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わたしを彩るものたち

お酒が好きです。
ビール、ワイン、日本酒、ウィスキーがとくに好きです。
大人数で賑やかな場よりもひとり家で飲んだり、バーに行ったり、だれかと語らいながら飲むお酒が好きです。

私の年齢より長くある古いバーで勤めていた20代、「酒と話せ」と教えられ、白髪の師匠は「酒は黙って聞いてくれるから良いんだ」と言っていました。

ボトルの口を開ける瞬間、瓶詰めしたときの空気を感じることができるといいます。24年間樽で熟成され、待ちに待った出荷をされたウィスキーのスコットランドの香りとか、ルビー色したワインの南仏の香りとか、ヴィンテージものならもはや飲むタイムカプセル。一瞬でお酒のもつ記憶の彼方へ連れて行ってくれます。

お酒には知恵と知識と信じられないほどの多くの人の人生が詰まっています。お酒は偉大で、とても優しい。そんなお酒と向き合うと、ひとりでもひとりきりじゃないようで、自分のなかのいろいろが整理されていくような気がします。だれかと飲むと相手をもっと知れるようで相手のことがもっと好きになります。


手土産用のお菓子が好きです。
妊娠をしてお酒が飲めなくなった時に、手土産お菓子に惹かれました。

贈る相手を思い浮かべながら何かを選ぶ行為が好きです。
目上の方なのか、普段なにを飲むのか、甘いものが好きか、なにを渡したら喜んでくれるだろうか... 和菓子なら王的存在な虎屋、船橋屋の葛餅、お餅なら包みが美しい赤坂青野も良い。日持ちで選ぶならゆしま花月のかりんとう。鈴懸のかわいらしい最中も良い。気品のある赤とんぼのサンドイッチ、GATEAU FESTA HARADAのラスクは間違いなき美味しさ。若い人にならPRESSBUTTERSANDだろうか。

ブランド側も基本的には贈り物を想定しているため、包みやデザインが素敵だったり開けるときわくわくするような包装なのも魅力です。

手土産お菓子は愛だ、と思っています。必ずしも贈る本人が食べるわけではないのでお菓子を選ぶときは "だれか” を必然的に想像します。売場で行われるやり取りにはブランド側も購入者も、たとえ少しの時間だとしても、贈られる相手のこと、相手が封を開ける瞬間を思って発生しているのだと思うとあのデパートの地下一階お菓子売り場は愛が溢れてる、と感じるのです。

お菓子を贈る機会はお中元、お歳暮や帰省、お土産、お祝い、お家にお邪魔するとき、久しぶりの再会、、など意外と多く、大人になるにつれてコミュニケーションのひとつとして考えるようになりました。

お菓子を贈り合う風習は日本ならではなのでしょうか?だとしたらとても美しい文化だなと思います。

最近ではブランドストーリーや商品にもストーリーがあるところも多く、伊勢丹や東京駅のお菓子売り場をぐるぐるするのがとても楽しいです。


歴史的な建物が好きです。
とくに和洋が入り混じった荘厳な佇まいの国立科学博物館や国際子ども図書館、明治安田生命ビルなどの昭和初期建築が好きです。重厚な階段や壁。お金と時間をかけた細やかで贅沢な装飾建材を見るのが好きです。

寺社や日本家屋も好きです。床や手すりが滑らかで、風が通されていて古くともちゃんと手入れがされているところは、温かな人の手を、木のぬくもりを肌で感じられます。照明、ドアノブ、欄間など芸術的な細工に美しさを感じます。

歴史や文化が生まれた場所がどういった背景があって建てられたのか、だれの為に作られたもので、どんな人が訪れてどんな気持ちになっていたのかが知りたい。空間の細部まで設計された美しいその場所で、それらを想像してぼぅっとしていると空間に自分が溶けていくような感覚と、胸が締めつけられるような泣きたい気持ちになるのです。

それからSHISEIDO THE STOREHIGASHIYAAesopなど、徹底された世界観と細部まで設計し完成された場所でも泣きたくなるような気持ちになります。妥協なくこだわりぬいてつくられた空間は気迫すら感じます。

その空間を彩るひとつひとつにまで意味があるような、隅々まで意識が注がれたような空間に心惹かれます。

わたしが好きなものって?とか、どういったときに美意識が刺激されるのか感じるのかと自問自答しながら書いていたのですが、どうやらわたしは洗練されたものや空間のなかで、表面には見えない背景、時間や手間、人の行動を感じたときに美しさを感じるのだな、と思いました。

いま好きだと思えるもののほとんどは成人してから好きになったものが多く、随所随所で出会った人の影響だったりもしますが、子どもを産んでからより文化や物事の奥を知りたいと思うようになりました。

子どもと過ごす目まぐるしい日常のなかで、ところどころの時間に好きなものを忍ばせて気分を高めることがライフハックとなっています。

日常に感度を震わせるものを置くことや見つけることが自分を見失わないためのひとつの方法なのでは、と思うのです。



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