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『旅と本と〇〇と』#マレーシア

離陸

8月、深夜の成田空港。
点々と灯りがまっすぐに延びる滑走路を前に、機体が静かに止まる。
エンジン音が鳴り、機体はゆっくりと徐々に、全速力で走る。
ふわっとした感覚とともに、窓の景色が空港の光から真っ暗な空に変わる、、、

以前は飛行機の飛び立つまでの瞬間が好きだった。
飛行機の離陸は高跳びと似ている。
スタートラインに立ち、気持ちを落ち着かせ、
目の前のバーに集中する。
助走の勢いを利用して、身体が宙に浮かぶ。
それはワクワクして、
一生自分は好きでいるんだと疑わなかった。
3か月前までは。

マレーシア行きバティックエアは安定飛行に入り、
客室乗務員がスナック菓子とペットボトルの水を配りにくる。
成田からクアラルンプール行きの直行便は、
JAL、ANA、エアアジア、バティックエアのみだ。
バティックエアは
2022年までマリンドエアというマレーシアの航空会社だったが、
インドネシアのライオン・エアというグループに入り改名したらしい。
聞いたことがない航空会社で不安だったが、
どの航空券よりも安い価格が魅力だった。
座席も十分な広さがあるし、モニターもついている。
食事などのサービスは有料にすることで価格が押さえられているのだろう。
見たい映画がないか探すが、
マレー語か英語、インドネシア語なので諦めて、
持ってきた本を開く。

いつの間に眠っていたのだろうか。
僕は大きな大会に出ていた。
不安はなくいつものように助走をつけ、バーを跳ぼうとした瞬間、
足をどうやってあげたらいいのか分からなくなった。
はっと目が覚めた。
機内は消灯され暗く静まっていた。

小学生の頃から足の速かった僕は、
中学の時に陸上部に入部した。
短距離がメインだったが、顧問だった遠藤先生から、
高跳びをやってみないかと誘われた。
初めてバーに対峙した時の胸の高鳴り、
バーを落さずに飛び越えた瞬間の快感。
人とスピードを競うよりも、
自分だけに集中して記録を伸ばす競技の特性も僕の性格に合っていた。
そのまま高跳びにのめりこみ、
高校のインターハイで優勝、大学で日本代表にも選ばれた。
大学卒業後も迷うことなく陸上部のある実業団に入り、
高跳び一筋の人生を送っていた。

異変が起きたのは三ヵ月前。
練習で足の腱を傷めてしまった。
大きな怪我ではなかったため
数日安静にした後、練習に復帰した。
しかし、跳べなかった。
傷めたところは問題なかった。
助走をつけて走るまではできる。
でも踏み切ろうとすると
どうやって足をあげたらいいのか分からなくなるのだ。
最初は何が起きたのか分からず、深刻には考えなかった、
しかし何度も何度も試してみたが、跳ぼうとする瞬間に足がもつれてしまう。
いわゆるイップスと診断された。
イップスはスポーツの動作に支障をきたし、自分の思い通りの動きができなくなる運動障害だ。
怪我なら全治何か月と復帰まで予測がつけられるが、
イップスの場合いつ治るのか、完全に治るのかはっきりしたことが分からない。
いくつか治療法はあるが、
出口があるのかも分からない闇の中をさまよっているような状態だった。

僕が苦しんでいることを知って、
中学の時に高跳びに誘ってくれた遠藤先生がマレーシアに来ないかと連絡してくれた。
遠藤先生は定年退職後奥さんとマレーシアに移住している。
今までも何度かメールで遊びにこいと連絡があったが、
練習を休むわけにはいかず行く機会がなかった。
イップスになってからも変わらず練習場に行っていたが、
治る兆しが見られない。
一度高跳びから離れた方がいいのかもしれない。
練習を休むのは怖かったが、マレーシアに行くことを決めた。

「この飛行機はまもなくクアラルンプール国際空港に到着します。」
いつの間にか窓の外が明るくなり、
下をのぞくと朝日に照らされて、
海がキラキラと光り、緑が生い茂るいくつかの島がみえてきた。
「あれがマレー半島か、、、」
初めて見るマレー半島から、目が離せなくなった。
マレーシアに行くことで何か変わるだろうか、
イップスが治るだろうか、それは誰にも分からない。
それでもこれから自分が知らない場所、新しい環境に踏み出すこと、
ただそのことに心が躍った。
「そういえば初めて高跳びした時もこんな気持ちだったな。」

機体が少しずつ高度を下げ着陸準備を始めた。

※2023年8月の情報です。
 現在の航空会社は変更されている可能性があります。

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