぁ、現代で言うところも「松本潤さんと井上真央」さんと同じぐらいの熱狂的疑惑だったわけです


しかも、1985年には「愛・旅立ち」という中森明菜さん主演映画で2人はカップル役となり


更にファンの方々が熱狂するわけですね


そんな中で、遂にあの事件が起こってしまいます。


中森明菜、自殺未遂事件


1989年7月11日、とある方の自宅で右肩を切るという自殺未遂を図りました

幸いにも発見が早かったため、命に別状はありませんでした。


その後は直ちに救急搬送され、懸命な治療が行われたそうです

そんな事件現場となったのが、近藤真彦さんの自宅だったのです


そこで初めて、世間の皆様方は2人が本当に交際している事を知るわけです


じゃあなぜ、自殺未遂を測ったのか?


そこには、近藤真彦の知られざる闇がありました


マッチとこ近藤真彦、中森明菜さんから大金を奪い取り、浮気


中森明菜さんが、自殺未遂した原因については色々な報道があり


交際疑惑を知ったジャニーズ事務所が阻止しようと中森明菜さんに不当な圧力をかけたのではないかとの見方もありましたが


それならば、れっきとした○人になるため


可能性としては低いですが、まぁジャニーズ事務所ならやりかねない事ですよね。


そんな最も事実に近いとされたのが、「大金浮気疑惑」でした。


中森明菜さんと近藤真彦は、長年交際しており、婚約までしていたそうです


そこで、2人は結婚生活に向けて貯金を行っていたんですね


その貯金額は8000万円以上にも昇っていたそうです


ある日、明菜さんが通帳を確認しますと


貯金が全額、近藤真彦によって下ろされている事に気づくんですね


そこで明菜さんは、近藤真彦に問い詰めると


全額、レースに使った事を明かすわけです

その他にも総勢数億円の貯金も長くかけてしていたわけですが


こちらも全額使われています


それでも、なんとか見過ごそうとしていた時に


近藤真彦と松田聖子さんのキス写真が報道され、それに大きなショックを受けて


自殺を図ってしまったと思われます。


その時、近藤真彦はF3のレースカップに出場しており

マスコミから大きく叩かれました。



ジャニーズ事務所からの理不尽な圧力

入院してる間は病院側の方針で面会謝絶とされました


というのもあり、所属事務所の研音スタッフも1ヶ月会わせて貰えなかったそうです。


その時、メディアには中森明菜さんと研音との洗脳報道がされます

「中森明菜は、研音に深く搾取され、自由を制限されていた」というものでした


そして、まさかの年収も暴露され


「研音は中森明菜の収入を激減させている」という内容を報道。

そんな長い間の療養期間を経て、中森明菜さんはやっと芸能界に復帰出来たのですが


その後、メリー喜多川氏からの悪質な脅迫で研音を退社したのです

独立してからは当時、マッチ(近藤真彦)の担当プロデューサーである小杉理宇造氏と個人事務所を設立

その直後に、メリー喜多川氏から「マッチとの婚約会見をするから出てきて欲しい」と言われ

そのまま会場に向かうと、会見直前に裏でメリー喜多川氏から「マッチとの交際は無かった事にしろ!」と脅され

そうして、後に「金屏風会見」と呼ばれる史上最悪な理不尽過ぎる会見が行われたのです。


しかも、その日は12月31日夜


復帰して初めて出場する予定だった紅白歌合戦の裏での会見となりました

これも、メリー喜多川氏の思惑通りだとされています。


ちなみに、当時の紅白トリは浮気相手だった松田聖子でした


これは単なる偶然では無さそうですね。


その会見後、なぜか個人事務所の設立者である小杉理宇造氏が当事務所代表取締役を辞任


こちらもメリー喜多川氏が悪質な脅迫で辞めさせられたという報道が後になされています。


また後日には、中森明菜さん自身の復帰記念コンサートが2日にかけて行われる予定でしたが

初日の前日にマッチがいきなり婚約会見を開き、そのショックなのか中森明菜さんは初日終了後にいきなり倒れ


復帰記念コンサート2日目は、中止となりました。

全てがメリー喜多川氏による悪質な嫌がらせ(圧力)だとされています。


また、近藤真彦が率いるレーシングチームにはジャニー喜多川氏のポケットマネーが資金として投入されているのでは無いかと当時言われていました


メリー喜多川氏は、近藤真彦を藤島ジュリー景子氏と結婚させたかった!


にしても、何故そこまでして近藤真彦と中森明菜さんをメリー喜多川氏はかけ離したかったのか?

