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〜富岡製糸場〜【世界遺産を色んな角度で見てみよう⑦】

こんにちは!永高の中学受験部屋です。第7回ですね!

世界遺産記事のマガジン連載はこちらからご覧ください。

今日ご紹介する日本の世界遺産は「富岡製糸場と絹産業遺産群」です。
2014年に文化遺産として登録されています。
今話題の渋沢栄一とも関係する富岡製糸場について、詳しくなっておいて損はないでしょう!

そもそも富岡製糸場って?

富岡製糸場は、明治5年(1872年)に明治政府によって群馬県富岡市に建てられた日本初の官営器械製糸工場です。

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↑錦絵(上州富岡製糸場之図)

開国した日本の主な輸出品は生糸でしたが、手工業による生糸生産が主であったため、需要に対して製造が追いついていませんでした。

殖産興業を目指す明治政府は、生糸の品質改善・生産向上技術指導者の育成を目的とし、フランスの技術と設備を導入した官営の近代的な模範製糸工場として富岡製糸場を建設しました。

※同じく官営であった八幡製鉄所は、ドイツの技術を導入しました。

なぜ富岡市に製糸場が建設されたか

富岡市が建設予定地になった理由としては、
①周辺地域で養蚕が盛んで、生糸の原料である蚕の繭が手に入りやすい
工業用水の確保がしやすかった
工業用地の確保がしやすかった
機械を動かすための石炭が近くから採掘できた

などが挙げられます!

なんで登録されたの?

富岡製糸場の世界的な影響力
富岡製糸場で作られた品質の高い生糸や養蚕技術は海外に広まり、世界規模で絹産業の発展に繋がったといわれています。
さらに、当時は上流階級しか身につけられなかった絹の大衆化に貢献したことも富岡製糸場が果たした役割と言えるでしょう。

工場の保存状態の良さ
富岡製糸場は、安価な化学繊維の普及もあり1987年に操業を停止しているものの、現在に至るまでほぼ完全な形で残っている。
19世紀後半の工場は世界的に見ても珍しいとされています。

東西技術の融合
富岡製糸場の繭倉庫や操糸場は、日本古来の木造の柱と西欧伝来のレンガを組み合わせた木骨レンガ造と呼ばれる構造で建設されています。

日本の絹産業の歴史

絹は紀元前の中国で生まれ、弥生時代に日本に伝えられました。
3世紀の「魏志倭人伝」には卑弥呼中国に絹織物を献上したという記録がのこっています。

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養蚕は奈良時代から全国的に広まっていたが、江戸時代に本格的に始まり、生糸は戦前の日本を代表する輸出品となりました

富岡製糸場と渋沢栄一

新一万円札の肖像、今年の大河ドラマ「青天を衝け」の主人公として今年大注目の人物、渋沢栄一。
そんな渋沢と富岡製糸場は深い関係を持っています!

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富岡製糸場の設立にあたり、明治新政府の伊藤博文や大蔵省租税正の渋沢栄一が担当となり計画が進められました。農家出身で蚕桑や蚕種に詳しかった渋沢栄一は、富岡製糸場設置主任に任命され、官営製糸場の設立に尽力しました。

2019年の開成中学社会でその年の大河ドラマ「西郷どん」を切り口に問題が展開されたことがあるように、今年の大河ドラマの主人公、渋沢栄一の周辺知識を入れておくといいかもしれません。

終わりに

如何だったでしょうか??
大河ドラマのような流行りに絡めた社会の問題は作りやすく、渋沢栄一の活躍は多方面に渡るので、入試に出やすいと言えるでしょう。

群馬の官営工場と言われて富岡製糸場を出せるようになるだけでなく、渋沢栄一が設立に関わった世界遺産は?と聞かれても答えられるというように、知識を色々な角度から引き出せるようになることは、社会の得点力アップには不可欠です。
一問一答のその先へ是非踏み出してみてください!!


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