多様性社会における情報の受け取り方
今年の初めから、スマホの役割を極力少なくすることに努めました。
「音楽=i pod」、「SNS=PC」、「書籍=タブレット」、「決済=現金」というように本来であればスマホ一つで完結するような内容を各デバイスに再振り分けを行いました。
情報を制御する為に、情報端末の数を増やす、という逆説的なことになっていましたが、スマホがなくても「まぁいっか」程度には慣れてきました。情報を減らした分、改めて情報の受け取り方を考えるいいきっかけになりました。
最近行ったのが、情報の仕入れ先の整理です。ツイッターのタイムラインから流れてきた、「暇だから少し見てみようかな」というような内容になると趣向が偏ってしまいます。最近は毎日上のサイトから順に見るようにしてます。(カルチャー系が多くすみません、、)
情報の積み重ねが、思考にも影響してきますが、ここ数年間で情報の選択がますます難しくなったように思えます。
「香水」も「呼吸」も昨年あれだけ騒がれたのにもう古い印象を受けますね。ビジネスをベースにして、構築された情報には「消費」がつきものです。
「渋沢栄一」「論語」といったワードは現在のブームといえど、すぐに廃れるものではないです。
情報として、波があるもの、不変的なもの大きな差がありますが、これもごちゃごちゃになっている感も否めません。
広告や、全く求めてない情報も増え、知らず知らず「情報のカス」のようなものが溜まってしまい、疲れの原因になっていたことに情報との距離をあけて気づきました。
そして、いつの間にか誰もが知っている情報などありえないくらい情報の多様性も進んでいることにも気づきました。
ひと昔前は、情報の差はあれどある程度はすり合わせることができたように思えます。ただ最近は情報を入手する媒体によってすり合わせすら難しいくらいの差異が生じています。
なおそれでも、「衝突が起きない。」そんな社会こそが、多様性社会なのだと思います。これが多様性か、、、と最近は目の前に現れた「多様性」の存在にただただ茫然とするときがあります。
最近考えた、情報の受け取り方で重要なこととして
①自分が受け取りたい情報を絞ること
②受け取る情報に不規則性をもたせること
どの範囲、どの方向性の情報をキャッチしているのかを意図的に調整するのが①。そしてその①を組み合わせることによって垂れ流しではなく、情報に意志をもたせる②が必要なのだと思います。
「みんな違ってみんないい」の精神はもちろん大事です。ただ、みんな違っていること、そしてみんなそれぞれで良さがある。これを双方とも理解するのは中々難しいものです。
自分はこの範囲を見てる。あなたはこの範囲を見ている。たまにかぶったり、ずっとすれ違わないこともある。そんな情報社会のなかで、好きに生きていく。
暇つぶしの人生を、どう生きていくのか。今一度問われている気がしますね。
最近ふと見た立川談志氏の「人生」論をはっておきます。
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