英語で書かれた学術論文を読むには
授業がない長期休暇中というのは、たくさんの授業を抱える大学教員にとっては福音の、いわばチャンスタイム。
有能な方はスキマ時間をうまく利用しながら実験や論文執筆もこなせるのでしょうけれど、私は授業やゼミの合間に思考を切り替えるのがどうも苦手なのです。
そんなわけで、今月は論文執筆強化月間! 4月に入ると手が回らなくなるので、今月中にドラフト(draft, 草案)まで書き上げなくては、と日々机に向かってうんうんとうめきながら頑張りました。
現在書いている論文は国際誌に投稿予定なので、つまりは英語です。学生の頃は、英語論文を読むのもおぼつかなかったのに、まさか自分が書くことになるとは思わなかったし、まして書けるようになるとも思っていませんでしたねえ。
どうやったら書けるようになりますか、と聞かれたらこう答えます。「読めなきゃ書けない」。
私が4年生の卒業研究で初めて英語の論文を読んだときは、前置詞以外のほぼ全部の単語を辞書で調べて、出てきた日本語の単語をつなげて何とか理解しようとしていました。でも全然わかりませんでした。もっとも、日本語で書かれた論文であったとしても、理解できなかったと思うのですが。
修士時代の指導教員はアメリカ帰りの30代半ばの若いエネルギッシュな先生で、それが裏目に出て私自身は受難の時代でした。ゼミの当番の前は徹夜が当たり前。必死に作ったレジメで説明しても、理解がおぼつかないところを容赦なく攻め立てられて泣き崩れるのが定番(私だけでなく、男子学生もホントに泣いてたんですよ!)。パワハラという概念のない時代の話です。
論文を読むという行為そのものに対して、修士時代は「やらなきゃいけないから」という受け身な感覚だったのですが、博士課程でテーマをガラッと変えてからはむしろ自発的に読むようになりました。知りたいという自分の気持ちに応えるには、論文を読むしかなかったのです。
「先生や先輩から突っ込まれるんじゃないか」とゼミ前にビクビクしながら読むのと違って、自分が知りたいと思うことを調べるというのはストレスではないのですね。もちろん単語をいちいち調べながら読み進めるのはものすごく時間がかかっていたのですが、その分丁寧に丁寧に読んでいたので、これはと思う論文は暗記したんじゃないかと思うほど読み込みました。
そうやってたくさん論文を読んでいくと、博士課程の途中くらいから、読むのがフワッと楽になってきたのです。何というか、「お約束」みたいなものが自然と頭に染み込んで、「こう来たら次はこう来る」みたいなのがわかるようになってきたわけ。それと、自分に近い分野の論文をたくさん読んでいくと、使われている専門用語も徐々に覚えてしまう。さらには論文にありがちな言い回しなんかも慣れてくるので、そうなると読むのにかかる時間もどんどん短縮できるのです。
しかし、翻訳サイトの質が上がってきている今日この頃、時間をかけて獲得してきたこのスキルもそんなに貴重なものではないのだなあ(ため息)。