見出し画像

少しはどこか「新しい私」。でありたいと思う。

新しい年を迎える。時間でいえばたった数秒差。カレンダーでいえばたった紙切れ1枚差。それなのに、「新年」というだけで何故かすべてが真っ新に生まれ変わったような気持ちになる。
心には新たな気持ち、目の前には無限の可能性に満ちた煌めく日々が300日以上もある。新しいことを始めるも良し。続くかどうかは別として、どんな道にも新たに一歩進み出す絶好の機会が「新年」にはある。

だけど、お正月休みを終えると、それはただの幻想のように思えてしまう。

新しさとは無縁の、日常に戻る。仕事、家事、ご近所付き合い。「新年」は何がどう去年と違うのだろう。たった数日の休み。それがアダとなったように1,2週間は忙殺と無気力に後押しされながら、これまでの日常を繰り返さなければならない。
買い物へ出かけると既に「新年」グッズは半額コーナーへ追いやられ、堂々と鎮座していたはずの特別コーナーにはバレンタインやらお雛様やらの文字がちらつく。店内に流れていた和楽器音は今年の年末までもう聴くことはないだろう。日常どころか、「今年」すら急かされるような心持ちで日常の食材とともに帰路につく。

そういう書き出しにしてみたものの、私にとってはこの”日常”に戻れる人たちが羨ましい。

昨年の1月、ようやく私を雇ってもらえるところが見つかり社会人の仲間入りができた。仕事の辛さや楽しさ、働ける喜びとわずかばかりの達成感。多少のことは「社会人あるある」として流したり、友だちと愚痴を言い合ったり、noteへ皮肉めいて吐き出したりすることで、なんとか乗り越えていた。「この仕事、向いていないんじゃないか」とこぼしてしまうこともあったけど、なんとか良い面だけを見つめるようにして仕事をしていた。
しかし、11月半ばに心と体が私から離れていった。”仕事”を無意識が拒絶している、そんな感覚。「あれもしなきゃ。あれはいつまでだっけ?今やっていることはあそこまでやって、次の企画の練習して…」頭はそう働いているのに、体が動かない。「とりあえず、立とう」そう頭は指令を出しているのに、体は金縛りにあったように動かない(もちろん起きてはいる)。声すら出ないのに、涙だけ溢れ流れている。「どうしたん、自分」頭はそう慌てて問いただすのに、心は跡形もなく返事のしようもなかった。「怖い」何が怖いのかはわからないけれど、ただそれだけが唯一頭に浮かんだ。

母に連れられて行った病院の先生も、本社の保健師さんも、「よくそんな環境で今まで働いていましたね。辛かったね」と言っていた。どうやら”社会人/この業界あるある”で受け流していたことは、不適切なほどのパワハラ・モラハラだったようだ。毎月2,3はあるトラブルも「自分が未熟だから。自分が悪い。もっとちゃんと働けるようにならなきゃ」と思っていたが、どうやら職場環境に問題があったみたいだ。
友だちの「うちよりブラックw」発言もいささか間違いではなかったらしい。これまでのことを話したら「よく今まで働けてたよね。誰でも病むわ、それ。話聞いただけで病みそうやし、鳥肌たってきた」とまで言われた。「きっつwwどんな拷問なん」と言われたときには「あ、そんなレベルやったんや…」とすら思ってしまった。

休職して1カ月半。少しずつ「全部全部自分がダメだからだ。自分が悪いんだ」という考えは友だちの「そんな訳ない!」に励まされ変わって来た。だけど「1年も働けなかった」情けなさと申し訳なさは残る。友だちに対しても親に対しても前任者の先輩に対しても「申し訳ない」と日々心の中で謝る。そんな私にも平等に”新年”は訪れる。

未だ休職中。パソコンは触れるようになった(以前はパソコンを前にしただけで泣きながら企画書書いていたことを思い出して体が拒否していた)。本はまだ触れない(読書が趣味なのに、仕事が図書関連だったので本自体に拒絶反応が出てしまう…)。図書館は大丈夫なところ(雰囲気とか分類の取り方が違うとか)では30分くらい、ダメなところでは5分ほどで吐き気と息苦しさとマスクでは隠し切れない涙が現れる。開館から閉館まで過ごしたことあるくらい図書館は憩いの場だったのに。仕事も含めた”日常”にどうやらまだ戻れそうにない。

あの環境に戻るかと言われれば「もう絶対無理」と心が叫ぶ。でも”仕事”は楽しかった。働いていること、働けていること、社会にいると実感できること。それは幸せなことだった。だから”仕事”はしたい。同じ職種には戻れないとしても、”働きたい”。

楽しい人生を歩みたいけれど、楽な道は選びたくない。
楽な道は必ず下り坂だ。何にも抗わず堕ちてしまえば楽に違いない。
でもそれは”楽しい”のだろうか。
登り坂は苦しくても、一緒に登る仲間や手を差し伸べてくれる誰かがいれば、辛さも怖さも減る。視点の違う仲間と一緒ならいろんな景色が見れるだろう。それはきっと”楽しい”はずだ。

日常に戻る人々、新しい何かを始める人々に取り残された正月休み明け。
取り戻せ始めた”日常”と過去の学びから少しずつ変わっていく「新し(くはな)い」私を、本年もよろしくお願いいたします。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?