高校生が戦争を考える

このnoteを書こうと思ったきっかけは、明日(8/15)が終戦の日だということに今更ながら気づいたから。両親は勿論、両祖父母も戦後生まれで戦争の実体験というものをほぼ聞かずに育ってきた。小学生の頃歴史に興味を持ち、その中でも特に興味を持ったのが「戦争」という出来事。まだまだ勉強不足なので、そこのところご承知おきを。乱筆乱文ご容赦ください。

今現在もこの地球では争いが行われているけど、私が思うに結局は他人事。というか自分の世界線で考えられない。平和ボケと言われるけど、日本で実際に戦争を経験した人は日に日に少なくなっているわけで、戦争なんて別の世界の話だと思っている人が大多数なんじゃないかな。
事実私もその1人で、、、

1年半前の2月。ロシアがウクライナを侵攻したその日私はテスト真っ只中で、午前中で学校を後にし、家に帰ってテレビをつけた。そこに映し出されていたのは、騒然とした現地の様子。明らかに人生の中で1番戦争というものを感じた瞬間だった。

話は変わって、昨年末修学旅行で沖縄へ行った。
1日目と2日目に予定された平和学習。
私が特に印象に残ったのが、ひめゆり平和祈念資料館。そこでは、水筒や櫛などの遺品だけでなく、亡くなった方々の写真が掲示されている一室があった。私と同世代で懸命に戦い、命を落とした方々の写真だった。そこには、お名前と年齢、亡くなった時の状況なども書かれていた。多くのクラスメイトが足を止め、1枚1枚じっくりと見ていた光景をよく覚えている。
ありきたりな言い方だが、戦争の恐ろしさ、惨さを心の底まで深く学べたと感じた。


私は戦争に関する実際の映像や写真を見るのがどうしても苦手で、ドラマや映画を通して戦争を学ぶことが多い。
脚色も加えられていたり、現実をオブラートに包んでいるものが多いと思う。でも、映像作品だからこそ、一般庶民の生活が繊細に描かれていたり。私は女で庶民だからこそ、実際の戦争の映像よりも、庶民の日常を少しずつ浸食する戦争の影の方がより私の心に訴えかけてきたりするものがあったりする。
製作陣の方や役者さんの気持ちが、その作品にかけた思いが画面越しにひしひしと伝わってくる。

映像ではそこまで強調されずに描かれている玉音放送。(私がそう感じているだけかも)
でも実際の生活の中でも、突如として、前兆なく放送があったのかと想像すると、言葉にならない感情が溢れてくる。
ドラマ内でも、戦争がやっと終わったというほっとした気持ちを持ち人と敗戦したという絶望を覚える人に分かれることが多いと感じる。
私がその時代に生きていたら一体どんな気持ちになっただろうか。今の私には容易に想像ができない。


まだまだ綴りたいことがあるのだけれど、うまく綴れる自信がないのでここまで。
私たちは先人が残した、戦争の惨禍を学び、その惨禍を2度と起こさないことが、使命だと思う。
日々状況の変わる世界で、どう生きていくのか。私はこれからも考え続けていきたいと思う。


8月15日は78回目の終戦記念日。
戦争で命を落とした全ての人に未来の平和を誓って、黙祷を捧げます。



                   詠

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