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【振り返りnote】メモ帳の肥やしを振り返る。#2

行き場を失くしたアイデアたちがメモ帳に蓄積していく様を「メモ帳の肥やし」と名付け、それらを記事に昇華していくnote。
これはnoteで昇華された「元・メモ帳の肥やし」を振り返る記事です。

通常、自身の記事のまとめと言えば、反響が大きかったものやライターが気に入っているものをいくつか選んでコメントするものが多いと思うのですが、ここでは全記事振り返ります。

前回は4月末に今まで書いた記事の振り返りをしてみたのですが、早くも3ヶ月ほど経ちましたので、5月〜7月に書いた記事を振り返ろうと思います。

飽くまでも、自分で自分の記事を並べて、眺めて楽しむ用。
自分のためのまとめ記事ですが、ご興味のある記事がございましたら埋め込みから覗いていただけると幸いです。





実家暮らしの孤独

私は実家暮らしの大学生です。

家に帰ってもひとりではありません。
だけど、実家暮らしでも孤独で寂しくて仕方がないことだってあるのです。

誰かと一緒に暮らすことと、孤独を感じないことは違うものなんだな、って感じた話。

私が密かに感じている家族との相性の悪さを書いた記事になります。



私の怠惰は魔王よりも強い

自分の惰性に嫌気がさしたときに書いたものです。
普段はじっくりと執筆する私ですが、このときに初めて勢いだけでnoteを書きました。

自分の怠け癖はぶっちゃけ大昔から備わっているもので、別に悪化しているとかじゃないし、ずっと変わらないことのはず。
だけど最近になって、自分の惰性から自己嫌悪を繰り返すことが急激に増えました。

それはきっと人生のステップを進んでいるからなのでしょう。
今までは怠惰でも致命傷には繋がらなかったけど、その惰性が危険だと自覚するレベルにまで年輪を刻んできたから、自己嫌悪を招くのだと思います。

モラトリアムの最終段階でしょうか。



物語を要約するということ

私は高校時代に部活動で小説やらドラマやらを作っていました。
拙いながらも、フィクションの物語を一から作り出していたわけです。

そして、自己紹介やら何やらの身の上話で「物語を書いていました」って人に話すと、「どんな話書いていたの?」ってよく聞かれます。

これがめちゃくちゃ困るのです。
大抵、受け取ってもらいたいように物語は伝わらないのです。
「どんな話書いてたの?」って聞かれて、無理やり要約して伝えても、帰ってくる反応はいつも私にもやもやを植え付けます。

きっと、物語を要約することなんて無理なんだ、と思っています。
要約できないから、その尺になっているのよ。



努力は報われなくていい

努力は報われるべきものだろうか?
という愚問をあまりに極端に考えてみた記事です。

どんなに一生懸命頑張ったって報われないことがあるのはとても悲しい話。
なんなら、めちゃくちゃ頑張った人が何の努力も積んでいない人に負けるなんてことも実際にあり得るわけで、感情的には「そんな酷い話あってたまるか」って、思ってしまうのも無理はないかもしれません。

だけど、努力量が必ず結果に反映される世の中だったら?
と考えると、少しの息抜きも休憩も認められず、あまりに大きな罪悪感とハンデを伴うものになってしまうのではないだろうか、とも思うのです。

でもまあ、とにかく極端な仮想の話です。

努力は有意味だけど、無敵ではない。
私はそんな世界のバランスが好きです。



"悪者"を作らない想像力

もう長い間会っていないけれど、昔めちゃくちゃ嫌いだった人っていますか?
私にはいます。

だけど、人は時とともにあらゆる経験を経て変化し続けていくものです。
嫌いなあの人が昔備えていたその人格は今やすっかり別物になっている可能性だって小さくはないでしょう。

私はそういう、今の自分には見えない他人の背景に想像力をもち、容易に決めつけてしまわない人でありたいのです。



過ぎ去った閃光少女

またまた自分の惰性について書いた記事。

高校時代に生活が充実していた私が、大学生になって自分の惰性に屈した話を書きました。
私が今のところ人生で一番楽しかった、高校生活についての考察です。

そして、特定の楽曲を取り上げ、それについて何やらつらつらと思いを書いたのはこの記事が初めてです。
そしてたぶん今まで書いた記事の中で最も長いです。



嫌いな人を見つけたら、その人の長所を探してみる。

どんな人にも多かれ少なかれ良いところと悪いところがある、という言ってしまえば至極当然の話ではあります。

ただ、誰かのことを嫌いになってしまうと、どうしてもその人の言動を全て悪いように評価してしまうこともあると思うのです。
その人の言動を評価するのではなく、その人を悪く言うのははじめから決まっていて、後から言動に対して悪い言い方をする、という。

感情的には仕方ないのかもしれないし、それ自体を否定するわけではないけれど、少なくとも私はそうしたくないな。



感情の賞味期限

私はおそらく非常に疲れるnoteの書き方をしている、と思った話です。

私は普段、そのときに思ったことをすぐにnoteに書く、ということをしていません。
記事にする内容は大抵、昔思いついたけど形にされず、メモ帳で眠り続けてきたネタです。
だから、その時生まれた感情というものは、noteを書く時には生まれたときの鮮度では残っていないのです。

その上、扱う内容は具体的なエピソードというよりも抽象的な考えであることが多いので、余計に言葉は浮かびにくいし、話の構成なんて考えられたものではありません。

それでも「メモ帳の肥やしをnoteに昇華する」というコンセプトを掲げて、私は私なりの執筆をしていきます。







さいごに


以上、私が5月~7月に公開した記事を振り返ってみました。

自分自身の怠惰について書いたものが多かったです。
私自身、自分の惰性というものは最近のところ一番の悩みの種ですし、頻繁に自己嫌悪を運んできます。

だから、メモ帳を肥やし続けているアイデアの中でも、怠惰について扱っていたものが、最近の私の心境と交わって昇華されていったようです。

それくらい、自分が今までよりも強く「惰性から抜け出さなければ」と願うような人生の局面に足を進めてきた、ということなのでしょう。
これこそ、noteを振り返るからこそ見えてくるものですね。


ただ、今回振り返った記事の中で、『過ぎ去った閃光少女』は怠惰について扱った中でも私にとってひとつの起点になったものだと思います。
この記事を通して、私は自分の生き方を見つめて、ただ失望するだけでなく、未来に対してほんの少し前向きな考え方も書けました。
そしてこれを書いた後の2つの記事では、私は怠惰には触れていません。
一時的かもしれないけれど、自分の惰性についてひとつの踏ん切りをつけられたのかもしれないですね。


今回の振り返りでは、結構扱うテーマの偏りも見えたので、今まで書いたこともなかったような記事を書いてみたいなぁ、という気持ちにもなりました。

次回記事を振り返るときは、今回よりももっと色とりどりの記事が並んでいる振り返りができれば面白いかな、と思います。

まだまだたった2回目の振り返り記事ではありますが、まずはここまでnoteを続けて来られた自分を褒めて(激甘)、今後も記事を書いていきます。

私個人の振り返りにお付き合いくださりありがとうございました。


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