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それまで無意識に背負っていたもの〜初めてのひとり暮らし

3月最初の週末に初めての一人暮らしを始めました。

幸か不幸か、これまでずっととても便利な場所に暮らしてきたので、実家から離れて一人暮らしするチャンスがありませんでした。家族に気を遣ったり息苦しさを感じることもあったけど、基本的に寂しがりやで快適な家からわざわざ重い腰をあげて一人暮らしする気になれませんでした。

2年前に高齢の母の調整が悪くなり、いわゆる認知症の初期症状が現れていることに気がつきました。家のこと、母の身の回りのことなど負担が増え、周りの人に迷惑がかからないようにと一生懸命私なりにできることは努力していました。訳のわからないのことを言ったり行動したり。私がいくら説明してもわかってくれないのに、普段関わってこない兄の言うことは素直に聞いたり。そんな私は頭も気持ちもいっぱいいっぱいになっていました。何度行っても聞かない母。母の独り言や咳払いを聞くのもイライラし、怒りに怒りが助長されて自分でもストップできないようになっていました。

そんな時兄の雷が落ちました。

兄も兄でいろんな気持ちを抱いてきたのだと思いますが、私にしてみれば、とても冷たいひどいことを言われました。なぜ私がそうならざるを得なかったのかにはいつも触れず、自分の感情をぶつけてこられ冷たい目で私を全否定しました。私には家族がいなかったんだと思いました。母が亡くなったら、私はひとりぼっちになるんだなと覚悟しました。

そんな時、ある人の助言で家から、母から自立することを決行することにしました。それは物理的な距離的な問題というよりもっと精神的な意味合いなのだと思いますが、私はさっそく物件探しを始めました。「思い立ったが吉日」で動き始めないと、また重い腰で動き出さなくなってしまうと思ったからです。そして4、5年前にも別の人に同じようなことを言われたことを思い出したのです。「ウィークリーマンションでもいいからとりあえず一度家を出て一人で暮らしてみたら?」と。その時は言われて何も行動しませんでした。そのことを思い出しました。

今年は夏以降にイギリスに滞在したいと思っていて、そのため仕事もあえて期間限定のものを選んだこともあって、本格的に今一人暮らしを始めるには不都合があったのでウイークリーマンションを探しました。

自分で実際に物件を見に行ったりする中で、寂しい気持ちになったり不安になったりしました。「私はお母ちゃん子だったなぁ・・・」子供の頃、お母ちゃんが恋しくて仕方なかったことを思い出しました。家庭の温かさを求めていることも気づいたりしました。

そして家を出てみて、仮ではありますが一人暮らしを決行してみて・・・

大丈夫でした(笑)

私は感受性が強いというのか、感情的になりやすいようです。

いろいろ物件を探して、ここだったらすぐ住めると結局最後に教えてもらったところに決めました。駅から徒歩2分、駅前にはコンビニが2つもありながら閑静な住宅街。実家とは一駅違いで通勤の定期代も変わらず、お陰で荷物の移動も楽に済ませることができました。週の半ばと週末に様子を見に実家に戻ってしますが、これくらいの距離感がいいのかもしれません。母を思いやれる余裕があります。

病院の看護婦さんや先生、介護サービスにお世話になりながら、母は元気なりました。薬が効いているのか?このところ驚くほど頭がしっかりしているのです。料理もするしお買いものを行くようになりました。(以前は料理の作り方が分からなかったり、料理するとか買い物に行くという気力がわいてこなかったのです。)タイミングも良くそんな母の回復のお陰もあり、私は家を出ることができました。



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