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私たちは消費しているようで消費されている。

「ステイホーム時間が長くなったから」といえば一辺倒それで済んでしまうが、すっかり平日は朝起きたら人のインスタストーリーやTwitterのアップデートをチェックして、友達のさらに友達とか誰がどうしたああしたってのを見て、あ〜〜って得したのか損したのかよく分からない気分になって、また仕事終わったらとりま話題のドラマ見て、感想をTwitterでチェックしたら、今度はまったりタイムでYouTubeのおすすめ動画をくまなくチェック。レコメンド精度の高さには本当に感謝。(そして自分に最適化されつくされたYouTubeのホーム画面は脳内が反映されすぎてて他人に見せられない)
動画見るのもダルくなったら話題のエンタメニュースの解説や、有名人でも一般人でもない中間の誰かが発信する便利情報のテキスト記事・動画をくまなく見て寝落ちる。

そんなこんなで走り抜けた金曜日の夜はアルコールを身体中に染み渡らせて、あてもなくスマホに指を滑らせてAmazonや楽天を漁りながら、ああ私も今週よく頑張ったから何か買っちゃお、なんて2000円くらいポチっちゃってさ。

休日はネットで話題のグルメのお店をとりあえず現場視察に行くだけ行って、適当にメニューに「おすすめ」なんて書かれたメニューを頼んで「わ〜これは新しいね!」なんて言ってみたりして、帰ったら適当にコンビニで買ったプライベートブランドの安ビールを家で飲みながらNetflixで誰かが面白いって言ってたオリジナルドラマたちを見る。

なんていうのがすっかり日常である。

様々な環境によって差はあれど、これぞ、せわしない"ザ・現代人"の今の姿だと思う。

しかしこれらを突き詰めると、行動パターンは至ってシンプルなのだ。
毎日、何かしら友達の何してる情報、タイムリーなニュース、●●●した人がやらない10のこと・みたいな便利情報、友人激推しのドラマ…など、私の感情を揺さぶろうと向かってくる有象無象のコンテンツを全身に浴びて、時には煽られていると私は分かりながらも、その中から選択して、見て、アクションしているだけ。

一応ね、毎日・毎時間、これはあくまで自分の意思で、目の前に現れる「このリンクを踏みますか?」「この中身を見ますか?」に対してYes/Noの行動を選んでいるから、「いや、私が全部の選択肢を作ってるよ???」って思っているのよ。

でもよくよく考えると、SNSのタイムラインもレコメンドも口コミも、本当は誰かが、私じゃなくて自身のために作った選択肢の中からしか選ぶ、ということしかしていない。

特に無料のサービスは私たちの興味や注意を引いて、入り口まで来させたらついでに一緒に広告を見せるビジネスをやっているわけだし、「感情が止まらない」っていうコピーを謡う某ストリーミングサービスも「再生が止まらない」って状態にして、時間の消費をさせている訳だし。

私たちはあんまり考えて消費していないのだ。


そして、この辺りはデジタルツールでに触れ過ぎている弊害(「スマホ脳」より)でも最近色々言われていているように、現代人はスマホやSNSに中毒になってしまって、集中力が急激に著しく低下していることも、多分無関係ではない。

毎日、最適なタイミングで、最適な形で、厳選されてデリバリーされる情報やコンテンツを「美味しい〜美味しい〜」なんて思いながら、むしゃむしゃ食べて満腹になっているけど、「ああ…こいつはめっちゃ食べてくれるな。美味しい〜美味しい〜」なんて、むしゃむしゃ食べられているのは私たちじゃないか。

自分で掴み取ったと思ってるその選択肢は、本当に自分が作ったものだろうか?

少しの励ましが大きな活力になる燃費良い人間です!