それは、自分の娘である藤島ジュリー景子氏とマッチを結婚させて


マッチをジャニーズ事務所長男として、取締役にさせたかったのではないかとされています


そして、経営存続として最終的には後の代表取締役として近藤真彦を就任させたかったのではないかと言われています。


また、1人のジャニーズ事務所関係者はとあるメディアの取材に


「メリーさんは、元々から藤島ジュリー景子氏とジャニタレを結婚させるつもりでいたのは事実であり、その中でマッチ(近藤真彦)が相応しいと考えていたのでは?また、藤島ジュリー景子氏とマッチは若い頃からのかなり深い関係であり、マッチの母親が交通事故で亡くなられた際には、メリーさんが親代わりとして2人を婚約させる事を誓った」という証言も出ています。


他にも、藤島ジュリー景子氏を幼少期からマッチの実家に遊びに行っていたそうで


マッチの母親は、藤島ジュリー景子氏専用の部屋を増築させたという話もあります。


というのもあり、メリー喜多川氏自身もマッチの義理母になるためにジュリー景子氏と結婚させたかったのではないかとされています。



嵐のメンバーなどと肉体関係を持っていた女性タレントAのその後の真実


かつて、嵐がデビューして間もない頃


一部の週刊誌で嵐のメンバーがとある女性タレントAと全裸姿でキスをしているベット写真が流出しました

ですが、そのスクープがあった事は多くの方が知らないかと思います


それもそのはず


ジャニーズ事務所の圧力で、報道された週刊誌は廃刊となっています。


その女性タレントAは嵐以外にも、v6森田剛さんやTOKIO長瀬智也さんとのベット写真も流出しており

他の明らかになってない多くのジャニタレと関係をもっていたと報道されています。

ちなみに嵐メンバーとは言っても、櫻井翔君は女性タレントAを大きく嫌っていたそうで


距離を置いていたとされています


というのもあり、櫻井翔君のベット写真は出ていませんでした


まぁ、櫻井くんにはその他の権力が絡んでるような気がしてなりませんが。。。


そんな嵐メンバーは他にも大麻所持疑惑も一部のメディアで報道されており


こちらも女性タレントA経由で引き渡ったとされています


女性タレントAは、以前から大麻の密売人疑惑が報じられており


嵐メンバー以外のジャニタレも大麻所持疑惑がもたれ


全員が女性タレントAと関係をもっていたジャニタレでした。


ですが、こちらもジャニーズ事務所の圧力で世間に知りわたることはありませんでした。


しかし、その報道から数ヶ月後


女性タレントAは自宅マンションで飛び降り自殺しています。


というのも、自殺後の女性タレントAの部屋には遺書が一切残されておらず


日常的にも自殺願望があったと思われる行動は一切見られず


今後のスケジュールも多く決まっていたそうです。


逆に、女性タレントAは多くの友人に近日からよく相談の電話をかけていたそうで


「今まで交際していたタレントの関係者に狙われている。。。殺される。。。助けて!」


と息継ぎを荒くして言っていたそうです


しかも、女性タレントAが自殺した直後もとても不可解で


女性タレントAの下の階の住人は、「女性タレントAの部屋から数人の慌ただしい激しい足音がドタバタと聞こえた」と証言しており


その直後に飛び降りてきたという。


しかも、飛び降りる前には部屋の非常ボタンを押したとみられ


その非常ボタンの大爆音で警察が来たところ


何故か部屋の鍵が空いており、急いで入ったところに


女性タレントAが飛び降りていたところを発見されたそうです。


本来の自殺で部屋の鍵を開けるのか?


こちらも謎ですよね


これらの憶測として、ジャニーズ事務所がジャニタレの大麻所持をしていた事実を隠蔽するために事務所社員あるいはお得意の団体に依頼して女性タレントAを殺害させたのでは無いかと言われています。


または、女性タレントAがその殺害を逃れるためにやむを得ず飛び降り自殺をした


どちらだと思われます。


もし、本当の自殺ならば


腑に落ちない事が多すぎるのです。



かと言って、他殺とも断言できない


とても闇深い事件となっています。


まとめ

  • ジャニー喜多川氏はジャニーズ事務所を設立する以前から性的虐待を行っていた

  • 性的虐待を受けていた事からジャニーズ事務所を辞めていった人が多くいる

  • ジャニーズ事務所には不当な圧力を継続し、多くの芸能人の人生を奪った

  • ジャニーズ事務所の圧力には、闇深い部分も存在する。


編集後記「ジャニーズ事務所の記者会見のその後」

本記事は本来なら記者会見直前に投稿する予定でしたが、色々な都合で3週間以上遅れてしまいました。


ジャニーズ事務所の記者会見では、圧力があった事を認め

今後は、その他の男性アイドルも音楽番組に出演させることも明かしていました


あれは良い対応だったと思います。


また、東山現社長による性加害の事実について本人は否定していました

この事実については、引き続き今後の報道を調べていく必要があるかと思います


また、会見後に多くのメディアがジャニーズタレントの出演を自粛する動きが見られてますが


こちらもとてもいい事だと思います


この動きが今後も継続される事が重要ですね。


今後も最新情報が届き次第、解説していきたいと思います


※ 本文は、一部のメディアサイトに基づいて掲載しているため、事実であるという保証は一切ございません































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