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思い出のアメリカン・フード (6: 学校給食とマカロニ・アンド・チーズ)

第6章 学校給食とマカロニ・アンド・チーズ

多くの子どもたち同様、我が家の小学生も学校の給食が大好きだ。毎月の予定献立表を眺めると、五目ごはん、カレーピラフ、鮭ちらしと、ご飯ものが多く並ぶ。年に何回かは地元・北海道のご当地メニューが登場し、ザンギ(北海道式の鶏の揚げ物)やサンマ丼などが出る。ジンギスカンが出た日は、娘はその匂いをつけて帰ってきた。児童と教職員、数百人分のジンギスカンが配膳された校内は焼肉店のような匂いでいっぱいだったに違いない。
 
 自分が東京の小学生だった頃はまだ米飯給食がなくて、ソフト麺かコッペパン等が主食だった。おかずには和風のものが多く、一番好きだったのは筑前煮だった。
 三年生の夏に父親の転勤に伴って米国に引っ越した。1978年当時、編入先の公立小学校の給食の価格は一食55セント。円の対ドル相場を調べてみると、同78年10月に152円というデータが出てくるから、おおよそ76円というところか。(この後、わたしの在学中、毎年10セントずつ上がっていった。) 毎朝、その日の給食を買いたい生徒だけが担任の先生に現金で支払うシステムだった。日本と同様、一か月分のメニューがあらかじめ表になっていたので、内容が読めるようになってからは好きな――というか食べられる――メニューの時のみ買うことにしていた。
 東京の小学校では、鈍い銀色のアルマイトの食器に当時悪名高かった先割れスプーン(姿勢が悪くなる、「犬食い」になると批判されていた)が使用されていた。一方、アメリカの給食は、温かい料理がアルミ箔容器、冷たい食品が透明プラスチック容器に入って届くという、使い捨て容器2つのセットだった。(牛乳は東京ではガラスビン入りだったのに対し、アメリカでは四角い紙カートンで、ごくたまにチョコレートミルクになるのが楽しみだった。)当時の日本なら、使い捨ての方が贅沢という感覚だったかもしれないが、子ども心に米国方式は嬉しくはなかった。透明プラ容器は仕切りがあって、10cm×5cmくらいの、大抵はスライスチーズを挟んだ小さいサンドイッチ、生のセロリやニンジンのスティックとそれにつけるマヨネーズかドレッシング、そして真っ赤に色のついたクラッシュゼリーのデザートが定番。それが冷蔵庫から出したばかりの冷たさで供される(飛行機の機内食に似ていますね……)。
 メイン料理の入ったアルミ箱の中身は、日本の給食に慣れた口には合わないものが多かった。ハンバーガーの時には、味気ないパティとマッシュポテト、グレービーと称するどろりとした液体が入っていて、それが茶色くバンズに染みていた。一番苦手だったのはタコスとブリトーで、大人になってまともなメキシコ料理店に行くまで、メキシコ料理はまずいという偏見を抱き続ける原因になった。
 そんな中で、比較的食べられたのがピザ、スパゲッティ(短く切られ、コシが全くなくなるほど茹でられてしまっているが)、ラザニア、そして今回取り上げるマカロニ・アンド・チーズだったのだ。全部イタリア由来のものだが、往年の「イタ飯」ブームを経ても、マカロニ・アンド・チーズだけは日本での市民権を得ていない。

 冒頭の写真は、この記事を書くために自分で作ったマカロニ・アンド・チーズで、給食で食べていたものとは見た目も食感も少し違う。有名な「クラフト(Kraft)」ブランドの画像検索をかけていただくと、少しオレンジがかった黄色いソースをからめたマカロニ・アンド・チーズの写真が出てくるが、これが記憶にあるものに最も近い。
 
