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灰谷先生、教えてください。
これはもう昔のこと。その当時、住んでた街の図書館に小さな特設コーナーが設けられていた。なんだろう?と思いつつ、何気なく見ていたら、こんな新聞記事の切抜きがあった。
「灰谷健次郎氏 死去。食道がんにより・・・」
そのとき私は呆然と立ち尽くした。一瞬言葉が理解できなかった。心がそれを信じようとしない。けれどもやがて、それを心は受け止めてゆこうとする。現実はいつもこんなふうに、私の心に入り込んでくる。
もしも空から見えぬ何かが「お前に10の望みを叶えてやろう」と言ったなら、迷うことなくそのひとつに「灰谷先生の教え子にしてください」と私は空に祈るだろう。
灰谷健次郎氏は、著名な作家であり、元教師でもある。その著作は数多く、特に私は灰谷さんの教師時代のエッセイが大好きだ。
灰谷さんの子供と向き合うその姿勢は、すべて静かな優しさで出来ている。ひとりひとりの子供たちの、その傷ついたいくつもの心を、灰谷さんは言葉という別の表現に置き換えて、子供たちにその内を見つめさせていた。その言葉の多くは子供たちの、とてもすばらしい詩になった。
そのいくつかを紹介したい。
「ただいま」 よりはら きよみ
おかあさんがしごとにいっているから
学校からかえって「ただいま」といっても
だれもこたえてくれない
でもわたしのこころの中に
おかあさんがいるから へんじをしてくれる
「こころ」 1年 よしかわ かよこ
せんせいはなんのこころをもっているのですか
それをおしえてください
わたしはなんのこころをもっているのですか
おしえてください
「いぬ」 1年 さくだ みほ
いぬはわるいめつきをしない
灰谷健次郎 「子どもに教わったこと」より。
私は小学生の頃、先生によく叱られていた。別に私は、いたずらっ子でもなければ、落ち着きのない子供でもなかった。どちらかと言えば、そのまったく正反対で、いるのかいないのかわからないようなそんな存在だった。
ただ、まじめだったけれども、なぜか私はよく叱られていた。その事実は、たぶん、先生が叱ったつもりでなくても、ちょっとした注意に私はすぐに傷ついていた。だから叱ったうちに入らなくても、すぐにぽろぽろと涙をこぼしていた。
そして次第に先生は、それが面白かったのか、私をからかうようになった。それは少しづつ、エスカレートしていった。ほんの少し注意する。私が泣く。当てられて私が黒板に書く。答えを間違える。注意する。そしてまた、私が泣く。
「また、あいつ泣くぞ・・・」と誰かのささやくような声。ひざを抱えるような想い。次第に先生は、笑いながらそれを繰り返すようになった。
私は今もその先生の、名前をフルネームで言える。
子供心に、よほど恨んでいたのだろう。
泣いてる私に先生は、何もしてくれなかった。してもらおうとも思わなかった。私の極端に傷つきやすい心は、何か原因があったのだろうけど、今となっては遠すぎて、色あせすぎて何も見えない。あの時は、まだ、ちゃんと心の内にあったはずのものが、結局は鍵をかけたまま、その鍵さえも閉じ込めるように、私は飲み込んでしまったのだった。
もしも、あのとき先生が、灰谷さんだったならと、つい、私は考えてしまう。灰谷さんは私に詩を、間違いなく書かせただろう。「今、君が想っていることを、素直なままに言葉にして書いてごらん」と泣いてる私に厳しくも優しく言っただろう。
私は何を書いただろうか?
どんな想いを言葉にしただろうか?
ふと気づけば、あの頃に戻ろうとする私がいる。
空を見上げるようにして
ランドセルの重さを思い出しながらも。
最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一