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Re: 彼女の「ね?」の幸せな風景。

ときどき、あまり物事を深く考えないうちの奥さんの問いかけに、私はとても困惑してしまうことがある。

例えば先日のこと、アニメ番組の話題らしいのだけど「○○ってアニメは確かに面白いのだけど、小さな子供が見るには、ちょっとねぇ・・・。どう思う?」と晩飯の時に私に尋ねてきた。

「どう思う?」と聞かれても私はかなり困るのだ。

だって、私はそのアニメを見たことがないんだから。だから私は「え?」と驚いてしまう。するとうちの奥さんは、”まったく!もう!”みたいな顔をして「ちゃんと人の話を聞いてよね!」と私は叱られてしまうのだ。

やり切れないったらありゃしない。

だいたいその「え?」の意味が、別に聞き返したのではなくて、返事に困っての「え?」ということに、彼女はいまだに分らないでいるのだ。

しかし、そんな彼女に私は何も言い訳出来ない立場でいる。実際、私は普段から読書をしているときなど、彼女の言っていることを、うわの空で聞いてることが多く、まんざらそれはウソでもないからだ。

そういえば、こんなことがあったことを思い出した。それは少し前の、ある春の朝のことだった。

開けた窓からカーテンを揺らしている穏やかな風は少し冷たく、どうやら季節はもうすぐ秋を迎える準備をしているかのようだ。仕事が遅番の私は、少し遅い朝食を食べていた。鳥の鳴き声がよく聞こえる。彼女は洗濯物を干していた。鼻歌なんか歌っている。

開けた窓からカーテンを揺らしている穏やかな風がとても心地いい。それはまるで幸福を絵に書いたような風景だった。

そんな時だった。

彼女がその鼻歌を止め、ベランダから私にこう聞いてきたのは。

「少し風が冷たいな。ちょっとお腹が冷えそうだわ。ねぇ、スカートって寒いよね?」

新聞を読んでいた私の目が思わず止まってしまった。え?”スカートって寒いよね?”って一体なんなんだ?最後の「ね。」が意味するものは、やはり同じ経験をした者同士の同意を求める意味なのだろうか?

私はなんて答えればいいのだろう。

私はたぶん、スカートをはいたことがない。いや、”たぶん”じゃなく”間違いなく”と言っていいのだろうけど、小さな子供の頃、姉のスカートを冗談半分に、はいたことくらいはあるかもしれない。でも、やっぱり基本的には経験はないと思っている。

だいたい男の私に「スカートって寒いよね?」と疑問形みたいに聞くほうがどうかと思う。でも、それは朝の幸せな風景の中だ。私が意地になって「僕が分るわけないじゃない」と言ってその場の雰囲気を壊したくないし、彼女の機嫌も損ねたくない。

あぁ、このままだと時だけが流れてしまう。どうしよう。私は早く返事をしなければいけない。なんて言えば、どう返事をすれば・・・?

結局それは、頭で考えるより先に、言葉が私の口からまるで生き物みたいに飛び出していた。

「う、うん、そうだね」

・・・なんのことはない。結局そう答えていた。その私の返事に、彼女は満足げに洗濯物を干している。私のその苦労を何一つ彼女は気付いていない。私の返事が、すべての心地よい時の流れを何一つ乱すことなく鳥の鳴き声だけが聞こえていた。

これで良かったのだろうか?いや、きっとよかったんだ。そんなふうに私ひとりだけが、何か釈然としないままに、朝の幸せの中、新聞を読みつづけていた。

私はきっと、幼い頃、冗談半分で姉のスカートをはいて、そしてお腹を冷やしてしまったんだ。自分にそう言い聞かせた。

そう思いながらも、なんだか笑いが込み上げてきた。新聞を広げ、私は彼女から見えないように自分の口元を隠した。

彼女の鼻歌がまた止まる。
また私に何か話そうとしている。

今度はなんだろう?
ちょっとドキドキする。


最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一