私はここにいる
君の人生で一番楽しかった思い出は何?って聞かれたことがある。
質問してきたそいつは、「俺は◯◯のみんなとキャンプ行って、全員で◯◯したこと!」とかなんとか言ってたんだけど、あーこいつとはもう一生喋んなくていいなと思った。
楽しかった思い出?全然思い出せない。直近で言えば一回落ちた資格に受かった時は脳汁出たけどそういうことじゃないもんな。うーん。全く思い浮かばない。
私の幸福の世界観は基本、「嫌なこと、嫌いな人からの束の間の逃避と安寧」でしかないのかも。例えば二度と学校で体育の授業を受けなくていいとか、二度と毒親に生活を脅かされなくていいとか。
主体的に動いて自ら飛び込んでエンジョイするみたいな幸福を今のところあんまり味わったことがない。
この世界に私にとっての喜びは少ないのかもしれない。高校生くらいからなんとなく思っていた。みんなが笑っている理由がわからない。なんでそんなことで笑えるのかちっともわからない。世界は私のために設計されていないんだなと薄々感じていた。
よく、「気に入らない相手を変えようとするな、自分を変えろ」とか言う人がいる。そう言う人って世界が自分向けに作られてる側なんだろうな。自分を大して変えなくても済む人。私が幸せを感じるために自分を変えないといけないのであれば、もう脳細胞全て交換しないとだめ。
気に入らない世界の方を変えようとして何が悪いんだろう。私だって設計に携わりたいとまでは言わないまでも、意見をちゃんと主張してそれを取り入れて欲しいと願っている。私はこうなったら幸せだからこういう風に作り変えるべきだと、無謀を承知ではっきり言うことにしている。
だから最近職場でも揉めてるわけだけど、「君のそのはっきり言うところは面白いから、世の中を変えるかもしれないから、周りに合わせて変えないでそのままでいて欲しい」と言ってくれる人がいる。叛逆者になっても意外と味方は1人くらいできたりする。
私が小学生の頃どハマりしていたバイブル「涼宮ハルヒの憂鬱」は、タイトルそのまんま涼宮ハルヒが憂鬱だから世界の方を改変するみたいな内容のセカイ系ラノベである。
私はそんな主人公ハルヒが大好きだった。今生きている日常を自分はとんでもなくつまらないと感じていると彼女が自覚しなければこの物語は始まらない。
彼女は退屈極まりない日常に叛逆すべく、あらゆる面白いことを探し続ける。夜の校庭に忍び込み、ラインマーカーで宇宙人にメッセージを書いたりするのだ。「私はここにいる」と。
彼女の思いは見事に宇宙の彼方に届いていた。世界の改変がはじまり、人間だけでなく惑星や時間軸まで巻き込み、広義の意味の世界を慌てさせることになる。
この日常が面白くない私たちは果たしてこのままでいいのだろうか。何もしなければ世界は特に気がついてもくれないまま、私たちは憂鬱な気持ちのまま平穏に死んでいくだろう。気がついて欲しいのであれば、叫ばなければ。「私はここにいる」と。
おしまい
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