 美味しいと思えない異国の給食を仕方なく口に運んでいた渡米当初だったが、滞米期間が終わる頃にはアメリカの味が身体に染み込んでいたものらしい。中学入学を前に帰国したが、アメリカで食べたあれこれが食べたいとしきりに感じるようになった。引っ越した先は地方都市で、東京のようにいろいろな食材が手に入る環境ではなかったのでなおさらだった。
 十数年後。日本の大学で博士課程まで進んだ後、さまざまな条件が揃って再びアメリカの地を踏むことができた。留学生活が始まって最初のクリスマス、ワシントンDCの近くに住む知り合いの先生のお宅に招待された。日本の大学に一時教えに来ていた女性の先生で、二人の子どものお母さんでもあり、家庭的な雰囲気の方だった。
 何か食べたいものはある?と訊かれ、「マカロニ・アンド・チーズが食べたい」と答えた。一緒にスーパーマーケットに行き、先生は例のクラフト社のパッケージを手に取ったものの、栄養成分表示を読んでカートに入れるのを止めた。
「まあ、脂肪分がとっても多いわ!これじゃなくて、わたしがいちから作ってあげる」
 その夜、先生が食卓に出してくださったのはチーズソース部分が少なく、やや薄味のキャセロール料理風のものだった。それはそれで美味しく、健康に気を遣う先生の態度は教師として、ゲストを迎える立場として、また母親・主婦として全く正しいものではあり、またありがたいものではあるのだけど……自分が想像していたマカロニ・アンド・チーズとは違っていたのは言うまでもない。

 その後、自分でクラフト社のセット(マカロニと、牛乳で溶くチーズソースのもとが入っている)を買って作ってはみたものの、記憶の味にはならないのだった。見た目は同じでもレシピが異なるのかもしれないし、よくあるように記憶の中の味は実際の味よりも上方修正がされているのかもしれない。そして何より、小学生だった自分と大人になった自分とでは、味の感じ方も変わってしまっているだろう。

 写真のマカロニ・アンド・チーズは、Adrian Miller著、Soul Food: The Surprising Story of an American Cuisine, One Plate at a Time (Chapel Hill: The University of North Carolina Press, 2013) 掲載のレシピから作った。これは「ソウル・フード」、米国の黒人コミュニティに愛されてきた料理の歴史を綴った本で、その記述によればマカロニ・アンド・チーズ(またはMac ’n’ Cheese)の歴史は少なくとも14世紀にまで遡れるという。もともとヨーロッパの富裕な人々の食卓に上るものだったのが、米国に伝わって奴隷制時代には黒人の料理人が調理するようになり、さらにイタリア移民の食文化の影響を受けて、中産階級や黒人を含む一般庶民の家庭で親しまれるようになったという。
 同書には3種類のマカロニ・アンド・チーズのレシピが載っている。チーズソースをからめた「こだわる人向け」のもの、著名シェフの考案したもの、そしてアメリカ国立心肺血液研究所が発行するレシピ集から転載された低脂肪のもの。3番目のレシピの存在が、この料理が中高年の健康にはよろしくないことを示している。でも、日本での生活ではそう何度も食べるものでなし、「こだわる人向け」で作ってみた。
 作り方はごく単純で、バター・小麦粉・牛乳・塩でホワイトソースを作り、そこにチェダーチーズを溶かす。茹でたマカロニを混ぜ、耐熱容器に入れて上にさらにチーズを振り、15分ほどオーブンで焼いて出来上がり。
 純日本育ちの家族にはどうかと疑いつつ夕食に出したところ、白いご飯と味噌汁が大好きな娘は手をつけなかったが、パスタ好きの夫が大半を食べてしまった。彼の体重と血圧の状況を考えるとこれはいけない、もう作らないことにするか、やっぱり低脂肪バージョンか、と考え始めたところで、恩師の判断を思い出した。現在のわたしたち夫婦の年齢は、あのクリスマスの時の先生の年齢に近くなっている。
 もし、「アメリカで食べたことがある。また食べたい」という客がやってきたら、どのレシピにしましょうか?それはその人の、「昔食べた、あの味」への愛着の強さと、健康への関心を天秤にかけた上での判断になるでしょうか……。

*2020年10月10日追記:読者の方から、円ドル為替レートについて「1978年の為替ですが、瞬間風速で152円はありましたが、基調としては190-210円でした」との情報をいただきました。御礼とともにここに記載いたします。

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