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Re: いいや、いいやと認めること。

”Re:”から始まるタイトルのエッセイは、他のSNSと違って、noteの中の作品は、決してタイムラインに消えゆくものではない、という想いから、1年以上前の過去エッセイを、今の私の感想を交え、再度、掲載するものです。

私が1年以上前に書いたこのエッセイは、私にとって、かなり思い入れのあるものです。短いエッセイだけれども、引用した識者の言葉の力もあって、はじめて多くの読者の反響を得て、このエッセイで、noteを続けてゆく思いが強くなったように思います。

今、世の中は、大きな不安の中にある。

そんな見えない不安な時こそ、自分の心や相手の心、そして、生き方を大切にしないといけないのかもしれない。そんなとき、こんな考え方も必要なのではないかと思う。それは決して”あきらめる”ということではなくて、ただ、認めるということ、受け入れるということ、許すということ、そして、お互いを生きてゆくということだ。

気づけばnoteを1年半以上も毎日続けていて、書いてきたエッセイも、かなりの量になっている。(最近は、写真ばかりになっていますが。笑)書いた内容を忘れてしまったエッセイもあったりして、自分自身のためにも、生き方や人間関係のエッセイを中心に、振り返っていきたいと思う。

このエッセイを見つけてくださったあなたが、ほんの少しでも、今を生きる心のヒントになってくだされば幸いです。

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私を救ってくれた言葉がある。
それを紹介したいと思う。

相手に与えた心の傷は、癒えるのに時間がかかるだろうから、ひたすら時間がかかるのを待つ。しかし心の底には、いいやいいや、そのうち相手も私も死んじゃうんだから必ず解決する、という思いもないわけではない。態度は悪いが、こうなれば、うつ病にも不眠症にもならない。つまり私は、世の中と自分の不備を認めたのである。 曽野綾子氏 「正義は胡乱」より。

どんなにつらいことがあったとしても
”いいや、いいや、そのうち
相手も私も死んじゃうんだから”

そんなふうに考えると、
随分と気持ちは楽になる。

どこか逃げているようで
投げやりに思えるかもしれないけれど
この人生の中で、何度も誰かを憎んだり
何度も傷つけたりするよりは
はるかにいいと私は思う。

大切なのは「そのうち」ということ。
決してそれは今じゃない。
今はただ、ひたすらに一生懸命に
生きて行けばいい。

時が過ぎてゆくことは
誰もが与えられた平等なのだから。
それを誰もが忘れてはいけない。

この人生は、たとえどんなに辛いことが
あっても、必ずどうにでもなるんだ。

それは、今日までの過去を乗り越えて
今を生きているすべての人が
その証拠なのだと思う。

辛くなかった過去なんて誰にもない。
きっと、あなたも私もみんながみんな。

明日、何がどうなるかなんて
誰にも分からないんだから。

そうか、自分の不備を認めればいいんだ。
それはきっと、自分を許すということだ。

せめて私はこんなふうに、
自分の不備を認めながらも
日々を黙々と生きてゆきたい。

誰を憎むこともなく
自分を嘆くこともなく
それでもダメになりそうな時は

”いいや、いいや”と
心で思いながら。

2018/08/30

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一