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あとがきスリープタイム


人生で初めて小説を書いた。
一つ前の投稿の「曖昧スリープタイム」。


長文のまま下書きで止まってしまっていたので、
今更ながら公開できたらと思います。(2ヶ月遅れ・・)



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まずはじめに。
コメントをくださった皆さまありがとうございます。
シンプルにとっても嬉しくて。


登場人物の行動に寄り添ったコメント、
その時の感情ってこうだったんじゃないかというコメント。

すべてのコメントが嬉しかったんですけど、
あえてコメントは返しませんでした。


あくまでフィクションであって、
私の経験談ではないのと、
自分なりの解を出してしまうと小説にした意味がなくなってしまう気がして。

せっかくコメントしてくれたのに真摯な対応でないと思いながらも、
このnoteを通して御礼とさせてください。
本当にありがとうございます。


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なんで小説を書こうと思ったのか

理由は2つあります。

1つ目は読者にハマりそうな自分のエピソード不足
2つ目は思い浮かんだ感情に正解はないと思ったから


エピソード不足

言葉の企画2020 5回目の課題
”記事を書こう〜テーマ:あの感情に今、名前をつけるなら〜”を見たときに、
多くの人が自分の経験で印象深かった出来事を重厚に書いてきてくれるんだろうなと思いました。

楽しみだなあと思う一方で、
私にはそこに対抗できるエピソードがないなと。

正直に言えば、
私はあまり自己開示が得意でなく、情報を小出しにしがちなタイプです。

今まで話していなくて、
たぶん珍しいと思われる過去の経験:
(日本舞踊、華道、テレビ局でのアルバイト、週5の部活のマネージャー、小学校受験、箱入り娘が箱入り娘と認識した話、少女漫画的な恋愛エピソードなど・・)
を話したら興味を持ってもらえる可能性があるのかもしれません。

もちろん一つ一つの思い出に
わすれられない感情がリンクされていて。
あの時の感情に名前をつけるなら
というテーマで書くことはできる。

けれど、私にとって、
このテーマへのアンサーとして
本当に書きたいことではないように感じました。
そして2つ目の理由へと繋がります。



テーマを聞いて思い浮かんだ感情に正解が見出せなかったから


"正解って誰が決めるんだろう"


突然哲学めいたことを言ってすみません。

テーマについて考えながらいろんな感情を思い出していました。
嬉しい、悲しい、怒り、複雑、嫉妬、・・・
多くの感情がありますが、
その感情を感じたあと私は自問する癖があります。


特にマイナスの感情の時。
本当にその感情でよかったのかな、そう思うようにしていて。

きっとそれは幼少期の経験が繋がっているんだと思います。
相手に酷いことをされた、その時はさも自分が悲劇のヒロインであるかのように自己中心的に感じがちです。

相手への責任転嫁なんていくらでもできる、
けれど自分に非はないのか、
そう考えなさいという教えがたぶん刷り込まれていて。


正直この教えは教科書上というか道徳上、理想・模範的であると思うのですが、
私はこの教えのおかげで
譲歩しなくていいところも譲歩してしまって損した経験が沢山ありますし、
(私はそうは思わなかったけどボロボロに傷ついて友達に相談すると客観的には譲歩しすぎとのこと)、
この教えのおかげで
人の些細なことに気付き過ぎるようになりました。

最近の流行ワードだと、繊細さんですね。


そこも自分のアイデンティティなので受け入れてはいるのですが、
相手が悪いと感じたら悪いと決めつけて
合わないものは切り捨てていくキッパリしたスタイルや
目の前に悲しいことや人助けが必要な現象があっても見ないフリをするスタイルを
大人になるたびに少しずつ知りました。


教科書のような教えが正義と信じていた時期、
最初は正直戸惑って。
なんでいじめられている子がいるのに助けてあげないの?
そんなこともありました。
助け舟を出したらボスに目をつけられて苦労したこともありました(遠い目)


あの時はわからなかったけど、
あの時冷酷だと感じた行動も今考えればその人にとっては至って自然な自己防衛法なのだと私は思っていて。


前段が長くなってしまいましたが、
人との接し方の方針って正解がないと思うんです。


もちろん相性はある。

私で言えば、先述の通りの考え方なので、
人を蔑んでいると捉えうる発言をする人は苦手、とかね。
でもそれもその人にとっての自己防衛かもしれなくて。不器用すぎる自己防衛かもしれないけれど、あえてその道を選んでいるならいい気もして。



小説の中のことでいえば、
さやかは青石さんの噂を気にしていて絶妙な距離感をとっています。
西門さんはなんとなくさやかの発言に抵抗感を覚えてて。
話の流れとして青石さんと西門さんの2人の出逢いを描きたかったので、
さやかがセコいやつみたいに映るかもしれないけれど、
さやかの考えも一理あるんですよね。


少し話が脱線しますけど、
ドラマとかで
小学生の子どもに対してお母さんが
「あの子と仲良くしちゃダメよ」
というシーンがあるじゃないですか。
実経験がある人もいるかもしれません。


基本的にドラマではマイナスで描かれますが
一種の親心なんだなあと思ったりも。
教育方針があってその道を脅かす存在は近づけたくないのかもしれないし、
仲良くしてしまうことで自分の子がいじめられるリスクを回避しているのかもしれないし。

といった感じで、
机上の理想論にも二面性があるなと。


そんな日常の中に転がっていることを描きたくなりました。




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これから・・・


言葉の企画2020の第6回目の企画でも意思表示しましたが、
コツコツとフィクションの世界を紡いでいきたいと思います。


正直拙いと思うけれど。
誰かに響くストーリーを作れるように。


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